Culture
2021.11.04

松尾芭蕉は下ネタ好きだった!?芭蕉の俳句が欧米で支持される理由を探ってみた

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松尾芭蕉と言えば、日本人の「わびさび」の心を表現した江戸時代を代表する俳諧師として知られる。ただ、芭蕉の作品は実に奥深く、「わびさび」だけでは語り尽くすことができない。

例えば、芭蕉は実にユーモアに満ち溢れた方であった。それは彼の作品を見ても実感できるだろう。

さて、西欧諸国に日本の詩歌が初めて紹介された時、和歌に注目が集まる一方、俳句は西洋の詩歌との落差が激しいこともあり、詩の名に値しないものと看做(みな)された結果、西洋文化への受容の面では和歌に比べると一歩遅れをとっていた。ところが、今では芭蕉は国境を超え、多くの外国人に愛されている。かの有名な「古池や~」の句をとってみても、その翻訳の数は百を超えている。

「芭蕉の詩とライフ・スタイルは東洋人には迎えられず、もっぱら西欧人によって語られている」と英文学者の佐藤和夫氏は述べているように、芭蕉の俳句は西欧諸国を中心に絶大なる人気を得ている。

確かに「古池や蛙飛びこむ水の音」という句は知っているけれど、芭蕉について深く考えたことはないかも……。

こうして芭蕉が海外、特に西欧諸国で人気を博しているのは、彼のユーモア心に刺激された結果なのかもしれない。

芭蕉は山形県の中央部に聳(そび)える標高1984メートルの月山(がっさん)に登頂し、句を詠み上げたとされている。写真は月山高原牧場。-写真AC

そもそもアメリカンジョークって何?

一般に、欧米の人たちはジョークを好む傾向がある。英語圏で使われているジョークを例に、その構造について見てみよう。

(1)Did Jack remain cool when that burglar came in ?
Yes, he was positively shivering.

(1)の上の文では夜泥棒が家に侵入して来た時のジャックの様子を尋ねている。その質問に答えたのが下の文である。「cool」には「クールな」「冷たい」の2つの意味がある。最初の人の発話では「クールな」の意味をとっている。ところが、それに対する応答では「冷たい」というもうひとつの意味合いをとっている。と同時に、それによって「泥棒が入ってきて理知的に対応したのかと思いきや、(寒さで)震えあがってやがる」という風刺的な読みを付随させる。この場合、「silvering」にも「恐怖/寒さに怯える」という二重の意味が付与されている。

和歌の掛詞のようですね!

こうして、言葉が持つ2つの意味をもって滑稽さを生み出すと同時に、風刺的な読みを与えて笑いを誘う、それが英米人のユーモアの極意である。

芭蕉の句とアメリカンジョークには共通点があった

上で見た英米人のユーモアの構造は、芭蕉の句でもしばしば見られる。では、芭蕉の代表作のひとつである『更科紀行(さらしなきこう)』に収められた以下の句を見てみよう。

(2) 身にしみて 大根からし 秋の風

芭蕉は隠居後、杜甫(とほ)の作品はもちろんのこと、その文人的閑居に心を寄せていたと言われるが、全体的にその思いが反映されている。大根の辛さがツーンときてつらい。そのうえ、秋の風が体に当たって、背筋が凍るような気がした。そして、「こんなはずじゃなかったのに」と自虐的な感情に苛まれる。そんな情景を詠んだ句である。「しみて」の部分に「大根の辛(から)さが/秋の風で身に染みる」という二重の意味を付与することで滑稽さが生まれ、そこに自虐的な風刺が付随している。

2015年、シアトル・アジア美術館に展示された芭蕉による自筆の書。-メトロポリタン美術館

当初、西欧諸国において和歌よりも作品性が劣っているとして一蹴(いっしゅう)された俳句。でも、じっくり味わっていると、西欧の文化に共通するものは確かにある。そして、芭蕉の句はその特徴が際立っていた。それが西欧諸国を中心に芭蕉が受け入れられるようになった最大の要因であろう。

芭蕉がアメリカンジョークかます絵が目に浮かびました(笑)

逆に、芭蕉は漢詩の影響を強く受けた人でもあるが、東洋人の目には使い古された陳腐なネタにしか映らなかった。東洋人にはあまりウケない理由のひとつと思われる。

う〇こネタを句に託した芭蕉

和樂webでは下ネタの和歌「しもうた」を品評する会を不定期で開催しているが、芭蕉もまた「しもうた」を詠んでいたことはご存知だろうか。例えば、芭蕉の代表作である『おくのほそ道』には、以下のような句が収められている。

(3) 蚤しらみ 馬の尿する 枕もと

陸奥国と出羽国との間の関所を通り越し、夕暮れに差しかかった頃、ちょうど風が強くなったので、山の中に佇む封人(ほうじん)の家に泊まることになった。しかも、今日一晩泊まる部屋の近くには馬小屋が……。馬の尿の匂いがツーンとしてくる。さらに、馬の蚤(のみ)しらみが空中を浮遊しており、強風で戸がガタガタいっている。そんな情景を視覚や嗅覚、聴覚、皮膚の感覚で表現した句である。一方で、「本当なら、こんな最悪条件のところに泊まるはずじゃなかった」という風刺的な意味も読み取れるかもしれない。

