Culture
2020.07.30

3mの鉄板に殿の排出物まで。参勤交代での大名行列の「持ち物リスト」が驚愕の理由

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さてさて夏といえば、バカンス。つまり、旅行の季節である。

けれども、コロナ禍の影響でなかなか「Go Toキャンペーン」も先行き不安な様子。だったら、いつの日か行くはずの旅行を、お家で妄想して楽しむのも1つ。

ガイドブックを見ながら。行き先をどこにしようかなどと悩みつつ。スケジュール帳を眺めて、いつにしようかと未来の私に聞く。誰と行こう。何をしよう。もう決めることが多すぎて。なんなら、既にこの時点で、旅行は始まっているといっても過言ではない。

ちなみに、皆さん、あまり興味はないだろうが。私は、持ち物必要最小限派。自慢じゃないが、旅行時限定のミニマリストである。足りないものは現地で買い足せばいいじゃないと、なぜかここだけバブリーな感じ。

しかし、こんな身軽な旅ができるのも、現代に入ってからのこと。昔であれば、旅すること自体が一苦労。バカンスなどと言ってはいられない。特にそれが顕著だったのが、今回取り上げる江戸時代の「参勤交代」。あの荘厳な大名行列である。

今回は、そんな参勤交代における大名行列の持ち物をご紹介。まさかのあんなモノから、こんなモノまで。荷物を運ぶ人足(にんそく)の苦労を、お見せしよう。

※冒頭の画像は、葛飾北斎の「富嶽三十六景 従千住花街眺望ノ不二」です。

恐ろしや!参勤交代の意外な目的。うっかりすると…?

江戸時代、参勤交代制度は、諸大名らの頭を悩ますモノだった。なんといっても、軍役にあたるため、つれない態度を取ることができない。

そんな参勤交代制度だが、元和元(1615)年の武家諸法度(ぶけしょはっと)で定められ、寛永12(1635)年には改定。ここで抜本的なルールが確立される。

具体的には、西国の大名は3月末~4月はじめに江戸に参勤する。この入れ替わりに、東国の大名らは自国の領地に戻るのである。そして、翌年の3月末~4月はじめに、今度は東国の大名らが参勤して、西国の大名らが戻れるという仕組み。

こうして、諸大名らは定期的に江戸に参勤。1年おきに、ようやく自国の領地に戻って政務を執ることができたのである。なお、3月~4月というのは、北国の雪解けや、奉公人の交代などを考慮して決められたのだという。

さて、この参勤交代制度、もちろん、時代とともに変化していく。例えば、江戸に近い関東の譜代大名(関ヶ原の戦い以前から徳川家に臣従していたもの)らは、1年ではなく半年おきに、江戸と領地の往復に変更。一方で、離島の対馬府中藩(長崎県)の宗家は、例外的に3年に1回の参勤で、江戸に4ヶ月の滞在など、状況に合わせた対応がなされた。

歌川広重-「東海道五十三次-嶋田-大井川駿岸」

まあ、それにしても。参勤交代制度とは、よく考えたものである。というのも、その目的は、大きく2つ。
「妻子を人質に取るため」
「財力を削ぐため」
こんなふうに、一般的には思われがちだ。

確かに、これら2つの目的の意義は大きい。諸大名らが謀反を起こせば、江戸に住まわせた妻子らを、人質として成敗できる。のみならず、参勤交代における大名行列の費用はかなりのもの。彼らの財力を削ることは、もちろん謀反抑制にも繋がる。

しかし、これだけではない。
じつは、他にも参勤交代制度の目的はあったのだ。

まず、1つは、江戸幕府からの命令が容易に出せるコト。
例えば、転封(領地を替えること)や改易などの処分は、その内容からして、本来出しづらいもの。なぜなら、大名からの反発が予測されるからである。なんなら、大名が遠く離れた領地にいた場合、命令に従わない可能性だってある。しかし、大名が江戸に滞在中であれば、なかなか直接、お上の命令に歯向かうことなどできない。

結果的に、無理難題な命令も、躊躇うことなく出すことが可能。そういう意味では、この参勤交代制度、江戸幕府からすれば、意外と便利だったのである。

歌川広重-「東海道五十三次-日本橋-朝之景」

また、自国の領地について考える機会を作らせないのも目的の1つ。
つまり、平和で様々なモノが集まる江戸。そんな都会の江戸で、1年間も暮らせば、お気楽な気分になるのは想定内。自国の領民が飢餓で苦しむ姿など、目にすることもない。楽しければいいじゃない。江戸での滞在は、そんな気分にさせるのである。これで、幕府に対する反抗心も薄れるというもの。

言い換えれば、参勤交代制度とは、江戸幕府が考えた安易な「竜宮城作戦」である。

ええ。ええ。江戸にいる間くらい、現実を忘れはったらええ。

江戸時代が265年間も続いたことを考えると、この恐ろしい目的も、ある程度は達成されたのだろうか。なんとも、腹黒い江戸幕府であった。

逆ギレ!なんで、こんなモノ持ち運ぶのよ!

