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2021.06.20

え!コーラって薬膳だったんだ!信長ゆかりの地で若者がタッグを組んだ「ぎふコーラ」開発秘話

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「え、これがコーラ?」ウイスキーボトルのビンに入った茶褐色の液体を炭酸水で割ると、口に広がるのはスパイシーでさわやかな甘み。市販のコーラはもちろん、清涼飲料水の概念を覆すテイストだ。何種類かの天然の薬草が醸し出す、複雑で奥行きのある、一度口にしたらやみつきになりそうな不思議なおいしさ。これが「ぎふコーラ」との出会いだった。

薬草を使ったコーラ!? 気になる!

高村光太郎や芥川龍之介も好んだコカ・コーラ 

コーラといえば、大半の人は「コカ・コーラ」や「ペプシコーラ」を思い浮かべるだろう。ひところは「スカッとさわやかコカ・コーラ」のキャッチフレーズで、テレビCMもガンガン流れていた。くびれた細長いボトルに口をつけて飲むのは、昭和の若者たちが憧れるかっこ良さのシンボルでもあった。

コーラの発祥はアメリカ。「日本コカ・コーラ株式会社」の『コカ・コーラの歴史』によれば、1886(明治19)年にジョージア州アトランタに住む1人の薬剤師が発明したとされる。彼の名はジョン・S・ペンバートン博士。ペンパートンが作ったシロップを炭酸水と混ぜ合わせて試飲したところ、大変好評で、薬局の一角にあったソーダファウンテンというカフェのような所で販売が始まった。コカ・コーラの名付け親はペンパートンの経理をしていたロビンソン。現在に至るまで、コカ・コーラのロゴの書体は、この時のロビンソンの筆跡と同じものが使われている。

一方ペプシコーラが生まれたのは1898(明治30)年。こちらもやはり発明したのは薬剤師。ノースカロライナ州に住むキャレブ・ブラッドハムという人物で、消化不良の治療薬としてつくったのだそう。コーラナッツと消化酵素であるペプシンに因んでペプシコーラと命名されたという。

コーラが消化不良の治療薬! 意外すぎる……。両方とも薬剤師が作ったというのもびっくり!

日本でコーラが初めて発売されたのは1919(大正8)年。食品の小売りや輸出入などを行っていた「明治屋」が始まりである。高村光太郎の詩集『道程』に収録されている『狂者の詩』や芥川龍之介の手紙の中にはコカ・コーラの名前が登場する。詩人や文豪にも愛飲されていたのだろうか。当時からハイカラな印象のあるドリンクだった。

明治屋のコカ・コーラの広告には

本品の風味はコーヒーの如き香ばしい香りを有し、其上(そのうえ)微(かすか)に生姜の如き香りと辛味とを含み尚(なお)少しく甘味を有し色合もコーヒーの如き色を呈して快く沸騰します。酒宴の後叉は晩酌に微醺(びくん:ほろ酔い)を帯びたる時、叉は極暑に心身の倦んだ時氷に冷したる此(こ)のコカコラを用ゐ(い)れば心胸忽(たちま)ち濯(あら)うが如く清爽の快謂(い)うべからざるものがあります。而(しか)も老幼方やご婦人のお口にも好まれ御酒を召上らぬ下戸(げこ)方の飲料としては至って賞美すべき價値(かち)があります。誠に珍しい一般的飲料であります。 「日本コカ・コーラ株式会社」HP 日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史より

とある。

コーラとコーヒーを比べて考えたことはなかったけれど、確かにちょっと似ている、かも?

