Culture
2019.08.28

わびさびとは何か?日本人ならではの美意識をわかりやすく解説

素朴さを感じる茶道具、静寂に包まれた庭園を見た時に感じる美しさ。それを私たちは「わびさび」という言葉を使って表現しがちです。この「わびさび」、何となく日本らしい、とはイメージできるけど、その意味までは正直わかりません。今回は「わびさび」の成り立ちや、茶道・日本庭園との関係などについて調べてみました。

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そもそも、わびさびとは


わびさびは、日本独自の美意識、例えば質素で静かな様子や不完全であることをよしとするひとつの名詞のイメージですが、実際は、侘び(わび)・寂び(さび)のふたつの名詞が繋がったもの。それぞれ意味も違うようです。まずはそれぞれの意味からみてみましょう。

侘びの意味

わびは「侘び」と書き、動詞「わぶ」の名詞形です。「(1)わびしいこと。思いわずらうこと、悲しみなげくこと (2)俳諧(はいかい)・茶道の精神で、おちついて、静かで質素なおもむき。閑寂」(出典:「新選国語辞典」第9版)という意味で使われています。

もともとは、「思うことがかなわず悲しみ、思いわずらうこと」という意味でしたが、室町時代あたりから、失意や窮乏(きゅうぼう。金銭や物品が著しく不足して苦しい様子)などの自分の思い通りにならない状態を受け入れ、積極的に安住しようとする肯定的な意味・内容をもつようになりました。

置かれている状況を悲観することなく、それをむしろ楽しもうとする精神的な豊かさを表現した言葉なのですね。

寂びの意味

さびは「寂び」と書き、動詞「さぶ」の名詞形で、「古語大辞典」によると、「日本の古典芸術の代表的な美のひとつ。現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美。無常観や孤独感を背景として、和歌・連歌・茶など、ジャンルを超えて重んぜられた」とあります。もう少し簡単に言いかえると、「古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられること」ということでしょうか。

平安時代後期〜鎌倉時代初期の歌人、藤原俊成(としなり)は、歌合(うたあわせ。歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊び)で「寂び」を用いた和歌を残すなど、古くから使われていたことがわかっています。

精神性を表現した侘びとは異なり、寂びは内面的な本質が表面的にあらわれていくその変化を美と捉える概念のようです。

その後、「わびさび」の美意識は中国から伝来した禅宗と結びつき広がっていきます。室町時代以降、禅宗の物事の本質を求める思想が武士・知識階級の人に広まり、石や砂紋などで水の流れを表現する枯山水など、文化面でも影響を与えました。

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侘び寂びの使い方

侘びと寂びの意味がそれぞれわかったところで、具体的にどのように使うのか調べてみました。

「侘び寂び」って、どんな時に使うの?

・例えば寺社仏閣。古い建築物になると、木造部分の装飾に痛みや、緑青(ろくしょう。銅製のものにできる青緑色の錆び)があります。それを表現する時に、「この静けさに包まれた寺院は、華やかな装飾こそないものの、侘び寂びの趣を感じる」などといいます。

・石の蹲(つくばい)に生えたコケを見た時に、緑の美しさはもちろん、それが育つまでの時間にまで思いが巡ります。そして、石の何十年経っても変化しにくい特性から、安定感を覚える方もいるでしょう。そういった場合に、「この蹲からは侘び寂びを感じ、見ていると心が落ち着く」などと表現します。

・紅葉が散りゆく時に、そのはかなさや残った枝の寂しさ、やがて訪れる冬の厳しさを想像し、「この紅葉の艶やかさと散り際に侘び寂びを感じる」といいます。

以上のように、侘び寂びは事象・空間に対して、自身の感情が静かに揺れ動いた時などに用いるようですね。

日本文化とわびさびの関わり

日常におけるわびさびの使い方がなんとなくイメージできたところで、日本の文化とわびさびの結びつきについて、その人物をキーワードにして調べてみました。

千利休の茶の湯における「侘び」

わびさびと聞くと、茶道を思い浮かべる方も多いかもしれません。その始まりとはどのようなものだったのでしょうか。

室町時代の貴族や武士の間で、中国の豪華な茶器 (唐物) を集める美術品鑑賞としての「茶の湯」が広まる一方、室町時代中期以後には村田珠光(しゅこう)・武野紹鴎(たけのじょうおう)らによって、簡素で静寂さを感じる道具を使って行う新しいお茶の礼式がつくられました。それが「侘茶(わびちゃ)」です。

