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2021.01.19

人間の能力は使わなんだら退化する。日本遺産・井波彫刻「南部白雲」のハングリーなモノ作り【富山】

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私事で恐縮だが、富山県を離れることになった。
かの地で過ごした期間はおよそ1年半。

思えばちょうど4年前。本州を飛び出し北海道へ。わずか2年半という短い期間だったが、異国のような北海道のとある町にいたからか。再び本州へと舞い戻ったときの高揚感は、今も忘れられない。

純和風の日本家屋を目にしたときの、得も言われぬ懐かしさ。そんな「ザ・日本」を思い出させてくれたのが、この「富山」だった。それなのに、あっさりと離れるなんて。自分でも信じられないくらいである。

ただ、名残惜しいかといわれれば、そうでもない。富山県を拠点にして、福井県、石川県と、北陸地方を行き尽くした。だから後悔もない。

ただ、1つ。
どうしても、富山県を離れる前に行きたい場所があった。
それが、木彫刻のまち「井波(いなみ)」である。

井波彫刻の始まりは江戸時代中期。
井波にある「瑞泉寺(ずいせんじ)」の本堂再建に、京都本願寺より御用彫刻師が派遣された。その際に、地元大工らが参加して、彫刻の技法を本格的に習ったのが「井波彫刻」の始まりだ。

そんな古い歴史を重ねてきた井波彫刻だが、平成30(2018)年5月24日に「日本遺産」に認定。特に、100軒以上の彫刻工房が軒を連ねる井波の「八日町通り周辺」は圧巻。

そこで、今回は、井波彫刻の町を歩きながら。
富山県で過ごす生活の最後に。
どうしてもお会いしたい方を訪ねてみた。

※冒頭の画像は「南部白雲木彫刻工房」の作品です
※店内の写真は、承諾を得て撮影しております

贅沢すぎる⁈歩くだけで井波彫刻に触れられる「八日町通り」

北陸自動車道砺波(となみ)インターから車で15分のところ。ひっそりとたたずむ「井波」のまちを訪れた。

まずは、駐車場に車を停めて。ふと、目に入ったのがコチラ。

あいにくの曇り空で非常に残念。バックが青空であれば、かなり映えること間違いなしの看板である。

さて、信号を渡って向かいは、ようやく「八日町通り」の出発点。
と思いきや、入口でまたもや足止めを食らう。

なかなか、この井波。手強いぞ。
この調子でいけば、あっという間に日が暮れる、そんな取材泣かせのまちなのかもしれない。気を引き締めて…と思うのだが、そぞろ歩けば、つい、うっかり。古き良き日本の伝統を肌で感じつつ、そうして時間を忘れてしまうのである。

読者の方にも、同じ時間をかけて頂いてと思うのだが。
それではあまりにも申し訳ないということで。早送りして一気にご覧頂こう。

八日町通りの入口にある説明「神が微笑む道」⁈

確かに、至るところに彫刻が…。コチラは「弁財天」

井波の石畳の町並み

「日本遺産」に認定された「井波」。
あの井波彫刻を、まさかの、そんな使い方で…。
それってアリなのかと突っ込みたくなるほどの「贅沢さ」。一目見て、つい苦笑いしたモノをご紹介しよう。

なんと、バス停も井波彫刻? 立体的な龍がたまらない

町内会の看板も…ご立派な龍が一睨み

さらに、この「八日市通り」では、木彫刻が至るところに置かれている。特に「ネコ」は、宝探しのよう。観光用のマップもあり、探索しながら、1つずつ発見するのも楽しみの1つだろう。

ネコ探し初級編 なんともこの無表情がクセになる

コチラは上級編。いなかまんじゅうを販売する「よしむら」の店内。じつは、観光用マップにはない隠れキャラなのだとか

コチラも上級編。わざわざ、告知までされているのだが、無念にも発見できず…

お店の人に訊いてようやく発見。なんと、上でした。それも予想外の場所

さて、先ほどのネコ探しの上級編。2匹のネコに振り回されたのだが。
一体どこのお店かというと、ギャラリー&珈琲「瑞庵」。
じつは、ネコよりも先に、目が釘づけになったのが、コチラの看板。

