Culture
2020.11.06

和歌ってかなり、おしゃれじゃね?~眠れぬ夜の恋しい気持ちを和歌にのせて~

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和樂webで下うた(下ネタで作る和歌)が流行ってからというもの、ついつい感情を五・七・五・七・七で表すようになってしまっています(笑)。若い人たちにとってのラップ感覚とでもいいましょうか。

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「カレンダー予定はいつもスカスカで人恋し秋週末の夜」みたいに、日々の会話までが、和歌の調べになってしまう時が……。なんだか脳が五音、七音と勝手にリズムを刻んでアウトプットしてくる今日この頃です。それにしても改めて、和歌のリズムって、心臓の鼓動のように、気持ちの良いリズムだな~と思います。ギスギスしている時も和歌のリズムで話してみると、心がなんだかほっこりと落ち着いてくるのです。和歌って体の中にストンと落ちる言葉数なのかも。だからこそ、1300年以上もの時を経て、今も親しまれているのですよね。

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万葉集に残された身分違いの切ない恋の歌

秋と言えば、人肌恋しく、ロマンチックな恋愛に思いを馳せる季節。今年はコロナで会いたい人にも会えない日が続くので、さらにその思いが深まっているような気がします。

歴史や古文の教科書で習う、万葉集にたくさんの歌が収められている大伴旅人(おおとものたびと)。新元号の「令和」の元となった「梅花の宴」という歌会を主催した人物として話題になった歌人です。

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その大伴旅人が長官を務めていた大宰府から、大納言として京へ戻ることになった際に、遊女との別れを悲しんだ恋歌があります。まるで映画のワンシーンのような別れで、遊女はもう二度と会えない旅人に向けて切ない心を歌います。秋の季節の寂しい情景と重なって、なんだか泣けてきます。

「凡(おほ)ならばかもかもせむを恐(かしこ)みと振りたき袖を忍びてあるかも」

訳:その辺にいる方ならどうにだってできるけれど、あなたのような(立派な大納言になられるような)お方には恐れ多くて、袖を振りたいけれど、できるわけもなく、忍んで忍んでいるのです。

「大和路は雲隠りたり然(しか)れども我が振る袖をなめしと思ふな」

訳:大和路は雲に隠れていて見えないでしょうが、私が涙を流しながら袖を振るのを無礼だなんて思わないでください。

「袖を振る」はよく和歌に出てくる言葉ですが、この時代の愛情表現です。先ほどの歌で言えば、「私が涙を流しながら好き~と叫ぶのを無礼とは思わないでください」というような意味になるのです。

大納言とは、今でいう大臣に仕える官庁の役人のような立場で、国政に関わる役職。この時代、このような立場の人と遊女では、人目をはばからなくてはならず、別れも耐え忍ぶしかなかったのでしょう。もしかしたら二度と会えないかもしれない。そう思うと、この想いをどうして抑えられましょう、といった感じでしょうか。

これに応えた大伴旅人の詠んだ和歌が

「大和道の吉備(きび)の児島(こしま)を過ぎて行かば筑紫(つくし)の児島思ほえむかも」

大和路の吉備の児島(現在の岡山県児島半島)を過ぎる時には、筑紫の児島のことを恋しく思うよ。忘れるなんてあるわけないだろう。

「ますらをと思へる我(あれ)や水茎(みづくき)の水城の上に涙拭(のご)はむ」

訳:国を司るような立場の自分が、戦いのために築かれた水城で泣くなんて。それはあなたへの思いが強いからだ。

和歌は贈られたら、詠み返すのが常。燃え上がる恋の炎をさらに情熱的な愛の歌で返す万葉の人々って、ロマンチックが止まらない人々だったのだな~と思います。なんだかまっすぐで、うらやましい! 

手紙を書く機会が減った現代ですが、こんな和歌をしたためてSNSで送ってみるのもなかなか刺激的かも。離れているからこそ、思いが高まるということも……。このコロナ禍、愛する人を思って和歌を詠んでみては? ささくれだった心に緩やかな時間が流れるかもしれません。

参考文献―万葉集講義 上野誠著 中公新書    

アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館