村田珠光は「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章を残していて、満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも、雲の間に見え隠れする月の方が美しいと述べています。この文章にも表れているように、不足した美を楽しむ精神を侘茶の中で主張したのです。

こうした珠光の茶の湯をさらに深めたのが、当時国際的な商業都市だった堺の有力な町衆だった紹鴎で、彼に茶の湯を学んだのが千利休です。利休は人びとの心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯を目指します。また、自らの審美眼により数々の道具を創造するなど、それまでの茶の湯には見られなかった独創性を発揮して、侘茶を大成しました。

江戸時代になると、茶道における侘びは根本美意識と位置付けられるようになり、積極的に志向すべきものとして、茶人たちによってその意味や内容が規定されていきます。「侘び茶」という言葉が出てくるのも実は江戸時代です。

松尾芭蕉の俳諧における「寂び」

「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」「閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声」で有名な松尾芭蕉。当時、華やかさなどがもてはやされていた俳諧において、わびさびを織り込んだ芭蕉の俳句は大きな衝撃を与えるものでした。

芭蕉の弟子のひとり、向井去来(きょらい)は『去来抄』に「さびは句の色なり」と記しています。この、さびは俳句を詠んだ作者の心情に表すものとして、芭蕉も積極的に志向していたのです。

小堀遠州の「綺麗寂び」

「綺麗寂び」とは、江戸時代初期に小堀遠州(こぼりえんしゅう)が形づくった、茶道の美の概念です。小堀遠州は千利休や古田織部に茶道を学んだ武将・茶人で、豊臣から徳川へという激動の時代を生き抜き、茶道に彩り豊かな王朝文化を結びつけた新しい形を創造します。

明るい息吹を感じるあかぬけたその美意識は「綺麗寂び」と呼ばれました。生涯に遠州が開いた茶会の数は400回あまり。大名・公家・旗本・町人などあらゆる階層を招き、延べ人数は2,000にも及ぶと言います。

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わびさびの世界は、身近な自然から建築、茶道、文学に至るまで、幅広い分野で共有されてきた感覚なのですね。

世界へ広まる”Wabi-Sabi”

「わびさび」という言葉は英語でもWabi-Sabiで通じます。海外から訪れた人が旅行客が日本を表現するときや、日本文化を海外に紹介するときに言葉の代名詞のように用いられることもしばしば。では最後に、わびさびや禅を本を通して世界へ広めた方をご紹介します。

ひとりめは日本の思想家である岡倉天心です。”The Book of Tea (邦題:茶の本)”で日本の茶道について、禅や道教・華道との関わりとともに日本人の精神性を紹介しました。

ふたりめは陶芸家であり、日本の民藝運動にも関わったバーナード・リーチ。彼はその著書、”The Unknown Craftsman: A Japanese Insight into Beauty (邦題:英文版 柳宗悦評論集)”で侘びと寂びについて解説しています。

次はレナード・コーレンという作家・編集者です。彼は、著書”Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers (邦題:わびさびを読み解く)”という本で、それまできちんと明確化されていなかった「わびさび」という感覚を、モダニズムと呼ばれる近代的な思想との比較などを通して言語化することを試みた著書を発表しました。

4人目は鈴木大拙(だいせつ)です。彼は円覚寺の釈宗演(しゃくそうえん)のもとで禅を学んだあと渡米し、禅についての著書を20冊以上英語で執筆し、世界に知らしめた仏教学者です。”Outlines of Mahayana Buddhism(邦題:大乗仏教概論(だいじょうぶっきょうがいろん)”の執筆やハーバード大学やプリンストン大学などで、仏教哲学や禅思想の講義なども行い、「ZEN」ブームのきっかけとなった。

最後にご紹介するのは米アップル社創業者のひとり、スティーブ・ジョブズです。彼は禅に傾倒し、曹洞宗の僧侶を師と仰ぎます。彼の作った製品は洗練さを極めており、禅の影響を強く感じます。そんな彼の傾倒ぶりは、スティーブ・ジョブズ(ウォルター・アイザックソン著)などにも記され、その精神性が世界へ伝わることとなりました。

このようにして「わびさび」という概念が日本の美意識であるということが世界へ広まっていったのです!

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参考:小学館『新選国語辞典』第9版、小学館『古語大辞典』コンパクト版