ギャラリー&珈琲「瑞庵」のキュートな看板

知り合いの彫刻師に頼んで作ってもらったのだとか。実際にリクエストしたのは「ウサギ」のみ。しかし、出来上がってみれば、鳥獣戯画を思わせる、この取り合わせ。

彫刻師のユーモアが憎らしい「ウサギ」と「カエル」

コーヒーカップの中まで。じつに細かいところまで表現されている

こんな具合で、約束の時間まで、たっぷりと「八日町通り」を堪能した。
富山県を訪れた際には、是非とも少し足を伸ばしてみてはいかがだろうか。ちなみに、時間は想定よりも長めに。プラス1時間は確保することをおススメする。

全ての彫刻には意味がある

さて、本題へ。
この記事の冒頭で、「どうしてもお会いしたい方」と書かせて頂いた。

じつに、井波には多くの工房がある。その中で、北陸地方の最後の取材として、無理を承知で交渉をさせて頂いたのが、コチラ。

「南部白雲(なんぶはくうん)木彫刻工房」である。

明治31(1898)年より3代にわたって「井波彫刻」を生業としてこられた、こちらの工房。既に120周年を迎えたという長い歴史のある工房だ。今回は、その三代目「南部白雲」氏のもとを訪ねた。

三代目南部白雲氏

何から質問しようかと、あれやこれやと考えているところで。
いきなり、唐突に、話が始まった。

「今も構想を練っとって。こう写真に落とし込んで、これはラフ」

実際の写真に描かれたラフ画

いやいや、ラフと言われましても。まずもって見事。そんな精緻な図案に目を奪われている間に、どんどんインタビューが進んでいく。

「お寺さんと、まずイメージを共有せなあかんですから。ここのお寺さんは、日本の中でも最初の『鉄筋造り』のお寺さんなんですよ。東京の。都会のど真ん中のところで、珍しい。100年前に建った鉄筋の建物ですよ」

鉄筋のお寺とは珍しい。
白雲氏は、そのお堂の唐狭間(からさま、社寺にある大欄間のこと)を任されたのだとか。

「曹洞宗のお寺なんですが、曹洞宗の道元、釈迦を入れたいと。両横には何十階もの高層ビルが建っていて。この寺を極楽と見て、その両横に高層ビルの蓮(はす)の花が咲いている。寺は都会のオアシスみたいな感じにと。そういうコンセプトを持っておられたんで、それでどうすればいいがやなと。ちょっと見た感じ、鉄筋は冷たく見えるもんですから」

まずは、コンセプト。
寺自体がもとより「極楽」の位置づけなのだから、と。
「蓮を立体的なものにして、温かく心地よくせなあかんと。だから、材料はクスでしょうと」

いまいち、ピンと来ない。なぜ、クスの木なのか。
「クスは香りがするんですよ。香木なんで。ケヤキの場合は匂いのする木ではないが、見栄えがいい。豪華に見える木。クスはどっちかというとマット調な感じだが、匂いがする。香木なので、そっちの方がいいかなと」

もう、この時点で驚いた。
ただ、見事な細工を彫ればいいというワケではないのだ。材料からこだわって。コンセプトに沿って、木の種類を選ぶ。彫刻そのものに、そんな意味合いが込められているとは。一般人からすれば、全くもって想像もつかない。

「蓮は、汚い沼地でも染まらずに綺麗に咲く。その蓮がいっぱいあって。『立体的な蓮』をつければいい。それに、香りもということで、クスを使えば実際に香りもするんで。音もするから、雅楽に使うような楽器みたいなものを蓮の中に散りばめたら。経典も散りばめたら面白いかなあと」

話を聞いているだけで、そのワクワク感が伝わってくる。どうすれば、寺の意向を汲み取ることができるのか、コンセプト以上にしっくりくるモノを追い続けているのだ。まさしく「探求」という言葉が、ふと浮かび上がってきた。

一方で、そんな夢想だけでは彫ることができない。
その裏には、入念な下調べを怠らない姿も。曹洞宗といえば、福井県にある大本山の「永平寺(えいへいじ)」が有名。依頼を受けた寺ではないが、当然、この曹洞宗の大本山まで足を運ばれたのだとか。宗派ごとに重要視しているものが異なる。そのために、教義に合うかどうかの調査も必須なのだという。