こうした遊び心は芭蕉の門下であった森川許六(もりかわきょりく)や各務支考(かがみしこう)らにも受け継がれた。(4a)は森川許六が詠んだ句、(4b)は各務支考の句である。

(4)a. 糞とりの 年玉寒し 洗ひ蕪 
b. 西行の 爪糞程や 花の時  

う〇こネタを見たり聞いたりすると、ついクスッと笑いがこみ上げてくる。SNSなどでもバズるネタのひとつだ。巷ではう〇こミュージアムも登場し、さらに『う〇こ漢字ドリル』は発売から約2ヶ月で発行部数148万部を達成。あまりの人気ぶりに書店では欠品が続出した。芭蕉は老若男女を問わず、大衆がどのようなものに興じやすいのかを理解していたのだろう。

子どもにはとりあえず「う〇こ」って言っとけば笑いがとれます。

『芭蕉翁』(雨谷一菜庵著)-国立国会図書館デジタルコレクション

芭蕉のユーモアの源泉は『源氏物語』にあった

芭蕉がユーモア溢れる方であることを認識したところで、その素質はどのような経緯で培われたのだろうか。ここでカギを握るのが、日本史上最高傑作の作品と言っても過言ではない平安時代の長編小説『源氏物語』だ。

俳諧師たちにとって、『源氏物語』などの古典は創作活動に欠かせない知の源泉であった。それは俳諧の方法が古典的な美意識や歌語に卑俗な言葉を対比させつつ結びつけることによって、そこに生じる落差や一瞬にして反転する世界を創り出すことを目的としたからである。

久富木原玲氏の論文「笑いの歌の源流-芭蕉の排泄表現をめぐって」

ここで、江戸の俳諧七部集のひとつである『炭俵(すみだわら)』に収められた芭蕉の句を参照するとしよう。

(5)下京は 宇治の糞船 さしつれて

『源氏物語』の宇治十帖では、「宇治の柴舟」が宇治川の点景として描かれることがしばしばある。『源氏物語』の最後のヒロインである浮舟は自殺を図るべく、匂宮(におうみや)とともに川を下りながら、小舟と自分自身とを重ねて歌を詠み上げる。「宇治の柴舟」には浮舟自身の半生が投影されている。また、宇治川に浮かぶ小さな舟は「宇治(憂し)」の表象であるとともに、宇治川によって隔てられ、そこに立ち込める川霧に遮られるように暮らす宇治の女君たちのイメージが内包されている。

そして、『源氏物語』の「宇治の柴舟」を世俗向けに反転させた表現が「宇治の糞舟」である。こうして詩的主題を作り替えることで、貴族文化から大衆文化へと一気に突き落とし、その唐突な移動によってユーモアの世界観が生み出される。そして、それは欧米の人たちが古典的テクストをパロディー化する手法と似ている気がするのである。

このように近世の俳諧師たちは『源氏物語』理解の最先端にあり、これを受け継ぎ後世に伝える役割を果たした。(中略)古典の世界をどれだけ反転させ、落差を創り出すということが俳諧における創作の醍醐味だったからである。ゆえに「糞船」という語は『源氏物語』の綴じ目としての宇治十帖の世界を卑俗の極致である排泄言語のレベルへと落とすことによって「新しみ」と「遊び心」を演出するのにきわめて有効だったのである。

(同上)

江戸時代に入り町人文化が栄えたことで、貴族や宗教、外国などの権威と深く結びついた文化的過去と、庶民の生活・文化という明白なコントラストが生まれた。その二重性が投影された俳句はまさに、江戸の社会構造の象徴的存在とも言えるのではないだろうか。

さて、ここで話は平安時代に戻るとしよう。『源氏物語』が発表された平安時代に、下ネタをどストレートに落とし込んだ和歌が全く存在しなかったというわけでもない。例えば平安時代後期の歌人、源俊頼(みやもとのとしより)は自選歌集『散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)』において下ネタを託した和歌を詠んでいる。

(6) かたちこそ人にすぐれめ何となくしとすることもおかしかりけり

現代語訳:建前では高貴であるはずの人が尿をする仕草もどことなく趣がある

俊頼が下ネタを託した理由として、和歌世界がひとつの変革期を迎えるなかで、和歌の多様性を取り戻したいという意図があったようだ。

さらに、藤原清輔(ふじわらのきよすけ)もまた多少王朝和歌の規範から外れても、「笑いの歌」「滑稽な歌」を何とか和歌の枠組みの中に位置づけようと試みた。しかしながら、その決死の努力も虚しく、「笑いの歌」は和歌として受け入れられずに終わった。

そして数百年の時を経て、芭蕉をはじめとする近世の俳諧師たちの手によって『源氏物語』をベースに究極の「しもうた」の世界が形成された。

和樂webが始めたと思っていた「しもうた」は、実は伝統文化だったのか!

