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2021.02.03

「梅見月」って何月のこと?梅から始まる江戸の花見を、美しい錦絵とともに紹介!

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突然ですが、2月の別名を知っていますか?
「如月(きさらぎ)」という呼び名はご存じの方も多いと思いますが、他にも様々な呼び名があります。その一つが「梅見月(うめみづき)」。何だか、ロマンチックな呼び名ですね!
まだまだ寒さの厳しい時期ですが、梅の花が咲き始めると、春が近づいていることを感じます。

「梅見月」って言うんだ。知らなかった!

現在は「花見」と言えば桜ですが、江戸時代は「梅に始まり菊に終わる」とも言われ、季節の花見を楽しんでいました。そして、1年の最初の花見が梅見なのです!
この記事では、江戸時代の梅見事情を紹介します。

1年で最初に咲く花・梅は、古くから日本人に愛されてきた

「梅は百花(ひゃっか)の魁(さきがけ)」とも言われるように、梅は花の先頭をきって咲く花です。梅は古くから日本人に親しまれてきた花でもあり、梅の上品で優雅な香りは詩歌にも多く詠まれています。

初代歌川広重「東都名所 亀戸梅屋舗ノ図」 国会図書館デジタルコレクション

梅は、中国の四川省から湖北省付近が原産の落葉高木です。奈良時代に、中国文化とともに薬木として日本に渡来しました。

へぇ~、もともとは薬木だったんだ!

奈良時代末期に成立した、日本に現存する最古の和歌集でもある『万葉集』に収録された梅の歌は百種余りあり、秋の萩に続いて2番目に多く登場しています。
もしかしたら、『万葉集』に収録されている梅の花の歌が、元号「令和」の出典となったことを覚えている方もいるかもしれません。正確には、『万葉集 巻第五』に収録されている「梅花歌卅二首并序(ばいかのうたさんじゅうにしゅあわせてじょ)」の序文の中の「初春令月 気淑風和」の部分が、元号「令和」の出典。この作品は、天平2(730)年正月13日(太陽暦2月8日頃)に、大宰府の長官である大伴旅人(おおとものたびと)の邸で開かれた梅花の宴で詠まれた歌をまとめたものとされています。

白梅に遅れて咲く紅梅は、その色が好まれました。平安時代の襲(かさね/衣装の重ね着)の色目の中には、「紅梅」「紅梅匂(こうばいのにおい)」「裏紅梅」などの梅にちなんだ名が数多くみられます。

また、花を見て楽しむだけではなく、梅の実も薬用、食用として利用されてきました。

健康と美容のために、梅干し毎日食べてます!

江戸の花見のガイドブック『江戸名所花暦』

江戸時代には、おでかけ情報を掲載したガイドブックのようなものが刊行されています。
例えば、文政10(1826)年に刊行された岡山鳥(おか さんちょう)著、長谷川雪旦 (はせがわ せったん)画『江戸名所花暦』の「巻一 春之部」では、江戸の梅の名所として、梅屋敷、亀戸天満宮境内、御嶽社、百花園、駒込鰻縄手(うなぎなわて)、茅野(かやの)天神境内、宇米茶屋(うめがちゃや)、麻布竜土(りょうど)組屋舗、蒲田村、杉田村(現・神奈川県横浜市磯子区杉田付近)を紹介しています。

梅屋敷

梅屋敷は、亀戸天神社の北東500メートルにあった梅の名所です。
喜右衛門という農家の庭に、「臥竜梅(がりゅうばい)」と名付けられた地を這うように伸びた梅の古木があり、大勢の梅見客が来ました。花は薄い紅梅色で、とても香りが良かったと言われています。

梅の香り、大好き! いつも鼻を近づけて嗅いでしまいます♡

喜右衛門は床几(しょうぎ)を用意したり、茶を出したりして、農閑期の商売にしました。また、梅屋敷内で売られていた梅干しは、梅見の際のお土産として人気がありました。

3代歌川豊国、2代歌川広重「江戸自慢三十六興 梅やしき漬梅」 国会図書館デジタルコレクション

残念ながら、臥竜梅は、明治43(1910)年の大水害で枯れてしまいました。

亀戸天満宮境内

亀戸村(現・東京都江東区亀戸)にある菅原道真(すがわらのみちざね) を祀(まつ)る亀戸天神社は、「亀戸の天神さま」「亀戸天満宮」とも呼ばれ、現在でも「学問の神様」として親しまれています。
境内には、現在も多くの梅の木があります。