永平寺町の町並み(福井県)

「どうせなら、(彫刻を)見ながら説法もできたらと。これはムラスズメといって、寒くなると群れになるんですが。それは1つの社会を作りますから。それを食べようとする鷹がおってもいいかなと。弱肉強食じゃないけど、人間は何かを食べていかないと生きていけない。何かの命をもらいながら、次の命へと繋げる。そういう物語にしていきたい」

だからといって、彫刻ばかりでは困る。余白を空けることにも余念がない。日本の美の中には、余白をうまくいかせる文化がある。そう、白雲氏は話す。

「キジを置いて、親子にしていきたいなと。そうすれば親子の話ができる。ここに、シイタケを。曹洞宗の中には、有名なシイタケの話が出てくるもんで。反対側は水を入れようかと。つがいの水鳥。狩野派の絵の中では、鳥が舞い込む方を縁起が良くて、枝は外へ伸びるような形式がある。だから、スズメの場合は、こっちから枝が出るようにして、鶴の場合はこちらに向かって枝が伸びるようにと」

もう、この話だけで、どれほどの彫刻を施すのだろうかと、気が遠くなる。それにしても、枝の向き1つにもこだわりがあるとは。見ている側は、ただ「綺麗」や「立派」、そんな彫刻の複雑さを基準に、偏ったモノサシで見ることが多い。作り手の意図を考えて見る。本来ならば、そういう見方をすべきなのだろう。

「かなりボリュームのある仕事になりますから。一応、5年かかってもいいという話やったんです。うちらの仕事は大体、何年単位ですから」

大工さんとの寸法取り。それを図面化して、どう落とし込むかを考える。並行して、彫る内容も調べる。予備知識がなければ、先方と話をすることもできない。ただ、この時点では、まだ図面にもならないという。模様を描く場合は、時代考証も必要だからだ。装束など、その時代に合ったものを調べて、初めて絵になる。絵が完成して、初めて彫りができる。非常に、時間のかかる仕事なのだと、十分理解した。

実際に、図案が確定した別の案件を見せて頂いた。

3羽のバージョンの「鳳凰」

「これがお寺の中心部分。『鳳凰(ほうおう)』は霧(霊泉)だけを飲み、竹の実しか食べない。立派な君子が生まれたときに現れる瑞鳥。全部霧にすると面白くないから、中央は霧、周りは雲。雲と霧が半々にして、段々霧になる。2羽いますが、全部2羽にすると変化がない、ワンパターンになるので、ここは1羽。ここは3羽。色々、多少変化をつける。自分の場合はそうしている。その時の思いつきで、手から出まかせにこう書いていく」
「手から出まかせ」のレベルになるには、どれほどの月日が流れたのか。言葉もそうだが、言葉ではないところから、南部白雲氏の職人魂を感じた。

モノづくりの基本はオーダーメイド

雷門で有名な東京・浅草の浅草寺。
令和2(2020)年6月13日。この寺に総重量700キロの大きな扁額が奉納された。「施無畏(せむい)」という言葉とその周りに施された見事な彫刻が、本堂を飾る。この言葉の意味は、畏(おそろ)しい事の無い世の中にしたいという観音様の御心を表したものだとか。

この浅草寺の扁額を手掛けられたのが「南部白雲木彫刻工房」。じつは、私が白雲氏を知ったのも、この浅草寺の扁額がきっかけだ。「施無畏」という言葉1つから、どうしてあんなにもストーリー性のある彫刻が生まれるのか。実際にお会いしたい、話を聞いてみたいと強く思ったのである。

「全国各地からご依頼がある。数は全くできませんから、たまたまご依頼があって縁のあったところと、仕事をするという感じですね。うちの場合、リピーターが多いですから。これも、浅草寺の鐘の橦木(しゅもく、お寺にある鐘をつく棒のこと)。獅子を作ってつけようかと。これはイメージ。段々絞りこんで。獅子の形を決めないと彫れないですから。」

