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2021.02.14

三浦義村とは何者?山本耕史が演じる役をわかりやすく人物解説【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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早いもので、このシリーズも10回目だ! そんな栄えある第10回目は……オレの兄上、三浦義村(みうら よしむら)!!! うん。どっちも名字みたいだろ? 義村が名前な。

兄上に対する愚痴や文句なら1万文字超えるほど出てくるんだが、多少なりとも印象を上げとかないとフェアじゃないしな。兄上かー……兄上のいい所……兄上のいい所? いい所かぁ。

うぅむ……やっぱ「政治力チートっぷり」と「スパダリっぷり」かのぅ?

おっと、自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(たねよし)が語る! 令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

公家も恐れた三浦義村の政治力

例は枚挙に暇がないんだが、そうさなぁ。政治と言えば朝廷だろ? 対して坂東武者って脳みそまで筋肉の野蛮人っていうのが一般的な京人が持つイメージだろうし、現代でもそんなイメージを抱いている者をチラホラ見かける。

兄上が初めて京に行ったのは、源平合戦の頃。そしてそれに勝利した後、建久元(1190)年に後白河法皇が頼朝様に上洛を要請し、それに従って兄上も行った。

そん時の京の朝廷・公家の坂東に対する侮りっぷりは凄まじかった。なにせ後白河院が頼朝様と話してる時に絵巻物を見せて「どうだ素晴らしい絵巻物だろう。こんなもの、坂東にはなかろう?」とか言ったらしい。ちなみに頼朝様は側に控えてた御家人に話しかけて、後白河院の自慢を気づかないフリでスルーしたらしい。頼朝様、サイコーにCool!

話として残っている事があるぐらいだから、話として残ってない偏見とかもあったろう。多分、兄上も悔しい思いをしたんじゃないだろうか。

それから30年経った。承久の乱(1221年)の時に上洛し、戦後処理をしていた兄上は、鎌倉幕府の重鎮として京で名の知れた人物となっていた。それは上賀茂神社の記録『賀茂旧記』に書かれている、とあるできごとによってだ。

後鳥羽院たちが島流しにされたあと、新しい天皇を決める必要があった。といっても、それを決める権限がある人たちはみんな流されたり処刑されているので、なんと幕府が決めなくてはならなかった。こんなことは前代未聞で、幕府内部もそうとう喧々諤々大議論をしたと思う。それで、後鳥羽院の兄の子にあたる茂仁(ゆたひと)親王になったんだが……。

承久3(1221)年7月7日。次期天皇になってほしい旨を茂仁親王に伝えに行ったのが兄上。しかも親王に応接室までおいでいただいて直接頼んだそうだ。ちょっと歴史齧っていれば、この有り得なさ、解るだろ……? 貴族でもない武士が、皇族と同じ空間でお目通りなんて……。オレもちょっとワケが解らない。草葉の陰からあんぐりだよ! 兄上、どんな裏技使ったの?

そして現代でも著名な歌人、藤原定家殿の日記『明月記(めいげつき)』には兄上の評がこう書かれている。

八難六奇(はちなんろっき)の謀略、不可思議の者か。

「八難」は張良、「六奇」は陳平。どちらも前漢の劉邦に仕えた軍師だな。この二人に匹敵するほどの策略家として恐れられていた。30年で。たった一代で。坂東武者に対する京人のイメージをガラっと変えてしまったのだ。北条氏ではなく、兄上が。

兄上は何かと「陰謀家」「腹黒」とか言われるけど、もうちょっと「政治家」としての面がクローズアップされてもいいんじゃないかなぁ、とは思う。真っ白な腹で政治家なんか務まるわけないし。

まぁ、オレ、最期の言葉で「兄上が後世で悪く言われますよーに!」とか言って自害したんだけどね!(てへぺろりん☆)

鎌倉時代スパダリズム選手権があったら優勝候補

スパダリ。スーパーダーリンの略。ちょっと強引な手段(金の力を含む)で恋人を幸せにするダーリンの意味。兄上の本気が垣間見えるエピソードが『吾妻鏡(あずまかがみ)』に残されている。

安貞3(1229)年2月21日。将軍の御台所(みだいどころ=妻)と、執権の妻を招いて三浦の三崎で「來迎(らいごう)の儀」を行う。阿弥陀如来が死後に迎えに来るという説法を人気の坊さんにしてもらうって話なんだが、その演出がすごいんだ。

海に十数隻の船を浮かべ、それぞれに阿弥陀如来来迎をモチーフにした飾り付けをする。それらが夕日の光りを浴びる中、波の音と音楽の演奏が響き合う。そして厳かな儀式が終わった後、坊さんが登場! そして説法が終わった後、月明かりの中船を出して島めぐりをする。

『阿弥陀聖衆来迎図』から一部切り出し 出典:ColBase

当時の説法は、人気歌手のコンサートみたいなものだった。今でいう所の「貸し切りクルージングで米津玄師トワイライトコンサート」みたいな感じ。たった二人の女性(にょしょう)のために……!

Twitterでこの話をすると、現代でも「その接待受けたい……!」「スタッフとして雇われたい……!」と毎回話題になるよ。

そんな感じで、兄上が長だった頃の三浦は全盛期を迎えていたなぁ……。その裏で涙を飲んだ者や没落した者、命を落とした者がいるのも世の常ではあるが。

三浦義村役、山本耕史殿について

びゃ……。びゃあああああ! これもう、兄上にちょっとコアなファンがつくの確定じゃね!? 勝った……。三浦党、勝った。三浦党優勝。三浦党しか勝たん。

しかし、山本殿が大河ドラマで勝ち組にいるのって初めてじゃないか? 山本”勝ち組”耕史! 山本”政治力カンスト”耕史! 山本”スパダリ”耕史!!

『義時の生涯の盟友。その裏の顔は敵か味方か』

三浦義村という人物には全く印象はなく、逆にどんな三浦義村を作り上げていくのが良いか、三谷さんの脚本がくるのを楽しみにしています。

NHK_PRサイト 山本耕史のコメントより抜粋

ふむ。山本殿は事前に調べずに、台本を読んで感じた事を演ずるタイプなのだな! 三谷幸喜殿が兄上をどう描くのかちょっと期待と不安が入り混じっているが、時代考証の先生が最新の研究をきちんとチェックするタイプなので大丈夫……と思いたい。

……しかし、兄上が山本殿かぁ。という事は、もしかしてオレ役は20代のイケメン役者だったりして。……え? いや出てくるっしょ、オレ! 義時が主役で、兄上が「盟友」で、承久の乱まで描くなら、オレと妻と禅暁(ぜんぎょう)出さないでどうするんだっつーの!

関連人物

主君:源頼朝頼家、実朝、藤原頼経

父:三浦義澄 母:伊東祐親の娘
兄弟:三浦胤義、ほか
妻:土肥遠平の娘、ほか
子:三浦朝村、泰村、光村、家村、禅阿、ほか

人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

アイキャッチ画像:晴徳模『元信/唐犬図』から加工 出典:ColBase
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