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2022.01.06

日本神話の食い違いはなぜ生まれた?「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇vol.2〜」

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前回は「日本の始原神は独り神! つまり日本はいにしえからボッチ国!」とドヤ顔で言ったものの、早々に論拠が怪しくなってうろたえるところで終わった。

第一回 日本の神はボッチ説!?はこちら

今回は、うろたえる原因となった、とある疑惑を探っていきたい。

なぜ登場する神の名が違うのか

さて、同じ国の神話なのに、スタート地点からすでに食い違いがあるのは前回述べた通りなのだが、なぜそんなことが起こってしまうのだろうか。

というか、そもそも日本神話が語られ始めたのはいつ頃なんだろう?

絵本なんかだと、神々は古墳時代の服装で描かれることが多いが、本当にその頃の話なんだろうか。

『日本神話』 大木雄二 著[他] 国立国会図書館デジタルコレクションより

古墳時代は、今から約1750年から1400年前、つまり紀元3世紀の末ぐらいから7世紀頃までの期間とされている。社会の教科書なんかでは、旧石器時代、縄文時代、弥生時代に続く時代と説明されるから、日本の歴史の中ではごく初期段階と理解して間違いない。

随分古い時代ではある。けれども、ワールドワイドな視点で見ると、世界最古の文明は軒並み紀元前5000から4000年あたりを起点に始まるのだから、わりと新しい方ともいえる。

古墳時代より前、日本列島に住んでいた人たちは文字を持たなかった。よって、諸々を記録する術がなかった。そのため、神話は口承、つまり口伝えで受け継がれた。中国文明から漢字を学び、表音文字として用いるようになったのは5世紀頃のことという。古墳からの出土品に漢字が刻まれているからだ。さらに「文章化して記録する」という行為を始めたのは6世紀後半頃からであるらしい。『日本書紀』には、推古26(619)年には各氏族の言い伝えを集めた、という記録があるが、「一書に曰く」の元ネタはこれらの書だったのだろう。

つまり、古代日本においては、氏族ごとに異なる神話が語り継がれていた、ということになる。

現代人の感覚だと、なんでそうなるの? と思う。うちん家とお隣さん家で記憶される歴代総理大臣の名前が違うなんてことはありえない。

だがそれは、人類史的には最新型の社会である“国民国家”に所属する私たちだから持つ疑問であって、社会の変遷を考えると、氏族ごとに話が違っても何もおかしくない、のだそうである。

なぜなら、日本人の祖先とは、日本列島の外側の、複数の地域から渡ってきた人たちだからだ。

古墳時代から更に時間を巻き戻し、現代日本人と直接繋がる人々が日本列島に住み始めた時代までさかのぼってみよう。

私たちは生物学ではホモ・サピエンスに分類される。ラテン語でHomo sapiens、「賢い人間」という意味なんだそうで、随分とまあ強気な名前を付けたものだと思うが、それはさておき。

ホモ・サピエンスが列島に到達した正確な年代はわからないが、38000年前あたりから急激に彼らの痕跡が増えるという。旧石器時代の遺跡が日本全国に分布しているのだ。

ちょうどこの時代、地球は氷期(いわゆる氷河時代)で海面は今よりぐっと低かった。日本列島も今の姿とは大きく違った。北海道は現在のサハリンを介して大陸と地続き、本州には瀬戸内海がなく四国や九州も一体となるでかい島が一つあるだけだったらしい。

そんな時期、彼らは大陸の南北から、今よりずっと狭かった海峡を渡り、日本に入った。ホモ・サピエンスの発祥は数十万年前のアフリカやユーラシア大陸西部とされるので、彼らは気が遠くなるような年月をかけ西から東に移動し、最後に日本列島に到着したわけだ。大変お疲れさまでした、ご先祖たち。

とにかく何世代にもわたる超ロングロングジャーニーである。その間、遺伝情報が色々と書き換わり、人種的な違いが生まれた。環境によって生活様式や文化にも大きな違いが生じた。そういう「遺伝的にも文化的にも違う特徴を持つ」人たちが、それぞれ異なるルートで入り込んできたのが、先史時代の日本だったわけだ。

到達経路は北海道ルート、対馬ルート、沖縄ルートの三つと見られている。そこからどのようにして古代日本人が成立していったのか。大変興味深い話ではあるが、詳しく追っていくと話がどんどん神話からずれる一方なので、ちょっと端折って神話の話に戻したい。

列島到着時のご先祖たちは、すでにそれぞれの固有の文化を持っていた。その中には当然神話や伝説も含まれていたことだろう。

日本では、明治時代になって初めて神話や民話、昔話などが体系的に研究されるようになった。そしてその結果、アジア大陸から南洋の広い地域にかけて、日本神話の類話があることが判明した。それはつまり、各ルートから入ってきた人々の話が、子々孫々語り継がれたことを意味する。

そして、各地に定着する過程でローカライズされ、また異なる話を持つ人々とお互いに影響しあいながら、6世紀頃までには「神話」として成立した、と考えられるのだ。
つまり、日本神話は古墳時代なんかよりもっと前に生まれていたと思しい。まあ、弥生時代だけで千年弱、縄文時代にいたっては一万年近くも続いたのだ。記紀が生まれて今日までたった1200年程度しか経っていないことを思えば、これがどれだけ膨大な時間だったかがわかる。神話が生まれ、原型が見えなくなるほど変化するには十分な時間だっただろう。

はるか数千年の時を越えて今に残る物語なんて、なんだかとってもロマンチックだ。

だが、ロマンチックで終われないのが人間の常。

神話もその弊を免れなかった。大和朝廷が成立する時代に近づけば近づくほど、神話はただのお話ではなく、政治の手段として利用されるようになったという。そして、その末に「神々の政治的な創作」が行われた、らしい。捏造というと言いすぎだろうか?

え、神様なんてどうやって捏造すんのよ、と思うかもしれない。次回はいよいよその辺りに迫っていこうと思う。果たして我がボッチ神たちは、捏造疑惑から逃れることができるのか!?
(つづく)

▼「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇〜」シリーズはこちら

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文筆家、書評家。主に文学、宗教、美術、民俗関係。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』『文豪の死に様』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。関心事項は文化としての『あの世』(スピリチュアルではない)。

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編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。