悲喜こもごもの参勤交代制度。
江戸での滞在で、お気楽な気分に……。いやいや、ちょっと待って!
そうなる前に。まずクリアしなければならないことがある。

それは。
大名が無事に江戸に到着するコト。

遠ければ遠いほど、江戸までの移動は苛烈を極める。道中では、暗殺される可能性だってある。病気や事故も無きにしも非ず。こんなトラブルを防いで。予定したルートを進み、無事に江戸まで移動しなければならないのだ。

そこで、重要となってくるのが、参勤交代の大名行列の「持ち物」である。

大名が、無事に江戸へ到着するための必需品とでも言おうか。足りなければ買えばいいというモノではない。用意周到に、そんなモノまでいるのかと、驚かれるほど。それも、大名の無事を考えれば、仕方のないことなのだが。

それでは、ここで、いきなり発表を。

現代では到底考えられない、クレージーな持ち物の数々。
荷物を運ぶ人足(にんそく)らを、地獄に突き落とした持ち物たちのご紹介である。

せっかくなので、私の独断と偏見で、ランキング形式を取らせて頂いた。まあ、きっと、人足の彼らに「サイテーな持ち物」のアンケートを取れば、これらが上位に来るのは間違いない。そう、予想してのこと。

さてさて、人足らが苦労した持ち物とは?
早速、上位3位を、発表していこう。

勝手にランキング3位「漬物石」

とにかく、車じゃないのだから。運ぶ方は大変である。
その持ち物とは、なんと、漬物石。

じつは、参勤交代には、藩主お抱えの料理人も同行。つまり、常日頃から使用している調理器具もそのまま持ち物リストに入ることとなる。これは、道中での食事で、大名が毒殺されることを防ぐためだとか。

つまり、大名は宿からの食事を口にせず。料理人が、自国から持参している食材を使って、その都度、大名の食事を出していたのである。そうなると、必然的に、漬物も必要。そして漬物の風味を落とさないよう、その重石となる漬物石まで運ばれる始末。

人足泣かせの持ち物だっただろうに。考えただけでも、腰が悪くなりそうだ。

勝手にランキング2位「鉄板」

次にランクインしたのが、「鉄板」。

なぜ鉄板?
その疑問しか、浮かばないのだが。きっと、人足らも、そう心の中で叫んでいたことだろう。

これには、ちゃんとしたワケがある。ちなみに、全国の諸大名らが必ず持ち運んでいたものではない。暗殺の可能性が高い、ターゲットになりやすい人物に限られるのだろうか。彼らからすれば、当然の必需品だったに違いない。

さて、実際にあったとされる話。徳川御三家の一つ、紀州藩についてである。

紀州藩では、幅が3メートルの鉄板を運び、宿に着くと、その都度、藩主のいる部屋に持ち込まれたという。

一体、何に使っていたというのか。
それは、藩主の寝床。

床下から、藩主を狙った刺客に襲われないためである。スヤスヤご就寝中に、寝床の下から刀でグサリと刺されないよう、予め鉄板を敷くのだとか。これで、万が一にもという暗殺の可能性を潰すことができる。

それにしても、ドラマのような世界である。
ただ、実際に運ばれていたことを考えると。藩主の生活も危険と隣り合わせ。それはそれで辛いかも。

勝手にランキング1位「トイレの中身(排泄物)」

それでは、堂々のランキング1位。

どうして、私がこれを1位に選んだのか。
それは、もう、全く納得できない理由だからである。

というのも、2位や3位の持ち物に関しては、ある程度、理解はできる。だって、大事な藩主の暗殺防止なんだもの。運ぶのは大変かもしれないが、その効果を考えれば、強烈な重さだって我慢できるはず。

しかし、1位の持ち物は単なる「見栄」である。
それは何かというと。

藩主のトイレの中身。
要は、藩主様の排泄物である。

歌川広重-「東海道五十三次-品川-日之出」

じつは、道中での生理現象は、藩主専用の携帯トイレ、いわば簡易トイレで済まされる。確かに、先ほどの暗殺の可能性を考えれば、トイレは無防備になる場所といえるだろう。当然、避けねばならないはず。そのため、宿でも、藩主はずっと携帯トイレを使用したという。

しかし、である。
トイレで用を済ましたその中身は、別に検査されるワケでもない。持ち運ぶ必要などないはずだ。ただ、人足らは、道中ずっと、江戸か国許に着くまで、運び続けるのである。それは、単に、高貴な方の排泄物を、一般大衆の目にさらすことはできないという理由で。

ここで、マジで突っ込みたい。文春砲じゃあるまいし。一般大衆の目になんて、さらされることはないだろう。しかし、そんな反論も通用せず。人足らによって、藩主の排泄物は、粛々と道中を移動するのであった。

なお、既に、お気付きの方もいるのではと思うのだが。そう、そうなんです。無防備といえば、トイレのみならず風呂にも、その危険性は当てはまる。ということで、風呂も、もちろん「持ち物リスト」に含まれる。参勤交代の大名行列の必需品だったのである。

それにしても、ため息が出るほどの持ち物の多いこと。その総量を考えると、頭が痛くなる。それも、自分の持ち物ならいざ知らず。他人の持ち物なのだから。考えただけで、空恐ろしくなる。

そう考えると。
現代に生まれて良かったと、思わずにはいられない。

だって、人足として、他人の排泄物を運ぶなんて、絶対イヤ。
逆に、藩主になったとしても、自分の排泄物を、ずっと大事に運ばれるのも、絶対イヤ。

どちらにしろ、辛い持ち物に変わりはないのであった。

参考文献
『大名家の秘密: 秘史『盛衰記』を読む』 氏家幹人著  草思社  2018年9月
『お殿様、外交官になる』 熊田忠雄著 祥伝社 2017年12月
『参勤交代の不思議と謎』 山本博文著 実業之日本社 2017年1月

書いた人

京都出身のフリーライター。北海道から九州まで日本各地を移住。現在は海と山に囲まれた海鮮が美味しい町で、やはり馬車馬の如く執筆中。歴史(特に戦国史)、オカルト、社寺参詣、職人インタビューが得意。