「橦木」のイメージ図

そんな白雲氏の考え方は、非常にシンプルだ。
依頼があって作る。
「もとより、モノ作りは、必要があるから作る。オーダーメイドが基本」

確かに、そうだ。いつの間にか、私たちの生活は、必要となる前にモノがあることが前提となっている。大量生産で、その中から自分に合うものを選ぶ。ただ、本来は、需要があってこそのモノづくり。欲しい人の話を聞いて作る。こういうモノが欲しいと。その声を聞いて、アイデアが出てくる。これがモノづくりの大原点なのだ。

「つい、オーダーメイドと聞くと、アホみたいに贅沢な感じ。けれど、予算がなければないで、それに合わせて作る。これも方便。手間暇かからんと安い素材で作ることもできる。大事に大事に使うようにすれば、作る者も悪い気はせんし。根本的に価値観が違うんかなと。ワシらがずれてるんかなあと思えてくる。つい100年、200年単位で物事を考えてしまう」

実際に、浅草寺の橦木が出来上がっているという。有難く見せて頂いた。

彫刻師との打ち合わせ中

参拝者が下から見ることを想定して、獅子の視線が斜め下を向いている

先ほどの図案が現実となった橦木

それにしても、言葉など何の役にも立たないと痛感するほどの、迫力。どこに、そんな不思議な力が宿っているのかと思うほどである。1つ1つの表情が生き生きとしているのはもちろん。これまで、どの社寺でも見たことのない橦木が非常にユニークだ。

「徒弟制度」で垣間見えた職人の神髄

さて、今回、お聞きしたかった項目の1つに、井波彫刻の「徒弟(とてい)制度」がある。住み込みで技術を習うことができるこの制度。実際に、こちらの工房でも、1人の徒弟さんをとられているという。

「仕事でいえば、うちはブラック企業。休みもほぼないし。でも、わしは違うと思ってる。それは労働省の概念。仕事をやりこむ時期がある。何が何でもそこに集中する時間が必要」

この井波彫刻の業界では、「5年」という期間が決まっている。個人差はあるが、5年間の修行で技術を身につけたら、あとは自由。裏を返せば、だからこその5年間。この見習い期間がモノをいうのだ。習い覚えるときに、なんとしても技術を叩き込まないといけない。それは教える人も同じ。

「徒弟制度は、モノを覚えるには、すごい重要な制度。それは理屈やない。職人仕事は体で覚える仕事やというのが頭にあるんで、自分らもそういう育てられ方してきたし。それは正しいと思うけどね」

南部白雲木彫刻工房の作業場

技術は身につく。その代わりに休みが少ない。
ワークライフバランスを重視するこの時代。なかなか、今どきの若者には厳しい状況なのかもしれない。ただ、白雲氏と話していると、厳しい中にも、相手のことを本当に思っての「愛情」が感じられる。

「うちの場合は、休みの少ない部分をまとめて一定期間取る。ただ、まとめたこの時間は、休みじゃないよと、自分のモノを作れと。この仕事場で。いつもやったら、これを作れ、あれを作れと言われるけど、自分のモノやったらゼロから作ることになる。材料くらいなんぼでも出すでと」

このまとまった休みの期間、周囲は普通に仕事をしている。
「周りが休みだったら、自分だけ一生懸命やるのはなかなかへこたれる。きついもんですよ。自分を律するのは大変ですけれども。周りが労働していれば楽にできますよ。そういうところの戦いのハードルがラクになる。最終的に、やっぱり血になるし肉になるからね。わしはそれの方がいいと思とるけどね」

時代と共に作るモノも変化する。性格も違うから。作るモノが違って当然。そんな個性を引き出すために、ゼロから作らせるのだという。受動的ではなく、能動的であれ。そんな環境が用意されているのだ。

そこまでして、白雲氏が教え込む理由は1つ。
まさに、それが井波彫刻での生き残る術だからだ。

じつは、コレができたら1人前という明確な基準がないという。だからこそ、5年後に、技術が至らない場合は、仕事が自動的に来なくなる。つまりは、干されるのである。もちろん、新たな方向性を模索して、新たな世界を作る可能性もある。ただ、白雲氏には、ここでも1つの持論がある。

