Culture
2020.07.15

クイズ!「石榴」なんて読む?鬼子母神など日本の怖い説話集

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甘酸っぱくておいしい「石榴(ざくろ)」。ちょっと酸味が勝っている感じだから、「初恋の味♡」なんてキャッチコピーを与えられてもいいような気がしていたりいなかったり。

が、しかし、歴史小説などを読んでいると、甘い初恋などとはかけ離れた、身の毛もよだつような「ざくろ」が出てくるのです……。

2020年、今年の7~8月もまた暑くなる、との予報が出ていますね。本格的な夏に向けて、おいしいザクロのひんやり涼しくなる話をお届けします。

えぐいぜ、ざくろ……

歴史小説好きのかた、こんな表現を目にしたこと、ありませんか?

「斬られた肉の断面がざくろのように割れている」。

ぎゃあ~~~! なにも斬られたところを詳細に描写なんてしなくっていいですよぉ~。
これ、わりと歴史小説定番の比喩らしく、何度か見かけたことがあります。想像しちゃうから怖いですってば。『鬼滅の刃』ですら腰が引けているビビりのあきみず、もはや涙目。

ま、でもざくろの実を見てみると、納得はできるんです。確かに似ている。おい、よく似ているな……。

納得して落ち着いてみると、仏教説話や古典芸能の中にも、ちょっと怖いざくろの存在が思い当たったり。どうやら近代文学のみならず、ざくろ=肉は伝統的な表現手法だったよう。

鬼子母神、人の子の代わりにざくろを食べる

「恐れ入谷の鬼子母神」なんて洒落にも使われている鬼子母神(きしぼじん・きしもじん)。毘沙門天の配下で八大夜叉大将の1人・般闍迦(はんじゃか)の妻でしたが、500人(一説に1000人や1万人とも)の子どもを持ち、自分の子らを養うために人間の子を食べていました。人々は恐怖におののき、見かねたお釈迦さまは、鬼子母神の最愛の末子を隠してしまいます。
それに気づいた鬼子母神は、必死に世界中を探し回りましたが、末っ子はどこにもいません。

泣きながら訪れた鬼子母神に、釈迦は「それほどまでにたくさんの子を持つお前でも、子を奪われるのはつらいものだろう。ならば、人の親の気持ちも理解できよう」と諭します。鬼子母神は以後、子育てと安産・盗難防止の護法神となったのでした。

日本では右手にざくろを持った天女の姿で表されますが、ざくろの果実は人肉の味がするから釈迦にすすめられたのだ、という恐怖のエピソードが……。
ただ、これは日本独自の俗説なのだそう。

いやでも、これって自然界では普通に見られる弱肉強食理論なんじゃ、という疑問が湧いてきてしまったのですが、そこのところどうなんでしょう……。

怨霊・菅原道真、口からざくろを吐く

恨みを抱きながらこの世を去り、怨霊となってしまった人がざくろを吐いて攻撃する。実はこっちのほうが本質的には怖いんじゃないかという気がしています。

政敵の計略にはまって中央から太宰府に左遷され、失意の中死去した菅原道真公。天神様と呼ばれ、学問の神様として全国で親しまれている道真公ですが、このお方がざくろ事件(?)のご本人。

道真公とざくろのお話は、鎌倉時代に描かれた『北野天神縁起絵巻』に示され、能『雷電(らいでん・来殿とも書く)』の題材にもなっています。
道真公は死後、自らを陥れた藤原時平(ふじわらのときひら)を呪い殺そうと、怨霊になって比叡山延暦寺を訪れます。時平を守らないようにと伝えに来たのですが、僧侶は首を縦に振りません。怒った道真公はご本尊の前に供えられていたざくろをつかみ取り、嚙み砕いて妻戸(つまど:出入り口として設けられた両開きの板戸)に吐きかけます。ざくろは火焔に変わって燃え上がり、妻戸を焼きますが、僧侶の呪法によって火は消し止められたのでした。

天神様と縁の深い福井県の一部の地域では、かつて、ざくろを庭に植えたり口にしたりすることを禁じた風習もあったのだとか。前述の鬼子母神エピソードに加え、真っ赤なざくろの実があたかも燃え上がる炎のような色をしていることから、こうした逸話が生まれたようです。

鏡をきれいにした、「怖くない」ザクロの話

ざくろは、その姿形が似ていることから、古くより人の肉の喩えなどに使われてきたよう。が、これを理由に怖がられていたら、ざくろにとっちゃ濡れ衣もいいところ。ごめんって。

ということで、最後に怖くないざくろの話をして名誉挽回といきましょう。

銅鏡、と聞いて、卑弥呼の時代を思い浮かべた人! はーい!
しかし近世に入っても銅鏡は使われ続けており、三種の神器の1つである「八咫鏡(やたのかがみ)」はじめ神道および仏教の信仰対象としても大切にされてきました。これを磨くのに、汚れ成分を落とすシュウ酸などを豊富に含むざくろの実が使われてきたのです。

銭湯の「ざくろ口」

ところで、令和の時代にはあまり見かけないであろう、銭湯のざくろ口。湯船の前に設けられた、茶室のにじり口のように低い出入り口。江戸時代にはごく一般的な光景だったようなのですが、この名前、ざくろが鏡を磨くのに使われたことから出た洒落なのだそう。

つまり、そのまま歩いていくと頭をぶつけてしまうから「屈み入る(かがみいる)」、「鏡を鋳(い)る(=磨く)のはざくろ」、屈んで入るざくろ口、というわけ。

世の中のオヤジギャグ愛好者ご歴々、どうぞご安心を。たとえ現代では白い目で生暖かく見られようとも、オヤジギャグは日本の伝統文化なのです。

ざくろ自体は怖くないのだ

ギリシャ神話に登場するなど世界中で愛され、日本には平安時代ごろに伝来したとされるざくろ。初夏に花が終わったあとの姿は「タコウィンナー」などと呼ばれる愛らしさだったりします。観賞用庭木・盆栽・生薬としても愛用されてきた歴史があり、また、1つの実の中にたくさんの種子があることから、子孫繫栄・豊穣といった縁起の良い樹木と見なされることも多いようです。

そう、ざくろが怖いんじゃない、ざくろを利用する人間が、怖いのです……。

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。