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2022.08.02

藤原定家とはどんな人?百人一首など業績や作品を3分で解説

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日本人が1度は触れたことのある、『百人一首』。その『百人一首』を編集したのは誰かというと、平安末期~鎌倉初期の歌人藤原定家(ふじわらの さだいえ)です。では彼はどんな人物だったのか、3分で解説しましょう!

「ていか」と呼ばれることもありますね。有名だけど意外と知らない人の一人!

和歌の革命家

定家の父は、藤原俊成(ふじわらの としなり)というこれまた天才的な歌人です。俊成は「本歌取り」といった和歌の技法を推進し、和歌で「幽玄」や「艶」を表現した人物です。この「幽玄」や「艶」は後の時代には、能や茶道にも取り入れられていて、まさに日本文化の礎を築いた人でもあります。

そんな俊成の子、定家の歌風は前衛的ともいえる新しいものでした。当時の人からはあまりにも新しすぎて「伝統を無視した難解な歌」と評され、歌人の世界では爪はじきにされていました。

しかし才能を後鳥羽上皇に見いだされ、後鳥羽上皇の和歌サロンに入るようになると、その新しい歌は和歌の革命となって風を巻き起こします。後鳥羽サロンだけでなく和歌界全体を巻き込みました。現代でも小説家にして文芸評論家である丸谷才一氏はその様子を「日本最初の近代詩人」と評したほどです。

そして和歌を作るだけではなく、『百人一首』や『新古今和歌集』など、他の歌人の歌を厳選した歌集も多々残しています。

和歌の革命家だったんだ!

▼『百人一首』の知られざるストーリーはこちら
百人一首は1人の友のために作られた!?藤原定家と鎌倉御家人による制作秘話を紹介!

▼『新古今和歌集』についてこちらの記事でご紹介しています
あふれる想いがほとばしるセクシーな和歌『新古今和歌集』から選んでみました

百人一首の藤原定家の歌

実際、定家がどんな歌を詠んだかというと……。一例として百人一首の中の定家の歌を紹介します。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしお)の 身もこがれつつ

淡路島には「松帆浦(まつほの うら)」という海岸があります。その松帆の「松」と来ない人を「待つ」を掛けています。

藻塩とは、海藻を焼いて作る塩のこと。転じて、藻塩は「焦がれる」を引き出す枕詞にもなります。

これらを踏まえると、こんなような歌です。

松帆浦で夕凪が吹く中、藻塩が焼かれている。来ないとわかっていても(あの炎の中で燃える藻塩のように)焼かれ焦がれて待っているのです。

イメージ

このように、定家の歌は「情景」と「心情」がリンクするような歌を作りました。これは「有心体(うしんたい)」と呼ばれる定家の和歌のスタイルです。

燃えるような恋心が、リアルに迫ってくる!

▼そもそも『百人一首』って何だっけ? こちらでおさらい
百人一首とは?稀代の歌人、定家による和歌の奥義を読み解く楽しみ!

文学研究の第一人者

定家は歌人であると同時に、文学研究者でもありました。和歌の作法についての著作もあり、『下官集(げかんしゅう)』という著作では「仮名遣いはこのようにしろ」と定めたものがあります。

例えば「お」と「を」、「え」と「へ」と「ゑ」、「い」「ひ」「ゐ」をどうやって使い分けるかといったことです。これを定める事によって、誤読を防ぐことに繋がります。この仮名遣いは「定家仮名遣い(ていか かなづかい)」と呼ばれ、明治時代までの標準となっていました。

平安・鎌倉時代から明治まで!? すごい。

古典文学研究でも第一人者

定家が活躍した平安末期~鎌倉初期にも、すでに「古典文学」とされる作品が多くありました。『源氏物語』『土佐日記』などの写しや注釈を書き入れたものを残しています。

その注釈にも、定家仮名遣いが使われているおかげで、現在も多くの古典文学を当時のまま読むことができるのです。

味のある個性的な筆さばきは習字の手本に!

そんな多才な藤原定家の欠点と言えるのが、「悪筆」と断じられた文字。しかし見続けているとなんとも言えない味わいが出て来ます。いわゆる「元祖ヘタウマ系」とも言えます。

藤原定家筆『明月記』 出展:ColBase
私も文字がだんだん右に傾いていっちゃうタイプなので、親近感覚えました(笑)。

個人的には、一文字一文字を丁寧に書いている感じで、達筆と呼ばれる人の崩し文字よりは読みやすいな~と思います。

そんな定家の文字は「定家様(ていかよう)」と呼ばれ、江戸時代には習字の流派の1つとなりました。現在も、定家の文字を元にしたパソコンのフォントがあります。

歴史・文学だけでなく、理系の研究にも影響を与えてる!?

京都の貴族の例にもれず、日記を書き残しています。それが『明月記(めいげつき)』です。

京で起こった出来事や噂話を詳細に書き残しておいてくれたおかげで、歴史研究の貴重な史料となっています。その内容は多岐にわたり、地震の記録や、陰陽師から聞いた夜空の星のことなど、理系分野にも及びます。

花の名前にも!

定家の名は花の名前にもあります。その名も「テイカカズラ」! つるを伸ばす植物で、プロペラのような花が咲き、毒を持っています。

テイカカズラ

なぜこの名前なったかというと、能の演目『定家』にもなった伝説が由来です。後白河天皇の娘、式子(しょくし/しきし/のりこ)内親王を愛した定家は、死後も彼女を忘れられずにカズラに生まれ変わって、彼女の墓に巻き付いたという内容です。

個人的に、定家のことは「ちょっと気難しそうな性格をしているなぁ」と思っているので、毒を持つ植物なのはちょっと納得です。

実際に定家と式子内親王が恋愛関係にあったのかは状況からの憶測でしかありません。けれどちょっと偏屈な歌人とロイヤルプリンセスの恋ってロマンを搔き立てますね。

式子内親王は、あの後白河法皇の娘!


後白河法皇とは?人物解説!西田敏行演じる男はフリーダムでクセがスゴい【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

定家なくして日本の歴史・文化は語れない!

そんな数々の分野に今なお影響を与える藤原定家。定家なくして日本の歴史や文化を語れないと言って過言ではありません! この記事を読んだ後、改めて定家の残した和歌や日記に触れてみると、新たな発見があるかもしれませんね。

参考文献

『日本大百科全書』
『国史大辞典』
『日本国語大辞典』

アイキャッチ画像:栗原信充『肖像集6. 藤原定家』 出展:国立国会図書館デジタルコレクション
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神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。