1949(昭和24)年には、日本での製造がスタート。1960年代にはコーラブームが到来し、「グリコ」や「森永乳業」ほかこれまでコーラとは無縁だった食品メーカーなどがオリジナルコーラの製造販売を始めた。一方でコーラの愛飲者が増加するにつれ、健康上の問題も取りざたされるようになった。

地域色豊かなフルーツやハーブを取り入れ、コーラの原点に立ち戻った手作りのクラフトコーラ 

近年、大手飲料メーカーが製造・販売するコーラに対し、各地で採れるフルーツやハーブに多種多様なスパイス、砂糖などを加えて作る、合成着色料や保存料を使わない無添加の手作りコーラも登場しており、これらは“クラフトコーラ”と呼ばれている。大量生産を目的としない、極めて自由度の高い天然の薬草ドリンク。本来のコーラの原点に立ち戻ったコーラといえるかもしれない。ぎふコーラもその一つだ。

薬草で作られた、ぎふコーラ! どんなものなんだろう?

ぎふコーラはこうして生まれた 

1991年に岐阜県に生まれた3人が始めたプロジェクト

ぎふコーラを生み出したのは、1991年、岐阜県に生まれた3人の若者たち―片山治(かたやま おさむ)さん・泉野(いずみの)かおりさん・四井智教(しい とものり)さん―だ。元々生まれた場所も違えば、何の接点もなかった。そんな彼らがどのようにして出会い、このプロジェクトを立ち上げたのか。まずは3人のプロフィールから紹介しよう。

ぎふコーラを作った3人。どんな風に巡り会ったんだろう?

片山治さん

岐阜市出身。現在は隣の山県(やまがた)市在住だ。小学生の時に病気になって入院を余儀なくされた。この経験から健康のありがたみと食の大切さを感じるようになり、食に気を付けることで病気にかかる人をなくしたいと思うようになる。大学卒業後上京し、約5年半、飲食を勉強。2018年、岐阜にUターンし、飲食店のひしめく岐阜市長住町で、“食べ物で心と体を豊かにする”をコンセプトに、オーガニックバル「to U organic」を開店する。

「東京では食に関する意識高めの人が多かったのですが、岐阜に戻ってからはそれがほとんど感じられず、ギャップに驚きましたね。最初は集客に苦労しましたが、とにかく体に良いものをおいしく食べていただこうという気持ちで営業するうち、少しずつ来てくださる方が増えてきました」

キャッチフレーズは「耕作放棄地を畑に 岐阜の魅力にスパイスを」である。

片山さんのオーガニックバル「to U organic」無農薬や無化学肥料にこだわった野菜などを使ったおいしくて健康的なメニューが並ぶ。岐阜市長住町4-7 岐阜横丁ビル1F 007 インスタグラムto_u_organic  写真提供:片山さん

泉野かおりさん

大垣市出身で、現在は揖斐川町地域おこし協力隊として勤務している。

岐阜県はお隣の愛知県と並んでモーニングサービスが盛んだ。ほとんどの喫茶店では午前11時頃まではコーヒーなどのドリンクを注文すると、無料でトーストやサンドイッチ、ゆで卵、サラダ、場合によってはヨーグルトや茶碗蒸しなどもついてくる。なので、どこの店のモーニングが良いかといった情報はすぐに広まる。泉野さん一家は休日になると家族で喫茶店を訪れ、一杯のコーヒーから広がる時間を楽しんだ。そんな彼女が大学卒業後に選んだのはコーヒーに携わる仕事。東京から京都、さらに世界第2位のコーヒー生産国・ベトナムへ移住。その後もコーヒーを通じて世界を見たいと、アメリカやカナダを訪問。そして10年が経ち、故郷・岐阜県に戻って来た。

「長い間海外にいて故郷のことを話す機会もあったのですが、岐阜ってどんな所なのか、あらためて知りたいと思ったんです。戻ってから転職活動も兼ねて、県内のいろいろなワークショップに参加していました。そんな時、四井さんに出会って揖斐川町の薬草のことを知りました」

