Culture
2020.12.26

三が日に来なかったと怒る神様はいない。神社本庁に聞く「コロナ禍の初詣」とは

この記事を書いた人

「その人が初詣だと思った時が初詣ですよ」
考えてみれば当たり前の言葉なのだが、ものすごく腑に落ちた。

二度は経験したくない初詣のない正月

新しい年をどんな気持ちで迎えることができるのだろうか。終わりの見えないコロナ禍で迎える新年。これまで人生の中で「年が変わっても……」みたいなことは何度か経験したが、個人的なことではなく世間のすべてがこんなに陰鬱な年もまたないと思っている。海外旅行とか国内旅行のようなイベント的な外出だけではない、毎日、家を一歩出るたびに、いちいち緊張感を味わわないとならない重さは、冬の寒さも相まって陰鬱さを加速させるのだ。

数年前の長野県は大晦日から大雪。二年参りで遭難するところだった

「来年は、初詣は無理だね」
そんな話題が出るようになったのは、11月に入った頃から。ここ数年、ボクの初詣は決まって長野県は岡谷市の洩矢神社(もりやじんじゃ)である。

諏訪の古い神様である洩矢神を祀る神社。諏訪という地域は諏訪大社を中心に数多くの神社がある。多くは普段は無人で地域ごとに神社委員と称する係を決めて地域の人が管理している。大晦日の晩はどこの神社でも提灯を灯して焚き火をしながらお札や御守り、破魔矢を並べて待っている。午前零時が近づくと神社には多くの人が集まる。年が変わると、ところによっては、花火まで打ち上げてからみんなで揃って参拝し、新年の挨拶をするのが風習である。中でも、この洩矢神社はちょっと特殊でゲーム『東方Project』の聖地として知られていることもあってか、一種もの好きなゲームのファンが大晦日から参拝にやってくる。ボクも最初はどんな東方民が集まっているのかと思って様子見に訪れたのだが、気がつけば毎年出かけている。初詣を終えた後は、深夜にあちこちの神社を見て回るのがいつもの動きである。

しかし、今年はコロナ禍である。毎年10月の例大祭も他所から駆けつける人々は遠慮することにして、地元の人だけで営まれた。初詣もまた、その予定である。

不安な時にこそ神社には人が増えるのだけれども

不安な時代にこそ、神社に参拝を心がける人は多い。ボクは神田明神には、毎年の仕事始めに参拝するようにしている。確か、リーマンショックの年だったが、いつものように仕事始めに訪れた神田明神は鳥居の外まで行列できて警察が交通整理に追われる大混雑だった。そして、這々の体で参拝を終えて、破魔矢を求めたところ巫女さんは申し訳なさそうな顔で「売り切れてしまって……」というのだった。破魔矢の完売なんて、この時くらいしか聞いたことがない。人智を越えた災難がやってきた時には頼るものは神様しかいない。そのことを、破魔矢の完売は如実に語ってくれている。あちこちで神社の由来を聞くと「むかし、疫病が流行った時にどこそこの神様に来て頂いた」というのはよく聞くものだ。コロナ禍で、まだ新しく神社ができたという話は聞かないが、出口の見えないコロナ禍の不安で、もはや頼るものは神か仏しかない。

数年前、元旦の深夜に諏訪の杖突峠を超えて物部守屋神社に参拝したのだが、真っ暗闇すぎて撮れた写真はこれだけ

でも、三密を避けることはできない初詣は難しいから、どうしよう。

そんなことを考えていたら、ちょうど神社本庁から伝統文化セミナーの案内を頂いた。このセミナーは神社本庁が不定期に開催している主にマスコミ関係者を対象にした催しである。その時々に合わせて世間が求めている神社や神道の知識を教えてくれるというもの。前回は今上陛下の即位の礼と大嘗祭を前に、儀式の歴史を詳しく教えてくれた。そんなセミナーの今回のテーマは「初詣の歴史と各神社における感染症対策」である。まさに、いま世間の人たちが知りたいものが、そこにある。そう思って、早速参加することにした。
そこで初詣の歴史を講演した神社本庁総合研究部長の浅山雅司さんが語ったのが冒頭の言葉だった。

初詣というのは古くもあり新しくもある風習だ。平山昇さんの「明治期東京における『初詣』の形成過程」(『日本歴史』691号 2005年)などの研究では、現在行われているような初詣は、近代以降の鉄道の発達と共に発達したことが論じられている。ようは、初詣というものは、古来から決まったことがあるわけではなく生活様式の変化と共に、時代に合わせて変化をしてきたものなのである。近年、大晦日から元日にかけて、日を跨いで参拝する弐年参り(二年参り)をする人も多いが、これも大晦日に家に神様を迎えたり、神社に参拝する年籠もりのような風習が、交通機関の発達や生活様式の変化の中で、ちょっとずつ変化して普及してきたものといえる。