「努力によって可能性はある。でも、わしは、最終的には色々個性でも。基本というもんがある。わしは、基本をすごく重視しているんで」

三代目南部白雲氏

じつは、こちらの工房、鑿(のみ)の研磨機がない。ほとんどの井波彫刻の工房では、研磨機が使われているのだとか。しかし、わざと、研磨機を置かないのだという。
「若い時からすぐ、研磨機を使う。鑿を1本持ってきて、ペッてやったら砥げる。効率的には誠にいい。それで、仕事の中で8割から9割は間に合うんですよ。ただ、研磨機では、この鑿の持っている100%の力が出し切れない。いざという時には、手できちっと砥いだものがいるんですよ」

鑿を砥げるようになった者が、機械を使うのはいいという。ただ、初めから使うのは違う。若い人を育てる家だからと、自分の労も厭わず置かないのだと。

この考えは、自身の経験から裏打ちされたもの。不便だからこそ、その分、違うものを得ることもあるという。

例えば、チェンソーと鋸(のこぎり)。
「(チェンそーが)自分らにはない時代やったから、大きい鋸で引いとった。そうしたら、よく木の目を見るんですよ。引きにくいか引きやすいか。1つ間違えると最後までダメになるんで。もう、慎重になるんですよ。木の見方が自然に厳しくなる。今は、縦でも横でもすぐに切れますから。木の見方が甘くなりますよ。木は変わっとらんが、こっちの目が変わっとる。一概には言えないですけど、便利さは、結構人をダメにすることがあるんですよ」

白雲氏曰く、職人は勘を研ぎ澄ますようなことをする仕事なのだとか。
「人間ってスゴイ能力を持っているけど、使わなんだら退化すると思う。使ったら逆に進化していく。手を動かすけど、足の指はそんな上手に動かせないでしょ、けど、赤ちゃんは動くらしいね。本来の能力を持っとるけど、使わないから退化する。職人仕事も、必要な能力を引っ張り出すのは、訓練しかない。私はそういう気がする」

「三代目南部白雲」の驚くべき頭の中とは?

こうして、南部白雲氏との2時間にわたるインタビューは、佳境へと。
最後は、もう、作品のオンパレードである。

じつに驚いたのが、そのアイデアの源。
一体どこから湧くのだろうかというほどの多様性。正直、彫刻師は、彫るのが仕事。そんな勝手なイメージをもっていたのだが。白雲氏の頭の中は、びっくり箱のようだ。何が出てくるかわからない。連想が連想を呼び、全く違うアイデアに繋がる。

「彫るも、図案描くのも、どっちが大切というよりも。映画を1本作るのに、監督さんも、役者さんもいるわけでしょ。台本も必要。それをまとめて、初めていい映画となる。どっちもいるんですよ。ある意味、自分らは、役者上がりの監督やっとるみたいなもんかもしれん」

白雲氏の発想力は、樹木のように枝分れしていく。
縦横無尽に広がる、そんな印象だ。

「浅草寺のおみくじ。獅子の口から出た方が面白いということで。大きすぎて、ちょっとサイズを小さくして。最終的に壊れないようにと」

浅草寺のおみくじ箱の図案

浅草寺のおみくじ箱

獅子の口からおみくじが飛び出る予定

「これは、カボチャの馬車。楊枝(ようじ)入れ。難産やった。自動車屋さんなんで。形が決まらんで、アイデアが出てこんで。もう、蹴とばしたくらい。何か月か放置しては、頭から離れんかった」

そんな苦悩の末、出来上がったのが、嘘のような真の「カボチャの馬車」。

カボチャの馬車の楊枝入れの図面

「自動車の形にすると、マニアックな人は、この形は何年式だから形が違うとか。それはまずいかなあと。ちょうど、天皇陛下のパレードを見てて、馬車にしようと。でも、馬車にもいろいろあるから、ある人と話ししてたら、カボチャの馬車っていう話が出て。そうか。カボチャにすれば、車種がおうてるとかおうてないとか言われんでもいいなと」