四井さんとは3人のうちの1人・四井智教さんのことだ。四井さんは揖斐川町出身で、そのルーツは“薬草の里”といわれる旧春日(かすが)村である。

「薬草をお茶にして飲んだり、サラダみたいにして食べるのって、以前いたベトナムでの暮らしにそっくりなんです。揖斐川町、薬草ってすごい! と思いました」

ベトナムの海岸沿いのリゾート地・ニャチャンでコーヒーに携わる仕事をしていた泉野さん 写真提供:泉野さん

四井智教さん

四井さんは揖斐川町にある「キッチンマルコ~五感で楽しむ伊吹薬草~」の店長だ。「マルコ」オーナーの“まるちゃん”こと藤田絹美さんは四井さんの伯母さん(父の姉)にあたる。“薬草の里”と呼ばれる旧春日村にルーツがあることは先ほど書いたが、四井さん自身が春日で育ったわけではないし、薬草についての知識や関心があったわけではなかった。20歳で名古屋に出て、5年後に揖斐川町にUターン。「マルコ」の手伝いをするようになって、まるちゃんから春日の薬草文化のことを聞き、興味を持つようになった。

「父の代まで春日の中山という所に住んでいましたが、ぼくは伯母に教えてもらうまで薬草はもちろん、植物の名前も知りませんでした。身近な所にこんなにすばらしい宝物があったなんて…春日はすごい所だと思いました。あらためて先祖の土地の魅力を再認識した時、薬草について何かやっていきたいと思うようになったのです」

伊吹山麓で育った野菜や薬草の販売のほか、それらを使ったランチを提供している 「キッチンマルコ」岐阜県揖斐川町上南方545-91  写真:松島

“伊吹山・春日・薬草”というキーワードに導かれて

異色の3人を結びつけたのは、“伊吹山・春日・薬草”といったキーワード。最初の出会いは片山さんと四井さんだった。

飲食店の店長2人がまず出会ったのですね!

「岐阜のお土産って何があるのって聞かれた時、鮎ぐらいしか思いつかなかったんですよね。もっと他にも誇れるものがあったらいいなと思い、岐阜ならではのお土産を作りたくていろいろ探すうち、知り合いのFacebookページで春日の薬草のことを知りました」と片山さん。

そこでさっそく薬草を扱っているというカフェ「キッチンマルコ」に電話したところ、出てくれたのが四井さんだった。「その日はあいにくお休みだったんですが、ランチはできないけど話だけならいいですよってことで、片山さんに薬草の話をしたんです」

たまたま同い年で、健康についての考え方にも共通するものがあった二人は意気投合。薬草を身近に感じてもらえるような岐阜のお土産を作りたいと試行錯誤を始めたのである。そしていきついたのがクラフトコーラだった。

クラフトコーラについては先ほど紹介したが、片山さんの店では日本のクラフトコーラの魁(さきがけ)となった「ともコーラ」を扱っていた。ともコーラとは2018年の夏に調香師tomoさんが、本来薬膳飲料であったコーラの刷新を図りたいと原点に立ち戻り、100%天然素材のみを使用して作った完全無添加のコーラだ。現在は会社組織として東京の新橋に本拠を置き、コーラのローカライズを目指しつつ、日本各地に生息する貴重な果物や植物についての知識を深めている。

コーラは薬膳飲料だった。まだちょっと実感が湧きません……。

「岐阜の薬草を使ってクラフトコーラを作りたい」そう思うようになった片山さんの下に、四井さんがワークショップで知り合った泉野さんを連れてきた。「四井さんから岐阜の新しいお土産としてコーラを作りたいと言われたのですが、最初はコーラに抵抗がありました。私の中で健康的でないイメージがあったので。でも治さんのお店でともコーラを飲んだらめっちゃ美味しくて、薬草についての話も聞いて、ぜひ一緒にやらせてほしいと思ったのです」

乗り気ではなかった地域おこし協力隊メンバーを一気に引き込んだ、薬草コーラ!

伊吹山麓の薬草畑周辺にて 左から泉野かおりさん、片山治さん、四井智教さん。泉野さんが手に持っているのは四葉のクローバと散策中に山中で拾った鹿の角の一部。四井さんが手にしているのは採れたばかりのヨモギ。足元にあるのはスギナ。両方とも和ハーブの一つで食用にもなる。  写真:松島

伊吹山ビックリ伝説 世界有数の豪雪地帯で信長の薬草園が存在した?!

それではここで、伊吹山と薬草の里・春日についてご紹介しよう。

ぎふコーラのふるさと、どんな場所なんだろう?

