Culture
2021.02.20

蘇る、あの日の光景。モノクロファン待望の「国産黒白フィルム」復活劇

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人類が写真機というものを発明して以降、この文明の利器は常に黒白フィルムと共にあった。

いきなり名言…?


カラーフィルムが確立されてからも、黒白フィルムの出番はなくなることはなかった。それは報道写真では尚更のことだ。フルカラーの画像よりも、モノトーンのそれのほうがむしろ「言いたいこと」が伝わってくる。戦場を撮影した黒白写真を見て「なぜカラーじゃないんだ!」と怒る者はいない。

そして、戦後の日本人の生活を記録し続けたのは黒白フィルムである。

生産終了の黒白フィルムに「再生産希望」の声

日本は世界有数の「カメラ大国」だ。

自国メーカーがカメラを開発し、それを国内のみならず世界各国で販売する。高度経済成長期の日本は戦前以来の「カメラの元祖」であるドイツと肩を並べ、カメラ本体はおろかカメラレンズ、フィルム、印画紙まで輸出する国になった。

日本のカメラってそんなに凄かったんだ!

しかし、時代は移り変わるもの。21世紀に入るとデジタルカメラの性能が飛躍的に向上し、フィルムカメラは一般の人々からは程遠いものになった。同時にフィルムの需要も減っていく。そして2018年、富士フイルムは黒白写真用フィルム『ネオパン 100 ACROS』の生産終了を決断する。この商品は2018年時点で唯一の国産黒白フィルムだった。

ええ、唯一の国産なのに…?

ところが、全国の写真愛好家は国内メーカーのフィルムの終焉を受け入れなかった。富士フイルムがプレスリリースを発表した直後から「再生産を」という声が上がったのだ。

うんうん!

光の濃淡を緻密に表現

黒白フィルムは、カラーフィルムよりも光の濃淡の表現に優れている。

太陽光に照らされた白い肌と、建物の陰に隠れたバイク。それらを微妙な濃淡で1枚の画に表してくれる。カラーフィルムよりも「色が見える」のは、そのためだ。

色が見えるなんて、考えたことなかったかも…。

筆者もたまにフィルムカメラで撮影する。今回はこの記事を書くために、冷蔵庫に入れていたネオパンを引っ張り出して撮ってみた。

冷蔵庫に入れて保管するんだ?!(無知)

黒白では表現できないはずの色が、些細な濃淡で見事に発揮されている。しかもデジカメとは違い、現像するまで実際の画を確認することができない。だからこそ、会心のショットを目の当たりにした時の感動はデジカメの比ではない。

モノクロかっこいい……!

黒白フィルムの「歴史的使命」

筆者が小学生の頃、ドライアイスを使った科学実験のためにフィルムケースを自宅から持参する、ということがあった。

さすがに今の時代、自宅にフィルムケースが転がっているのは親がカメラマンという家庭だけだろう。言い換えれば、それだけカメラの普及率は高かったということだ。

フィルムケース懐かしい!小学生の頃500円玉入れてた。

1961年にオリンパスが『PEN EE』というハーフサイズカメラを市場投入するまで、多くの日本人にとってのカメラとは「高級品」だった。プロレスラーの力道山はカラーフィルムをふんだんに使って大相撲本場所の写真や動画を撮影していたが、そのような行為は金持ちにしかできない。写真撮影そのものが特別なイベントだったのだ。

今はスマホで簡単に撮れるから考えたこともなかったなぁ。

PEN EEが大衆の手に渡ってからは、誰でも手軽にカラー写真を撮影できるようになった……と言いたいところだが、カラーフィルムはまだまだ安価なものではなかった。だからこそ、黒白フィルムは「高度経済成長期の日本人を記録する」という歴史的使命を与えられた。

長年の相棒が失われることの意味を、写真愛好家たちは知っていた。

復活を果たした国産黒白フィルム

ネオパンの生産終了から1年後、富士フイルムは『ネオパン 100 ACROSⅡ』を発表した。

復活!


これは愛好家たちの要望を受けての決定だった。国産黒白フィルムの命脈は保たれたのだ。「写真フィルムの復活」というのは、実は世界的なムーブメントでもある。2018年にはコダックの黒白フィルム『T-MAX P3200』が復活を果たした。デジカメの性能向上は、アナログカメラの消滅とイコールではない。

我々現代人は、デジカメで撮影したカラー写真のシャープさに慣れ過ぎてしまった。その反動が今になって出ている、と書くべきか。スマホのカメラで撮影した写真を、わざわざアナログ調にするアプリもあるほどだ。『写ルンです』が再評価され、黒白フィルムに再生産の声が寄せられるのは決して不可思議な出来事ではない。

書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。

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1995年、埼玉県出身。地元の特産品がトマトだからと無理矢理「とま子」と名付けられたが、まあまあ気に入っている。雑誌『和樂』編集部でアルバイトしていたところある日編集長に収穫される。趣味は筋トレ、スポーツ観戦。