Culture
2020.10.20

サウナを愛した武士は、果たしてととのっていたのか?1300年前の古代サウナで調査!

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タナカカツキ氏の漫画「サ道」で一躍注目を集めたサウナ。ドラマ化されると益々注目度が高まり、テレビや雑誌でサウナの特集を目にする機会も増えました。かくいう筆者もいわゆる“サウナー”。「サ道」の主人公のようにいつか「整う」ことを夢見てサウナ通いをしていましたが、このほど日本最古のサウナを発見しました。

庶民も武士も! サウナーで体を癒した

香川県さぬき市。田園地帯の中に住宅が点在するこの上なくのどかな光景。ここに日本最古のサウナ「からふろ」通称「塚原のから風呂」があります。でもどこ?ナビを頼りに車を走らせると小さくひらがなで「からふろ→」と書かれた看板を発見! 進行方向先に白い煙が上がっているのを目印に進んでいくと無事に到着しました。


ここは約1300年前、奈良時代の高僧行基が讃岐に来た時に、庶民の病気を治すために造られたといわれています。風呂の構造は幅1.2m、奥行2.7mの豊島石(てしまいし)の石室で、石の間は粘土で固めています。

西日本、特に瀬戸内海沿岸では古くから石風呂が多く作られていました。岩窟や石積みの室の中で柴を燃やし温めた後に潮水で濡らした海藻やムロを床に敷き、その上で温まっていたといいます。元は農閑期の体を癒すものとして、健康維持や病気平癒を願って石風呂を使用していましたが、次第に日常的な安息の場となっていったそうです。

江戸時代末期(嘉永6年)に作られた「讃岐国名勝図絵」に塚原温室と書かれ「病に効あり、人多く入室する」とあり、武士をはじめ多くの利用者で賑わっていたことが分かっています。

また地元に残る当時の資料でも「近年塚原に入室する者が多いと聞くので、風呂扶持として年間15石あて庄屋の手元へ残しておくから、家中の武士の接待に充てたり、旅人どもが飯米を希望するときは売ってやるように」ということを、天保6(1835)年、12月に達したと記録しているので、藩政時代にもかなりの利用者があったと思われます。さらに『讃岐国大日記』にも、天保7(1836)年の春夏に、高松藩家老筧速見が病気治療に訪れたと伝えています。これらのことからも地元の人たちはもちろん、武士もから風呂で体を癒していたと考えられます。お勤め帰りのサラリーマンで賑わうサウナの様子とちょっと似ているかもしれませんね。

石室の入り口から吹き出す炎にタジタジ

現代に残る唯一の江戸時代からの「からふろ」。実際に焚く工程を見せてもらえることになりました。焚き方は昔とほとんど変わらず、代々伝わってきたそうです。ガスや電気のスイッチを入れるのとは違い、から風呂を焚くには技術と経験、熱さに耐えられる体力が必要だそう。現在担当しているのはこの道13年の岡田俊郎さん。火入れを行うのは毎週木曜日から日曜日の朝9時半から。地元や近県から集められた間伐材を薪にして、室の中で組み上げて点火します。気候や天候のコンデションによって冬は100~120㎏、夏は70~80㎏の薪を1時間かけて焚きます。まずは2つある室うちの1つに点火。するとあっという間に入り口から勢いよく真っ赤な火が噴出します。ちょっとコワい! この時点で近くに寄るのは大変危険ということで、少し離れて待機しますが、熱さはしっかり伝わってきます。

火が燃え尽きて炭になってくると、岡田さんが石室の中に入って真っ赤な炭を床一面に広げます。

次に塩水に浸したムシロを炭の上に敷き詰め、更に上から塩水を。昔は海岸まで行って海水を汲んできたといいます。蒸気が上がる石室を完全に閉め1時間蒸しあげます。その間、わずかな隙間から蒸気が上がりまるで石室に生命があり、呼吸しているかのようです。

懸命に作業する岡田さんに「火傷したことって? 」と聞くと「そりゃありますよ~」と笑顔でお応えいただきました。岡田さんのおかげでアツアツのから風呂に入ることができます。感謝です。