カボチャの馬車にある隠し文字

「これでは、まだオリジナルにならない、どうにかせななと。『石黒自動車』という名前やったんで。四ツ石車という紋。もとより、お寺やお宮の敷石を表しているところからきている。黒は、『久』と『路』を崩して。隠し文字を入れた。文字を模様みたいにして。これ、くるくる動くんですよ」

さらに話は続く。
「これは、今作っているもの。新社屋を作られるんで。ロビーのモニュメント」

モニュメントの図面

「コンセプトを作ろうと。『共生』。山を崩して自然を破壊するイメージがあるから、うちは違う、自然と共に生きるというコンセプト。藤の花を天井から垂らそうと。2メートル30センチもある」

現実化したもの(一部)。圧倒的な重厚感

近くで見た「藤の花」の彫刻

「そこに、いろんな虫をつけようと。虫だけはできた。こういう虫を作って。これも彫刻なんですね。色、塗っとらんがですよ。色の違う木を合わして。羽だって同じ黒でも少し違う。これは、本物の玉虫の羽を使ったもの」

全て彫って作られた「虫」

木の色だけで表現されている

木が継がれたところ

「コレが天井につく。何個か木をくっつけて。別の木を足しておるんです。この中も見えないところで外れないように細工がしてある」
ちなみに、製作期間は大体、100日前後だとか。

それにしても、一体、このアイデアはどこから来るのだろうか。

「頭の中で話をしとって。いい加減なことをこうして話していて。しゃべりながら、お客さんのリサーチが入ってるんですよ。何を好まれとるんかなと、引っ張り出すことが、結構、作る時には大きく影響してくる」

だからだろうか。
信じられないことに、作り手自体、何が出来上がるかが分からないという。
「お客さんからのテーマ、条件によって。思いもつかんもんを作る。出会いによって作る。みんな違いますから、自分も何を作るか分からんです。どの人が何を言うかわからん。どんな人と御縁があって何を作るか分からん」

最後に。
念願の白雲氏とのインタビューを終えて。
印象に残ったコトを書き綴ろう。

南部白雲氏から感じるもの。
それは、驚くほどの飢餓感だ。

じつは、井波では、一時期、彫刻師の人数が最盛期では300人ほどいたことも。どうやら、住宅の欄間の需要があってのことだという。ただ、需要があれば、人は、効率を求める。つまり、図案を描かずに、そのまま同じものを彫り続ける彫刻師も出てきたのだとか。

「大量生産化して、図案を描かなくなる。そしたら、隣のうちも向かいのうちも同じ欄間という結果に。誰もいらないですよ。職人からいえば、アイデアを作る仕事はしなくてよい。そうなると、絵を描く訓練をしないものだから、今度は空間とか余白とか、バランスの感覚が薄くなる」

こうして現在では、彫刻師は200人弱にまで減ったのだとか。
この現状を踏まえてのこと。だからこそ、白雲氏の言葉には、非常に重みが感じられる。

「職人も、あまり仕事があり過ぎると。腹いっぱいで眠たくなる。ダメになるんですよ。腹減っとることがいいと思いますよ。一生懸命したら次の仕事がもらえるというくらいが一番いい。ハングリー精神が必要なんです」

便利な世の中が「神」。
いつしか、人は、結果や効率だけを思い求めることに。振り返れば、じつにそんな生き方をしてきたように思う。

常に溢れていることが、至極当たり前。だからこそ、人は「飢える」ことが少なくなったのだろう。

けれど、「飢え」がない人生なんて。
それはただの「惰眠」である。
南部白雲氏の言葉が、強烈に胸に刺さった瞬間だった。

渇望こそが、その先を求めることができる。
自らを奮い立たせる原点なのだと、改めて気付く。

だから、今。
自分に。そして、あなたに。
是非とも、問いかけたい。

Are You hungry ?

写真撮影:大村健太

基本情報

名称:南部白雲木彫刻工房
住所:富山県南砺市井波2174
公式webサイト: https://nanbuhakuun.com/

書いた人

京都出身のフリーライター。北海道から九州まで日本各地を移住。現在は海と山に囲まれた海鮮が美味しい町で、やはり馬車馬の如く執筆中。歴史(特に戦国史)、オカルト、社寺参詣、職人インタビューが得意。