Culture
2021.01.08

常識が瞬く間に崩壊した2020年。コロナ禍のいま考える、深夜営業という存在

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この一年で生活習慣がガラリと変わったという人は多いのではなかろうか。そう、コロナ禍で。

これまで疫病といえば歴史の本に書いてあることか絵空事くらいのものだった。『アウトブレイク』や『感染列島』のような疫病を題材にした映画はいくつか作られてきたけれど、あれはあくまでフィクション。だから、数時間でめでたしめでたしと終わるが現実はそうはいかない。かつて日本でも疫病は日常のこと。今年も取材で様々な地域の歴史を調べたが、かつて岡山がコレラの流行地帯だったとか、熊本が赤痢・疫痢の町として恐れられていたことなど、もはや地元の人も覚えていない。

そうした疫病を駆逐してきたのは、医学の発達だけでなく上下水道の整備や清潔な暮らしが病気の予防になるという常識が広まったためでもある。つまり、コロナ禍以前より冬になると勧められていた手洗い・うがい、それに家の周囲を掃除して綺麗にするなんてことも、もとは病気にかからないための清潔な暮らしを求める中で根付いてきた生活習慣といえる。

歴史の本では論じられていた疫病は戦争と並んで人々の生活を大きく変えるものということ。それが、まさに起こっている現在、我々は歴史の変動を体感しているといえる。その点ではコロナ禍で気落ちするだけではなく、今、この時代に生きていることの意味まで考えてしまうのだ。

夜に店が開いているだけでワクワクした時代があった

さて、そんな生活習慣の変化でもっとも大きいのは帰宅時間が早くなったことではなかろうか。都内で飲食店の午後10時以降の営業自粛が呼びかけられるようになってからも、取材があるので夜中に出かける機会は多い。するとどうだろう。夕方の時間帯は少し混んでいる感じがするが、午後10時を回ると電車はどの路線も空いているように感じる。いや、もちろんすべての路線に乗っているわけではないが、明らかに以前よりも乗客は少ない。このことは、明らかにこれまでの常識を変えようとしている。どんなビジネスでも、遅くまで、あるいは深夜まで、はたまた24時間開いているのが当たり前という常識を、である。

おおむね夜の街というのは、いつでも楽しい

 
日本人の生活を夜型へとシフトさせたのが、コンビニであることは間違いない。コンビニが全国で店舗数を増やし始めた時代、誰もが24時間いつでも営業しているという業態に心を躍らせた。

 
ビデオでも借りようと、深夜の散歩に出かける。午前2時の真っ暗な通りに、ふと目につくのは、異様なほど明るく電気の輝いた24時間ストア。引きつけられるように店に入り、買う気もなかった雑誌と缶コーヒーをレジに持って行き、そして、なぜか、ホッとする。
このお店、僕らの思っていた以上に、生活必需品なのかもしれない……。

(『週刊宝石』1988年4月15日号)

最初のコンビニが1969年大阪府豊中市にオープンしたマイショップか、1971年愛知県春日井市に出来たココストアか、はたまた1974年のセブンイレブン豊洲店か。コンビニエンスストアという業態をどう定義するかによって第一号をどれにするか説は様々である。

いずれにしてもそれから10年ほどで、コンビニの数は急増した。1987年時点で全国のコンビニ店舗数は3万3650店舗。各店舗のシェアは1988年時点でセブンイレブン48%、ファミリーマート17%、ローソン26%、サンチェーン11%(『週刊サンケイ』1988年3月31日号)となっている。とりわけ、コンビニがウケたのはいつでも食べ物を買えることだった。1988年には、弁当・おにぎりの売上ではコンビニが市場シェアの3.3%を征して1位に浮上。さらに、スナック・菓子でも市場シェアの2位、ラーメンなどのレトルト食品や、飲料、雑誌なども多くがコンビニで購入するものへと変化している。コンビニが一気にシェアを伸ばした背景には早い時期からのPOSシステムの導入があった。現代では当たり前のものだが、レジで精算する時に店員が客の性別や年齢のボタンを押すシステムは当時としては革新的だった。これをいち早く導入したセブンイレブンは客層や時間帯別の売上まで、膨大なデータを持っているとして注目を集めた。同業他社でも同様のシステムの導入を企図し、コンビニは小売業界の最先端をいく産業となっていた。

コンビニで電気料金が支払えるだけで驚かれた時代も

当時の雑誌記事を読んでみると、1980年代後半になると、コンビニは、急速に取扱商品を増やして文字通りの「便利店(余談だが、中国語でコンビニエンスストアは便利店である)」となることを目指していたのがわかる。とりわけ、コンビニ各社が狙っていたのが各種の代行業である。電気・ガス料金などの公共料金の払い込みの取り扱いはもちろんのことJRの切符や各種保険の加入手続きまでもが可能になったのである。

