Culture
2021.06.16

ギネスにも登録!絶滅危惧種だった「小型オープンスポーツカー」を復活させたマツダ・ロードスターの魅力

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人馬一体。

日本人はこの単語が大好きだ。自分の乗る馬を「あくまでも馬」とは決して考えないし、かといって馬のすべてを人間に合わせようともしない。人と馬が協力し、一体になる。

それをクルマに反映させたら、世界中の人々が予約待ちを希望するほどの大ヒット車種になってしまった。

マツダ・ロードスターは、まさに「人馬一体」を具現化した伝説のクルマである。

人とマシンの共同作業

Aさんはロードスターの4代目にあたるND型のオーナーである。

去年購入したこのクルマは、本当の意味でクルマを愛する独身のAさんにはまさに絶好のサイズだという。

「トルクも十分にあるし、乗っていて本当に楽しいですよ」

去年までのAさんにとっては「夢のクルマ」だったというNDロードスター。実はこの車種は、日本ではディスカバリーチャンネルで放映されている自動車番組『トップギア』でも高評価された。NDロードスター発表時にこれを試乗したリチャード・ハモンドは、

「コーナーで命をかけて怪物と戦うクルマじゃない。勝負じゃなく、人とマシンの共同作業だ」

と、コメントした。そしてNDロードスターが前世代よりもむしろ軽量化されたことを、そのために実施された「グラム作戦」も含めて絶賛したのだ。

トップギアは極めて過激な自動車番組である。出来の良くない新車をことごとく酷評し、あまりにセンスがないと判断したクルマは容赦なく破壊する。トヨタ・プリウスがブローニングM2機関銃の的になったエピソードは有名だ。メーカーとの訴訟も抱えていた。

が、リチャードはNDロードスターを「べた褒め」と言ってもいい表現で賞賛した。そして彼の評価は、筆者が話を伺ったAさんのそれとまったく同じなのだ。

決して曲げなかったコンセプト

今までに4世代の系譜を築いたロードスターは、「市場最も売れた2シーター軽量オープンスポーツカー」である。これはギネスブックに載っている。しかし、この初代NAロードスターが開発される以前は、同様のコンセプトの新車はほぼ存在しなかった。「軽量スポーツカー」というもの自体が絶滅危惧種だったのだ。

その上、ロードスター開発当時の日本経済はバブルに突き進んでいた。

人は景気が良くなると、より速くより重くより大きなクルマを欲しがる。高回転大馬力で道路を爆走できる代物だ。しかしロードスターの開発主査平井敏彦氏は、そのようなクルマを想定していなかった。

「希望して主査になったのは、マツダらしい軽量コンパクトなスポーツカーは私にしか作れないだろう、と思ったからです。私以外じゃ、ボディは大きく、重量は重く、価格はグッと高くなったでしょう(笑)」

(モーターマガジン社『名車の記憶 マツダ ロードスター』)

馬力や速度は二の次、一番大事なのは軽さだ。そこで出てきたのが「人馬一体」という言葉である。これを実現するため、平井氏は自分を貫いた。

「コクピットは意識してタイトな空間としましたが、大柄な欧米人だと窮屈なんです。海外のスタッフからは“長身の人や太った人が乗れない”、と苦情が来ました。そこで『乗りたければあなたが痩せなさい!』と言ってやったんです(笑)」

(同上)

「あらゆる人が快適に乗れるクルマ」を考える技術者はたくさんいるが、逆にドライバーに対してダイエットを要求してしまう技術者は滅多にいないだろう。だが、そのような一徹さが世界自動車史に燦然と輝く名車を生み出したのは揺るぎない事実である。

軽量化は「日本の伝統」

リチャード・ハモンドも言及した「グラム作戦」とは、1g単位の軽量化を徹底させる発想を指す。

たかだか1gと考えてはいけない。自動車とは数万の部品の集合体だから、ほんの1g……いや、0.1gの部品の軽量化がkg単位の軽量化に直結するのだ。そしてそれは、日本人技術者の得意とする発想法でもあった。

太平洋戦争当時の日本の軍用機開発では、「重量班」と呼ばれるセクションが強い決定権を持っていた。苦心して描いた設計図も、重量班の責任者が頷かなければボツ。従って航空技師たちは、g単位の軽量に精力を注がざるを得なかったのだ。

戦後、航空技師たちは自動車や鉄道の設計技師に転身した。そこで彼らは戦争を知らない後輩たちに「グラム作戦」を指南する。

日本の自動車産業を支えているのは、「1gの無駄も見逃さない気配り」である。

豊富なパーツは人気の証

ディスカバリーチャンネルの人気番組『名車再生! クラシックカー・ディーラーズ』にも、NAロードスターが登場したことがある。ロードスターは、海外では『MX-5』という名称で呼ばれている。カーディーラーのマイク・ブルーワーがあまりコンディションの良くないMX-5を安価で買い取り、それをメカニックのエド・チャイナがレストアするという手順だ。この時、エドはMX-5の内装をごっそり交換してしまった。何と座席まで取っ払ったのだ。しかしMX-5のパーツは中古市場でも大量に出回っているから問題ない。そしてパーツの豊富さは、そのクルマの人気の高さでもあるということに注目するべきだ。海外ではMX-5のオーナー同士のサークルも存在し、ある種のコミュニティーを形成している。

やっぱりロードスターはいいよね!

筆者はSV400Sに乗って、AさんのNDロードスターと共に少し遠出してみた。

すると、面白いことが起こった。道行く人の何人かが、Aさんに話しかけているではないか。「さっき、外国の方に“やっぱりMX-5はいいよね!”って言われちゃいました。MX-5って、確かロードスターの海外での名称ですよね? いやぁ、やっぱり向こうでもすごい人気なんですね」

Aさんはそう苦笑しながら頭を掻いた。

「人馬一体」を具現化したクルマは、世界中のドライバーに愛されている。

【参考】
モーターマガジン社『名車の記憶 マツダ ロードスター』
マガジンボックス『ユーノス&マツダロードスター30年と平成時代』
ディスカバリーチャンネル