布頭巾と毛布、完全防備でGO TO から風呂


1時間ほど経って石室が落ち着いたら入室OK。長袖長ズボンに頭にはレンタルした布頭巾、毛布、布ぞうりといういで立ち。10人までは入ることが可能だそうですが、初心者は温度の比較的低い入り口付近がおすすめ。だが。熱い。無理。初心者は1分が限界といったところ。石室は2室あり、後から火入れした方が「あつい」、先に火入れし温度が下がってきた方が「ぬるい」。「あつい」は5分、「ぬるい」は10~15分が目安だそうですが、あくまでも無理のない範囲で。常連の最高齢は80代で50年以上通う超ベテランも。あついほうだけ入る人、ぬるい方にゆっくり入る人、楽しみ方は人ぞれぞれ。のんびり。のんびり。

から風呂は熱に強い瀬戸内海の豊島の石を組み上げた石室に、木を燃やし、塩水で蒸気を作ります。木が燃えた炎で温められた石に蓄積された自然が生みだすエネルギーは、ガスや電気で作る人口の熱とは一味違う、重厚感ある包み込むような熱さ。この熱さに魅了された人たちが足しげく通ってくるのです。

水風呂のない「から風呂」はサウナのように「ととのう」?


最近TVや雑誌でよく見る「ととのう」という言葉。サウナ、水風呂、休憩を繰り返すと所謂「ととのう」という状態になれるといいますが、から風呂ではどうでしょう?
その前に、そもそも「ととのう」っていったいどんな状態を指すのでしょうか。
加藤容崇医師の著書『医者が教えるサウナの教科書 ビジネスエリートはなぜ脳と体をサウナでととのえるのか?』によると、サウナの高温、水風呂の低温を体験した後の休憩時に、交感神経と副交感神経が共存した“変な感覚”が「ととのう」の正体。その感じ方が人によって違うため謎めいた存在になっているのだとか。自律神経とは自動的に環境の変化に対応する神経なので、サウナや水風呂は入るだけで急激な環境変化になっているため自律神経が働きやすい状態に。
さて、汗を流すシャワーが男女別に用意されているものの、水風呂がないから風呂ではどうなのでしょうか?から風呂保存会の小林憲一会長に聞くと「確かにから風呂はサウナのように高温ですが、どちらかというと岩盤浴に近い状態なのかも知れません。体全体をじっくり温めることで健康増進や冷え性などの予防に効果があるといわれています」。木と炎、石によって作られた熱で体を温める岩盤浴というのが正解のようです。

存続の危機を乗り越え日本最古の石風呂が復活

かつて片道40~50分かけて車で通っていたという80代女性に話を聞くことができました。現在では長時間の運転が難しいためスーパー銭湯のサウナに通っているそうですが「から風呂は身体が芯から温まって冷え性も肩こりも楽になる。寝る時までポカポカよ」と絶賛。
このから風呂、一時存続の危機を迎えたことがありました。平成19年の3月にさぬき市が財政困難を理由に休業を宣言したのです。愛好者や地元住民から再開を望む声が挙がり、地元有志による「から風呂保存会」が発足しました。現在では会員のボランティア、利用者の支えによって運営されています。小林会長は「石風呂は昔、瀬戸内の近辺に沢山あったと聞いています。しかし、全国で唯一営業しているのはここだけです。経費等厳しい課題は山積していますが、石風呂の文化を守り、利用者に喜んでもらえることが何より嬉しい」と語ってくれました。

江戸時代から続くから風呂。当時の武士もきっと体の芯から温まってリフレッシュしていたに違いありません。サウナ好きならぜひこのワイルドなから風呂も体験していい汗をたっぷりかいてははいかがでしょうか。
施設内には男女別のシャワー、更衣室、休憩室などの設備があります。利用する場合は汚れてもいい長袖、長ズボンを着用してください。布頭巾、ぞうりのレンタル、販売もあります。


玄関前では地元で採れた旬の野菜が並び、安価で購入することもできます。

から風呂HP