東京はずっと眠らない街だったわけではない。昔は正月に開いている店なんかなかったといっても信じられない時代だけど

こうした代行業の最初は、セブンイレブンが1987年に始めた東京電力の料金払い込みであった。当時、電気料金の支払いに請求書払いを利用していたのは全体の16%にあたる288万世帯。その支払い方法は銀行か郵便局、あるいは東京電力の窓口しかなかった。当然、支払いに遅れる世帯も絶えなかった。そこで、東京電力は関東に当時1200店舗という高密度で存在し、かつPOSシステムによって翌日には支払い情報が手に入るセブンイレブンに目を付けたのだ(『DIME』1988年7月7日号)。これは図にあたり、金融機関や窓口が利用できない休日や深夜に料金を支払うために来店する人は急増。1988年3月からは東京ガスもコンビニでの支払いを導入。さらに、1989年2月から金融機関が完全週休二日制が導入されると、公共料金の請求書払いは完全にコンビニが主体となっていく。今では、公共料金を支払うことのできる窓口そのものが、ほとんど存在しない。

デパートが会社帰りに開いているのが驚きだった時代も

コンビニが牽引する形で「うちのも夜遅くまで開けてはどうか」と考える業界は増えていった。なかでも変化を牽引したのはデパートである。もともとデパートというのは午後6時で閉店するのが長い間の常識であった。その変化が始まったのは、1986年のこと。この年の9月1日から銀座・有楽町界隈では三越・西武・阪急・そごうが、営業時間を延長し午後7時閉店を導入している。これに続いて、銀座松屋も10月から閉店を午後7時に延長。この動きは都内全域に広がり1987年の夏までには、都内ほとんどのデパートが営業時間を1時間延長して、午後7時に改めている。 

これは都会のライフスタイルを敏感に感じ取ったものだったが、当時、営業時間を延長するのは簡単なことではなかった。デパートや量販店などの大型店舗は大規模小売店舗法(大店法)によって、営業形態を厳しく規制されていたからだ。2000年まで存在したこの法律は、中小の小売店舗を保護することを目的としたもの。大型店は出店の際に、審査を受け開店日・店舗面積・閉店時刻・休業日数を調整するものとされていた。だから、営業時間を1時間延長するだけでも、地元の商業関係者や学識経験者、消費者によって構成された商業活動調整協議会(商調協)に届け出て審議した上で許可を得る必要があった。

新宿もさすがに朝方はちょっと眠っていると思う

こうした手続きを乗り越えて実施された、営業時間の延長。当初は、売上はなかなか伸びなかったとされるが、次第に遅くでもデパートが開いていることが認知されるようになると客足は次第に増加してきた。
そうなると午後7時でも「早すぎる」という声も増えた。また地方都市では大店法の規制を逃れる郊外で深夜営業を行う大型店も増加していた。そのため、どこの都市でも営業時間を延長することを求める声は増えていた。

こうした社会の変化を受けて1994年5月には大店法が改正され、閉店時間を遅らせる場合に届け出が必要な時刻を午後8時以降とされる。これを受けてターミナル駅周辺のデパートでは午後8時閉店が増えた。この改正では営業時間と共に休業日の数も緩和された。それまで44日以上と決められていた年間休業日が24日以上に変わったのである。この結果、広まっていったのが定休日の消滅であった。それまでデパートに限らず大抵の店舗というものは定休日があるのが常識だった。そんな常識も次第に塗り替えられていったのである。この後、大店法は2000年に廃止され、新たに大規模小売店舗立地法(大店立地法)が施行されると、大型店舗への規制はさらに大幅に緩和される。この緩和によって郊外に巨大なショッピングモールは出現することになる。

一方で、徐々に進んでいた夜型営業も、この時期からあらゆる業態へと拡大している。それまでの小売業のみならず、歯医者や美容院など、あらゆる業種が夜中でも開いているもの、年中無休で、ともすれば元旦でも営業しているものになっていったのである。

コロナ禍で変わる夜型の都市生活

こうして、気がつけば当たり前になっていた、いつでもどこでもの常識が瞬く間に崩壊したのが2020年だった。でも、その中で我々は、次第に気づいているのではないか。別にあらゆる業種が24時間開いてなくても、あまり問題はないのではないか……。
実際、深夜営業の自粛が最初に呼びかけられた春頃には、ちょっとイラっとしたものだが、それも今では慣れている。むしろ、なんでもすぐに手に入るような常識は、待つことへの耐性を奪ってきた。コロナ禍は確かに、そんな生活を劇的に変えている。

どんな街でも必ずコンビニだけは営業している常識も決して長い歴史ではない

2017年に『1985-1991 東京バブルの正体』(マイクロマガジン社)を書いた時に、1980年代のことを徹底的に調べ尽くした。
その時代から僅か30年あまりでライフスタイルの変化はあらゆる面で著しい。
その後、ボクの興味は1990年代へと進んでいるのだが、よく覚えているはずの1990年代ですら朝起きてから寝るまでの生活は、今とはまったく違うものになっているような気がする。
歴史は常に変化を続けるもの。日々の生活ですら同じということはまったくないのだから。

またコロナの感染が拡大する冬を越えて東京はどんな夜を迎えるのか

書いた人

編集プロダクションで修業を積み十余年。ルポルタージュやノンフィクションを書いたり、うんちく系記事もちょこちょこ。気になる話題があったらとりあえず現地に行く。昔は馬賊になりたいなんて夢があったけど、ルポライターにはなれたのでまだまだ倒れるまで夢を追いかけたいと思う、今日この頃。