Culture
2022.03.04

感染症にも関係があった!だるまの歴史やルーツを徹底解説

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縁起物や願掛けのアイコンになっている「だるま」。
カラーバリエーションが豊富だったり、だるま風になっているキャラクターがいたりと、現代ではいろいろなだるまが見られます。
しかし、ここであえてスタンダードな、赤くて、ころんとした形で、目力の強いだるまを見つめてみませんか? 
よく知っているものだと思っていても、ひとつひとつの要素を分解して、再構築してみると、意外と印象が変わるかもしれませんよ。

そういえば最近だるま買ってないなぁ~。

【モデル】日本美術の画題でもおなじみ! 禅宗の開祖・達磨大師

「だるま」と聞いて思い浮かぶものは、人によって分かれるかもしれません。
この記事の主役である赤いだるまをイメージする人もいれば、達磨大師(だるまだいし)という人もいるでしょう。

達磨大師は、禅宗の開祖となった人物です(この記事では、禅宗の「達磨大師」と工芸品の「だるま」を区別して表記します。)。
禅宗といえば座禅のイメージを持つ方が多いかもしれませんが、まさに達磨大師には洞窟の岩壁に向かって9年間座禅を組んで修行しつづけたという有名な逸話があります。
そこから「面壁九年(めんぺきくねん)」の言葉が生まれ、不撓不屈(ふとうふくつ/どんな困難にあっても決して心がくじけないこと)の意味で使われるようになりました。

ちなみに、達磨が提唱していたのは「壁観(へきかん)」で、これは先述の「壁に向かって座る」以外に「壁のように動じることなく真理を追究する」という解釈もあるようです。(画像出典:Colbaseより『慧可断臂図(模本)』狩野〈養川院〉惟信模写 原本:雪舟等楊筆 東京国立博物館所蔵)

禅の教えが日本で本格的に広まるようになったのは、鎌倉時代のことと言われます。以来、達磨大師は美術工芸のモチーフとして好まれ、さまざまな人々が達磨大師の絵画や工芸品を制作しました。

絵師はもちろん、禅僧によって描かれることも。この絵の作者・白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸中期の人で、禅宗のひとつである臨済宗の中興の祖と称されています。(画像出典:『達磨図(Portrait of Bodhidharma)』白隠慧鶴 メトロポリタン美術館所蔵)
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【かたち】系譜をさかのぼってみると……原点はコマ?

中国には、酒席の遊びに使う、木製のコマのような人形「酒胡子(しゅこし)」がありました。
日本の文献では、承平年間(931年~938年)に編纂された辞書『倭名類聚抄(わめいるいしゅしょう)』でその名を確認できます。

時が流れて、中国では明の時代(1368年~1644年)に、紙と糊で作る張子細工「搬不倒(ぱんぷとう)」が酒胡子に代わって登場します。
転がすと自動的に起き上がる搬不倒は、何度失敗しても立ち直る、七転八起の縁起物として扱われました。
特に、翁(おきな/男性の老人)が描かれたものは「不倒翁(ふとうおう)」と呼ばれ、長寿を表す意味もあって好まれました。

そして日本の暦で言えば応永8(1401)年、室町幕府が明と正式な交易を行うようになります。
これにより、さまざまな大陸文化が日本にもたらされました。そのなかに、不倒翁もあったとされます。

これは同じく、明との交易の際にやってきた「永楽銭(えいらくせん)」です(貨幣集めが好きだった筆者の祖父の持ち物)。永楽銭は織田信長が旗印に使ったので、見たことある人も多いかもしれませんね。

日本に伝わってから、この人形は、老人ではなく小法師(こぼし/小さな子ども)の姿で作られるようになります。
そして、「起き上がり小法師」として日本のあちこちに広まり、さまざまなアレンジバージョンが生まれました。そのひとつが達磨です。

江戸時代になると禅の教えがすっかり浸透し、達磨大師は人々にとって親しみのある存在となっていたと思われます。
また、先述の逸話から達磨大師は不撓不屈の精神を表すものとされ、起き上がり小法師の姿と結びついたのかもしれません。

達磨大師には、何年も座禅を組んでいるうちに手足が腐ってしまったという逸話も伝わっています。そこから現在のだるまの姿につながった説がありますが、一方で「座禅をしている姿ではないか?」と見る人もいます。実際に座禅姿の達磨絵や工芸品を見ると、私は座禅説を推したくなります。(画像出典:Colbaseより『達磨木彫根付』 東京国立博物館所蔵)
子どもの頃、こんな感じ↓↓の「起き上がり小法師」持ってました!