御嶽社

「御嶽社(みたけのやしろ/御嶽神社)」は、卯の神として知られ、亀戸天神社の本殿東側に建てられています。
「卯」とは、時間は午前6時頃、方角は東をあらわし、「様々な物事のはじまり、広がっていくこと」を意味します。卯の神は火災除け、雪除け、商売繁盛、開運の神様で、「卯の日」に参詣しました。特に、1月の「初卯」は多くの人々でにぎわいました。

百花園

「百花園」とは、現在の向島百花園のこと。「新梅屋敷」とも呼ばれていました。
文化元(1804)年、仙台出身で日本橋の骨董屋・佐原鞠塢(さはら きくう)が寺島村(現・東京都墨田区西部)に多賀屋敷と呼ばれていた土地を得て、万葉植物など日本古来の草木を集めて造園し、百花園を開きました。
年中、花が絶えることがなく、梅は白梅が多かったと言われています。

蒲田村

蒲田村(現・東京都大田区蒲田、聖蹟蒲田梅屋敷公園)に梅園ができたのは江戸時代・文政年間(1818~1830年)のこと。薬屋を営んでいた山本忠左衛門が「和中散(わちゅうさん/江戸時代の家庭用常備薬)」の売薬所を開いた敷地内に、息子・久三郎が梅や多くの木々を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まると言われています。梅の開花期には、多くの人でにぎわいました。

初代歌川広重「名所江戸百景 蒲田の梅園」 国会図書館デジタルコレクション

絵の手前に山駕籠(やまかご)があり、この梅園が東海道筋にあったことを物語っています。

色んな梅の名所があったのですね。私はよく、埼玉県の「越生(おごせ)梅林」に行きます!

江戸時代の梅見事情を錦絵で検証!

江戸時代の人々が梅見を楽しんでいたことは、梅見の風景が錦絵に描かれていることからもわかります。それでは、実際に錦絵を見ながら、江戸時代の梅見の様子をのぞいてみましょう。

花より団子? それともお酒?

 

三代目歌川豊国「十二月の内 衣更着 梅見」 国立国会図書館デジタルコレクション

錦絵の題の「衣更着(きさらぎ)」は如月とも書き、陰暦2月のことです。
梅見にやってきた4人の女子たち。着物や帯のコーディネートが素敵ですね。でも、よく見ると、左の2人は梅見よりも、料理やお酒に夢中でしょうか?

中央では、青い着物の女子とグレーのチェックの着物の女子が何か言い合っているような……。
「ちょっと飲みすぎじゃない? そろそろ帰るわよ。」
「うるさいわね。もうちょっと飲ませてよ!」
なんて言っているのでしょうか? グレーのチェックの着物の女子は、注意をされたことに腹を立てたのか、少し険しい表情をしています。

ほんとだ! なんか怒ってる!(笑)

左側の背中を向けて座っている左の黒い着物の女子は、二人の様子を見て呆れている?
右側の女子は、細かい模様の入った青い着物に黒地の帯、黒×白のチェックの中着がアクセントにしたコーデが素敵ですね。着物の裾の模様はよく見えないのですが、尻尾のある動物? (私は、狐に見えました……。)

もちろん、おしゃれも忘れない!

江戸の女子たちは、おしゃれをして梅見に出かけたようです。江戸の女子の、梅見コーデを見ていきましょう。

【梅見コーデ1】シックな色で梅の模様をさりげなく取り入れる!