日本百名山の一つ・伊吹山は標高1,377m。愛知・岐阜・三重にまたがる広大な濃尾平野の西北端、岐阜・滋賀の県境に位置し、かなり遠くからでもその姿を仰ぎ見ることができる。この地域に住む私たちにとっては“母なる山(マザーマウンテン)”ともいえる存在だ。古くから修験道の霊山としても知られ、『古事記』にはヤマトタケルが伊吹山の神を倒そうとして出かけたところが返り討ちに遭い、命からがら山を下りたというエピソードが紹介されている。山麓には意識もうろうとしたヤマトタケルが清らかな清水を飲んで正気を取り戻したとされる伝説の泉が点在する。

標高がさほど高いわけではないが、積雪量は非常に多く、昭和2(1927)年には11.82mという積雪量が観測された。これは山岳気象観測史上の世界レコードとなっており、いまだに破られていない。

標高約1380メートルで11.82mの積雪……5階の床付近にまで迫る勢い!

高山植物の種類がたいへん豊富で、織田信長が1570(元亀元)年ごろにポルトガル人宣教師の願いを聞き入れ、伊吹山に薬草園を開き、ヨーロッパから3千種あまりの薬草を移植したとする記述が『南蛮寺(なんばんじ)物語』や『切支丹(きりしたん)宗門本朝実記』などに見られるが、これらは信長の死後200年ほど後に出た俗書であるため、史実かどうかは定かでない。しかし、キバナノレンリソウやイブキノエンドウといった当時からの生存種と考えられる植物はヨーロッパ原産で、日本では伊吹山にしか生息していない。そのため、薬草をヨーロッパから持ち込む際に種の入った袋に種子がついてきたのではないかという説もある。

もしかしたら信長も薬草園を開いたかもしれない土地で、ぎふコーラの薬草が育てられている!

伊吹山の薬草は約243種類あるとされ、これらは「伊吹百草」の名で呼ばれている。

伊吹山。その独特の山容はかなり遠くからも眺めることができる。さまざまな伝説や物語に彩られた神秘の山、信仰の対象でもある。花の百名山の一つにも数えられ、登山道に分布する高山植物が大変美しい。登山道のほか路線バスやドライブウエイも整備されており、9合目までは車で行ける

伊吹山東麓に広がる薬草の里・春日

四井さんの先祖が暮らしていた旧春日村(現在は揖斐川町春日)は伊吹山の東麓にあり、古来、薬草の宝庫として知られてきた。701(大宝元)年に毎年年貢として諸国から薬草を朝廷に献納させる「諸国貢薬(しょこくこうやく)の制」が定められた折、諸国に“採薬師”と呼ばれる薬草の探索と採取を担う専門家を派遣して採薬が行われた。927(延長5)年に完成した『諸国進年料雑薬(しょこくしんねんりょうぞうやく)』(諸国から朝廷に納められた薬草の名前を収載したもの)では近江73種、美濃62種が最高であり、美濃産薬草の大半は春日産だったのではないかと思われる。

平安時代中期、すでに岐阜(春日)は薬草の一大産地だったのですね!

春日の大半は険しい山々と奥深い森林である。地形的に田んぼはごく限られた所でしかつくることはできない。大昔に滋賀から木地師と呼ばれた人たちが移り住んでいたようで、かつては炭焼きで生計を立てていた。お茶農家も多く、近年は無農薬で栽培されている在来茶(昔から自生している茶の木の茶葉)が注目を集めるようになった。

市街地からは遠く、昔は道路事情も悪かったので、村外へ出かけるのも大変だった。「かつて川上にある集落は川下とはほとんど交流がなく、山越えで隣の近江と交流していた」と、土地の古老に聞いたことがある。関ケ原合戦では敗れた西軍の将、宇喜多秀家や小西行長、石田三成らの敗走ルートでもあった。春日の白樫(しらかし)には、後に大奥を支配した春日局(かすがのつぼね)の父・斎藤利三(さいとう としみつ)の城があり、局はここで生まれたのではないかという説もある。

有名な戦国武将ゆかりの地でもあるのですね!