【色】生命力を感じさせる赤は魔除けの色だった

だるまといえば赤が一般的ですが、なぜ赤なのか考えたことはありますか?
その理由としては、モデルになった達磨大師が赤い法衣を着ていたからと言われています(ただし、別の色の法衣姿が描かれることもあり)。
そしてもうひとつ、赤が魔除けの色だったことが挙げられます。

禅宗や不倒翁と同じく、中国から伝わったとされるものに「疱瘡(ほうそう)除け」があります。
疱瘡とは天然痘のことで、日本だけでなく世界中から恐れられてきた伝染病です。治療法が見つかっていなかった時代、疱瘡は疱瘡神(ほうそうがみ、ほうそうしん)の祟りとされ、その対抗に使われたのが「赤」です。

日本や中国では、古くより赤を魔除けに使っていました。
中国にとって赤は重要な色で、生命力に溢れた、幸せや魔除けの象徴でした。今でも中国では、おめでたいときに赤色をふんだんに使います。
また、日本では『古事記』に魔除けとして赤い土をまく描写があります。

疫病神である疱瘡神は、魔除けの赤を嫌うと信じられてきました(ちなみに犬も嫌い)。
そこで人々は、赤いものを身近に置いたり、赤いお札や絵を貼ったりして、疱瘡を除けようとしました。

こちらは疱瘡絵もしくは赤絵と呼ばれる、赤一色で描かれた『朱描鐘馗図』(葛飾北斎作)。中国の神・鐘馗(しょうき)は魔除けとして好まれ、特に端午の節句の飾りに使われました。(画像出典:『朱描鐘馗図』葛飾北斎 メトロポリタン美術館所蔵)

飛騨地方の人形「さるぼぼ」や会津地方の張子細工「赤べこ」も同じく、魔除けの意味で赤が使われていると言われています。

そういえば鳥居も赤ですね! 身近にある赤いものを探して調べてみると面白そう!

合流! 渡来文化の集合体としてのだるま

禅宗の達磨大師、起き上がり小坊師、魔除けの赤。
これらの要素が、江戸時代に合流して誕生したのが「だるま」です。
転んでもすぐに起き上がる様子は、縁起がいいうえに子どもたちが面白がり、おもちゃとしても親しまれました。
そして、疱瘡をはじめとした流行病は、江戸時代の人々にとって切実な問題でした。
大きな目と赤が印象的で、不撓不屈を表しただるまは、魔除けとして心強い存在だったことでしょう。

歌川広重が安政6(1859)年〜文久元(1861)年にかけて描いた、50枚連作シリーズ『江戸名所道戯尽(えどめいしょどうけづくし)』の1枚。この時代、雪だるまといえば本当に「だるま」の形だったようで、他にも浮世絵等にいくつか同じようなものが確認できます。(画像出典:国立国会図書館デジタルコレクションより『江戸名所道戯尽 廿二 御蔵前の雪』)

子どものおもちゃ、魔除け、縁起物とさまざまな役割を持つだるまは、江戸時代後半にはすっかり人々の生活に身近な存在となっていたようです。
そして現代では、全国でさまざまなバリエーションに富んだだるまが工芸品として作られています。

一番有名なのは、だるまの生産数日本一を誇る群馬県の高崎だるまでしょうか。約200年前から作られており、養蚕農家が多かった群馬では養蚕の守り神にもなりました。(写真は筆者の私物)

赤いだるまと一緒に買った、ぐんまちゃんだるま。縁起物のせいか、年末年始になるとこのように「だるま化」したキャラクターをよく見ます。達磨大師の面影がほとんど残っていないのに「だるまだ!」とわかるのは、この形=だるまとすっかり刷り込まれているからでしょうか。

古来、渡来した文化が日本で独自の発展を遂げる例は多々ありました。
たとえば、ひな祭りや端午の節句といった五節句。その起源は古代中国に見ることができますが、形を変えながら日本の文化に溶け込んでいき、伝統行事として今日まで受け継がれています。

また、人気漫画『ちはやふる』でおなじみの小倉百人一首かるた(競技かるた)の「かるた」は、ポルトガル語のcartaが語源とされています。これも、元から日本にあった文化と西洋のカードゲームが合わさって生まれたものです。

私たちが使っている日本の文字も、大陸文化のひとつだった漢字が日本語の中に溶け込み、やがて独自の文字であるひらがなやカタカナの誕生につながりました。

それらを踏まえて考えてみれば、だるまも日本文化がよく表れた存在に思えてきませんか?
身近すぎて普段はあまり気に留めないようなものも、それを構成している要素をひとつひとつじっくり眺めながら遡ってみると、意外なつながりや分岐に気づくのではないでしょうか。
そう思うと、文化とは、川の流れに似ているのかもしれません。

生活に合わせて文化は少しずつ変化していきますね。今回のだるまのように、一度立ち止まって調べてみるもの面白い!

主な参考文献
『チクマの実学文庫 よくわかるだるまさん』 廣瀬正史/著 チクマ秀版社 2000年
『達磨からだるま ものしり大辞典』 中村浩訳/著 社会評論社 2011年
『開運だるま大百科 新装版』 中村浩訳/編著 日貿出版社 2016年
『日本人形玩具大辞典』 日本人形玩具学会 /編 東京堂出版 2019年

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書いた人

日本文化や美術を中心に、興味があちこちにありすぎたため、何者にもなれなかった代わりに行動力だけはある。展示施設にて来館者への解説に励んだり、ゲームのシナリオを書いたりと落ち着かない動きを取るが、本人は「より大勢の人と楽しいことを共有したいだけだ」と主張する。