歌川重宣「梅と婦女」 国立国会図書館デジタルコレクション

青い着物には白い裾模様が控えめに入っています。帯はブラウンの地に亀甲模様で、亀甲模様の中に花の模様が入っています。模様の少ないシンプルな着物に、大きな柄の帯を合わせています。注目は、衿元や裾からのぞく中着。帯に似た色の地に、白い梅の模様が! さりげなく梅の模様を使ったおしゃれなコーデです。

シックで素敵! 洗練されてます♡

【梅見コーデ2】梅の模様をさりげなく取り入れた粋なコーデ

香蝶楼豊国「今様見立春の梅」より 国立国会図書館デジタルコレクション

黒衿に縞の粋な着物、中着は青地に梅模様、さりげなく柄の入ったグレ―グリーンの帯というシックなコーデの美女。着物と中着は同系色、着物の裏地、半衿、帯の色がリンクしていておしゃれですね!

大人の余裕を感じる~!

【梅見コーデ3】赤を上手に使った華やかな金魚模様の振袖コーデ

三代目歌川豊国「香遠闇の梅」より 国立国会図書館デジタルコレクション

遠くからも目を引く、水藻の間を金魚が泳ぐ金魚が振袖と裾に描かれた華やかな振袖を着こなす少女。袂や裾からのぞく中着は金魚の色に似た紅色の地に花模様です。
着物が華やかな分、シックな色の帯を合わせていますが、卍崩しの地模様に赤い花のような模様が散らされています。少女らしく、赤をアクセントカラーとして上手に使ったコーデです。

すっごく華やか! 気分が盛り上がりますね!

【梅見コーデ4】無地の帯を使って、青い花柄の振袖コーデをきれいにまとめる!

香蝶楼豊国「春色花の魁」より 国立国会図書館デジタルコレクション

シックなブラウンからグレーのぼかしの地色に、振袖と裾の大きな青い花柄が印象的な振袖の少女。着物が華やかなので、無地のような帯で上手にバランスをとっています。裾からのぞく、赤地の中着は鹿の子模様のチェック柄です。
着物の花柄に使われている青、黄、赤の色が、ヘアアクセサリー、帯、中着にリンクさせているのがわかりますか?

すごい。江戸時代の女性って本当におしゃれ。

梅見でお見合い?

三代目歌川豊国、二代目歌川国久「江戸名所百人美女 梅やしき」 国立国会図書館デジタルコレクション

床几(しょうぎ)に座っている振袖姿の少女は、大身の旗本の娘でしょうか?
島田髷(まげ)に緋布を巻いた結綿のヘアスタイル。櫛(くし)、簪(かんざし)、笄(こうがい)といったヘアアクセサリーは大ぶりで、すべて鼈甲(べっこう)のようです。
着物は上下の染め分けで、袂と裾には色とりどりの菊の花と、竹を斜め格子のように組んだ垣根を文様化した光悦垣という上品な模様。帯は紅色の卍崩しと呼ばれる地模様に、青色の華やかな宝相華(ほうそうげ)模様。上等の帯で重さがあるため、綿入りの帯締めをしています。
目いっぱいのおしゃれをして梅見にきたようですが、何だか、気が進まない様子……。もしかしたら、気のすすまないお見合いなのかもしれません。武家は原則として結婚相手は親が決めますが、時には梅見などの場所で、相手の顔を遠くから見るということもしたと言われています。

うーん。どこから見られているかわからないとなれば、ちょっと緊張するかも……

左上の「こま絵」には、梅の大樹の前に立札があるので、梅屋敷の有名な「臥竜梅」を描いたものと思われます。

梅見を楽しんでみませんか?

私が図書館に勤務していた頃、通勤途中の公園に梅の木があり、毎年1月頃から「梅は咲いたかな?」と開花状況をチェックしていました。白梅、紅梅など数種類の梅の木があり、3月頃まで梅の花を楽しむことができました。公園の梅の木、今年はもう咲いているでしょうか?

2021年は、外出の自粛の影響で、各地の梅まつりなどのイベントが中止されています。
残念ですが、散歩の途中、近所の公園にも梅の木はあるはず。今年は、身近な場所で、春の訪れを感じてみるのはいかがでしょうか? 「えっ、こんなところに!」という新たな発見もあるかもしれませんよ。

行きます! 梅見楽しみ~♡

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。