今は自動車があるのでかなりハードルは低くなったが、病気やケガをしても簡単に医者を呼ぶこともできないし、医者に行くことも難しい。だから春日の人々は自衛手段として薬草を上手に暮らしの中に取り入れてきた。自生している薬草を摘んで洗って陰干しにしたものをお茶のように煎じたり、入浴剤のように用いることで、自分たちの健康を守ってきたのである。後にこれらは栽培されるようになり、収入のたしになった。

たとえば伊吹艾(いぶきもぐさ)と呼ばれるお灸に使われるもぐさの原料は、春日をはじめとする伊吹山山麓に自生するヨモギである。

ヨモギを採取して乾燥させ、すりつぶす。すりつぶしたヨモギをふるいにかけ、何回も繰り返して余分なものを除去すると、葉の裏に映えている細かい毛が絡まり合ったもぐさになる
百人一首にも、モグサが出てきますね!

このほか「春日村史」によれば、1877(明治10)年には11軒で約150㎏のトウキと呼ばれる薬草が生産されていたとあり、30戸で約375㎏の伊吹百草が生産されていたとの記録も残る。

トウキ(当帰)の花。セリ科の多年草。湯通しした根や葉、成熟した果実が漢方薬の原料となる

揖斐川町マップ。赤く現在地と書かれている所が春日の中心部。かつての役場(現在は振興事務所)もこの近くにある。最奥の美束(みつか)地区には春日の暮らしや文化、歴史を今に伝える「春日森の文化博物館」がある  写真:松島

春日の歴史と森の香りが詰まったクラフトコーラ

近年の健康ブームも手伝って薬草の需要は増加傾向にある。しかし、春日の薬草生産者は高齢化しており、文化を伝承するには若者たちの力も必要だ。

3人は春日産の薬草を使ったクラフトコーラを実現したいと、片山さんのつながりでともコーラに製造協力を依頼。ベースになる薬草はドクダミ・ヨモギ・カキドオシ・ヤブニッケイの4種類になった。これにコーラナッツの実など何種類ものスパイスを加えて鍋で煮込み、試作・試飲を繰り返した。資金を調達するために2020年10月19日にクラウドファンディングを開始。最終的に410人の支援を集め、目標額100万円の2.5倍以上の金額が集まった。

これまでは主にイベントでの提供を行ってきたが、この7月から一般販売を開始する。

2021年7月に一般販売開始! 楽しみです!

春日の薬草畑 かなりの標高で、初夏だというのに風が冷たくて気持ちが良かった  写真:松島

ヨモギ。キク科の多年草で、春先の若芽は和菓子の原料にもなるが、葉を日干しにすることで艾葉(がいよう)という生薬(しょうやく 漢方薬の原料)になる  写真:松島

ドクダミ。ハート型の葉を持ち、初夏に白い十字架のような花を咲かせる。摘み取ると独特の臭気があるが、乾燥させると消える。十薬とも呼ばれ、古来、ゲンノショウコやセンブリとともに三大民間薬の一つに数えられてきた。しかし、繁殖力がものすごく、いったん庭に生えると大変である。ドクダミの名前は体内の毒を矯(た)めて外へ出すという意味で、有毒植物ではない  写真:松島

カキドオシ。シソ科の多年草で繁殖力旺盛。垣根を突き抜けるほどの勢いで伸びてくるため、この名がある。春には紫色のかわいい花をつける。全草を乾燥させたものは生薬としても販売されている  写真:松島

ヤブニッケイ。藪に生える肉桂(ニッケイ:香料として使用されるシナモンとは近縁)という意味。クスノキ科で別名クロダモ。葉や根皮にはかすかな香気がある  写真:松島

岐阜県内5圏域それぞれの薬草を使った「ぎふコーラ」をつくる

ところでコーラの名前だが、(どうして「伊吹山コーラ」、あるいは「春日コーラ」にしないのだろう)と思う読者もあるのではないだろうか。

確かに。どうしてピンポイントの地名じゃなかったんだろう?