ただ、変わりないのは古来より新年を祝うという行事が日本では変わらず行われてきたということである。風習は各地で様々だが、大晦日に神様をお迎えする年籠りや、元旦に恵方にある神社に参拝する恵方参りなど、様々な新年の祝いがある。今でも地域によっては元旦は地域の人で集まって、国旗を掲げて万歳三唱をして新年を祝うところもあるという。こうした歴史を知ればわかるのは、重要なのは新年を祝うという部分であって、形ではないということ。つまりは、絶対にこの時期に、こういう形で初詣をしなければならないとならないわけではないことだ。

神社の作法は形にこだわらなくてもいい

冒頭で記した浅山さんの言葉には、神道のよい意味で宗教という言葉ではくくれない伝統ゆえの柔軟さが見て取れる。

後述する「変わらない祈りのために」キャンペーンですすめられている手水の作法

もっともよく見える形での柔軟さといえば手水舎だろう。今年、どこかの神社を参拝した人なら目にしているだろうが、多くの神社は作法である柄杓にすくった水で両手を清めた後に口をすすぐ部分を省略してよいと案内している。その省略の方法も様々で、柄杓を撤去しているところもあるかと思えば、春に取材の途中で訪れた岡山県倉敷市の羽黒神社では宮司さんが自作したというペダルを踏めば、水が流れてくる竹製のピタゴラスイッチみたいな装置があって、ちょっと感動してしまった。こうした参拝者への気遣いは、コロナ禍の不安の中でむしろ神社への親しみを深くしてくれているような気がする。

柔軟さの点でいえば、浅山さんはこんなことも話した。

「それでも気になるようなら、家を出る時に手を洗ってくれば問題ないでしょう」

京都の八坂神社では、さらに一歩進んで参拝の際に鈴を鳴らす紐を撤去し、代わりに手をかざすと鈴の音が鳴るようになっている。このこともまた重要なのは、決して形ではないことを教えてくれる。

お賽銭は現金書留で送ろうか

ただ、この話を聞いていてボクはちょっとだけ心配したことがあった。地域の氏神さまと共に毎年正月には参っていた洩矢神社。そのほかにも、神札を頂き崇敬している神社がいくつかある。このコロナ禍では、そうした神社にお参りするのもなかなか難しい。ボクは今年も多くの神社に出かけたが、神社が目的で出かけるということがまったくなくなってしまった。

大晦日から神社で待機しているのも楽しいけれど、やっぱり寒いよね

取材のついで、それもウイルスを恐れながらの道中で参拝していることばかりである。そんな状況だから、きっと初詣を過ぎてもなかなか足が遠のくという人も多いだろう。良くも悪くも神社の台所に初詣やなにがしかの行事に併せた参拝客のお賽銭が欠かせないのは事実である。そうした参拝客がごっそりと減ってしまえば、崇敬している神社も大変なことになってしまうのではないかと、心配せずにはいられないのだ。

そんな心配にも浅山さんは明解な回答をくれた。

「次に訪れた時に<前回の分です>ということでまとめて参拝をすればよいですし、お賽銭を現金書留で送ってもよいですよ」

お賽銭を現金書留で送るという発想はちょっと思いつかなかった。でも、多くの神社では遠方の人に向けて神札や御守りのような授与品の郵送頒布をおこなっている。そこの幾ばくかお賽銭のぶんも含めればよいのだと思った。

コロナ禍でより人々が頼りにするであろう神社の側で対策に向けた努力は続いている。このセミナーでは埼玉県神社庁が実施している「変わらない祈りのために」キャンペーンも紹介された。埼玉県神社庁では、専門家の監修によるガイドラインを作成。その上で、氏子や崇敬者に向けて、マスクの着用や御祈祷の事前予約など感染対策を呼びかけるチラシやポスターも頒布している。このキャンペーンを解説した埼玉県神社庁参事の武田淳さんによれば、同神社庁のサイトでも頒布しているチラシやポスターは連絡先部分を空欄にしてあるという。ようは、全国の神社が共通して、コロナ対策に使えるようになっているのである。

「変わらない祈りのために」キャンペーンのサイトではポスターやチラシ、動画などどこの神社でも使える素材がダウンロードできる

既にいくつかの神社では、前倒しで新年の破魔矢を頒布したり、コロナ禍に対応した動きを始めている。初詣というのは、正月を迎えて三が日か仕事始めの日に揃って出かけるもの。縁起物は、その時に頂くものというのが、半ば常識になっていると前倒しには、いささかの違和感を持つのは禁じ得ない。でも、それもまた時代に合わせて臨機応変に対応すればいいものだ。むしろ、時期をずらして早朝とか人の集まらない時間に参拝したほうが、じっくりと心安らかに自分の初詣を楽しめるはずである。

そう、古来から古く行われている参拝の方法として、その神社のある方角を拝む遙拝というものもある。だから「コイツ、三が日に初詣に来なかった」なんて怒る神様は日本にはいないだろう。

だから、今年はちゃんと年末に神棚を清めて、元旦はそこに手を合わせ、衆生が永らえていることを感謝しながら、のんびりと過ごそうと、ボクは決めた。

このところ毎年、初詣の途中に寄っていた岡谷市のゲームセンターの年越しそば。これも今年は味わえないのか……残念。来年はいけるといいな

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。