芭蕉の魔法にかかってしまえば、不思議なことに大根などの庶民の日常に密着したものも不浄なものも詩的イメージが付与され、想像を超えたものへと変身を遂げる。

時空間を超えた芭蕉の視点には老荘思想が生きているわけだが、その視点をもって十七字という短い句の中にコントラストを浮かび上がらせ、そこに俗なネタを挿入して自虐的な風刺とともに滑稽さを生み出す。それが芭蕉流“もののあわれ”なのかもしれない。

芭蕉の作品が世界中から愛されるワケ

吉本興業に所属するオーストラリア出身のお笑い芸人のチャド・マレーン氏は、来日して日本のお笑いを目の当たりにした時に感じたカルチャーショックをこう綴っている。

僕は日本に来た時、日本のお笑いが政治や宗教、人種といった社会ネタをあまりやらないことに驚きました。欧米ではこれに下ネタを加えたのが四大ネタだというのが、僕の意見です。

そうしたことを題材にせずにお笑いをやっていることに、まず驚きました。そして、「じゃあこの人たちは、いったい何で笑いをとっているんだ」と興味がわいたのです。

「日本のお笑いには政治や社会風刺が足りない」というのは、今年巻き起こった「日本のお笑いはオワコン」騒動でも言われたことです。

『プレジデント・オンライン』(2017年12月23日)に掲載されたチャド・マレーン氏の記事「なぜ日本の芸人は“風刺ネタ”を避けるのか」より

一方、芭蕉は下ネタに対してオープンであり、その作品を通じて適度に風刺を楽しむことができる。少なくとも芭蕉の句に見られるその価値観は、アメリカ人やイギリス人のそれに近いものがある。

また、欧米と日本の決定的な違いに関して言えば個を重んじるか、集団を重んじるかにある。集団主義の日本ではその特徴は伝統的な詩歌にも顕著に表れており、個人的な想像力よりも共同体的な想像力に重きが置かれる。一方、芭蕉の作品では多くの西欧人が大事にしている「個」の部分が際立っている。

日本では「あるあるネタ」が人気なのも、そういった理由?

多くの欧米人が芭蕉に惹かれる理由は、まさにここにあると言える。

あとがき

こちらは日本への留学経験があり、俳句を英訳した最初の人として知られるイギリス人のバジル・ホール・チェンバレン氏の翻訳である。

The old pond, aye! and the sound of a frog leaping into the water

チェンバレン氏は上のような翻訳を試みつつも、蛙の英訳が「frog」であることの異質性を説いている。

しかし、英語でfrogが登場したとたん、芭蕉の俳句にある静かな枯れた趣は消えてしまい、滑稽な雰囲気に変貌を遂げてしまうのをどうしようもなかったのだろう。こう述べている。

「ヨーロッパ人の観点からすると、蛙に触れることはこれらの詩行を完全に台無しにしてしまう。われわれは蛙を、暗黙のうちに猿やロバなど、その名をいえば韻文がたちまち風刺に変わってしまうばかばかしい生き物と同じカテゴリーに入れているからだ」

鳥飼玖美子『歴史を変えた誤訳』

『枕草子』の英訳にも手がけた日本文学翻訳者のアイヴァン・モリス氏いわく、ホトトギスは通常「cuckoo」と訳されるなかで、あえて「hototogisu」と原語のままにすることで詩的なイメージが保たれるのだと。同様に考えると、蛙の英訳はそのままローマ字化した「kawazu」でも良かっただろう。しかしながら、結局はあえて「frog」を選んだ。英語の「frog」には緑の皮膚で覆われたケロケロと鳴く両生類と、侮辱的な存在という2つの意味があることを利用し、ちょっとした言葉遊びした。少なくとも筆者はそう思うわけである。

個人的には”aye!”も気になります(笑)

イギリスの劇作家、オスカー・ワイルドは言う。アメリカ人やイギリス人にとっての「サーカズム(皮肉)」とは「知性の最高の状態」であると。「古池や~」の句に風刺的なユーモアをきかせることで、その句はひとたび高尚な人たち向けの嗜みへと変貌を遂げた。それが「古池や~」の翻訳の人気と結びついているような気がしてならないのだ。

(参考文献)
『芭蕉の風景 文化の記憶』ハルオ・シラネ著/衣笠正晃訳 角川書店 2001年
『芭蕉とユーモア-俳諧性の哲学』成川武夫 玉川大学出版部 1999年
『英語ジョーク快読のススメ-ジョークがわかれば、言葉も文化もわかる』中村清治 開拓社 2009年
『歴史をかえた誤訳』鳥飼玖美子 新潮文庫 2011年
「笑いの歌の源流-芭蕉の排泄表現をめぐって」久富木原玲『愛知県立日本文化学部論集7』愛知県立大学 2015年

芭蕉の「ユーモア」については、こちらで詳しくどうぞ↓↓↓


芭蕉とユーモア―俳諧性の哲学

書いた人

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。