「岐阜のお土産になるようなコーラを作りたいと、このプロジェクトを始めました。ですから、名前もあえて薬草の産地の名前をつけず、『ぎふコーラ』としました。岐阜は岐阜・西濃・中濃・東濃・飛騨と五つのエリアに分かれているので、1年ごとにそれぞれのエリアで一つ、違った味のぎふコーラをつくっていこうと思います」と片山さん。

1年ごとに違う味の薬草コーラ! わくわくしてきます!

「『ぎふコーラ』を飲んでいただくことで、これまでの薬草のイメージが全く違ったものになると思います。生産が軌道に乗れば、薬草の生産者の人たちに利益を還元することができます。そうすることで、少しでも生産者の皆さんの励みになり、薬草文化を守ることにつながっていけばと願っています」と四井さん。

コーラ好きも、薬草好きも、とても気になるのではないでしょうか。今後も楽しみです!

「いろいろな所でさまざまな経験をして岐阜に戻り、今は揖斐川町に住んでいますが、これまでのことがとても役立っています。地域おこし協力隊として自分が先頭に立って何かをするというよりも、地域の人たちがどんなことをしたいか、どんな思いでいるのかをきちんと汲み取りながら、そのお手伝いをしていきたいと思っています」と泉野さん。

彼らは三人三様の思いで、普通の友達とは違ったところで結びついている仲間だ。地域の文化や歴史、そして人々の思いを何より大切にしながら、地域の活性化を図る。それこそ今まで行われてきたさまざまな施策の中で、スコンと抜け落ちてきた部分ではないだろうか。

今回の取材で伊吹山山麓の薬草畑に案内してもらった。とってもお天気の良い日で山の畑にはいっぱい人がいて、にぎやかだった。その人たちの表情の素晴らしいこと! 畑の中に建っている小屋のほとんどは専門家の手によるものではなく、自作である。寝泊まりのできるコテージのようなものまであった。山の上で一杯やりながら満天の星空を眺めて過ごすひとときは最高だろう。彼らの故郷は既に廃村になっている。しかし、健康である限り、山の上の畑に通い続けるのだろう。3人の若者はそのことを知っている。

言葉にしがたい、いろいろな感情が湧き上がってきます。しなやかで強い人々の姿がまぶしい……。

現在、ぎふコーラの製造は他に委託しているが、いずれは岐阜で生産できる工場を造りたいという3人。今後は「揖斐川町地域起こし協力隊」の泉野さんが、地元グループ「春日古(かすがいにしえ)学び」などとともにコーラづくりのワークショップも開催していく。

ぎふコーラを通して薬草文化を育んできた人たちの思いや暮らしぶり、またかつての村のことなども、ぜひ、伝えて行ってほしいと思う。

伊吹山山麓 写真:松島

「春日古(かすがいにしえ)学び」とともに行ったぎふコーラのワークショップ。岐阜のラジオ局「FMわっち」のキャプテン永田さんたちとともに。ベースになる薬草を摘むところから始まり、泉野さんのアドバイスを受けて摘んできた薬草やスパイスを鍋に入れて水で煮込んでコーラの原液を作る。完成したら瓶詰めし、各自がオリジナルラベルを貼って薬草と一緒に持ち帰った。大きなボトルはぎふコーラの原液。ラベルに描かれているイラストのモデルになった古民家は春日に現存している。  写真提供:ぎふコーラ

【取材・撮影協力】
片山治さん
泉野かおりさん
四井智教さん
「ぎふコーラ」HP 

【参考文献など】
日本コカ・コーラ株式会社
サントリー食品インターナショナル ペプシ
『春日村史』上・下

書いた人

岐阜県出身岐阜県在住。岐阜愛強し。熱しやすく冷めやすい、いて座のB型。夢は車で日本一周すること。最近はまっているものは熱帯魚のベタの飼育。胸鰭をプルプル震わせてこちらをじっと見つめるつぶらな瞳にKO

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。