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2022.10.28

悪霊と関係? バクが夢を食べるナゾを解説

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何者にも邪魔されず、何事にも煩わされず、安心安全にぐっすり眠ること。それは生きとし生けるもの、すべての願いである。そしてあわよくば、寝てみる夢なら幸せでめでたい内容がいい。

みたくない夢をみてしまったとき「ゆうべの夢は獏(バク)にあげます」と3回唱えると悪い夢から逃れられるという風習を聞いたことがある。あるいは「悪い夢なら獏が食べてくれる」なんて話を聞いたことがあるかもしれない。でも、どうしてキリンでも鹿でも猪でもなく、バクなのだろう?

バクバク食べてくれるからとか?

バクが夢と結びついた背景には、古代人が憂いた悪霊の存在が関係している。この獏・バクという生物は、古から人びとの夢を守ってくれていたのである。

霊獣〈獏 バク〉について


バクにまつわる逸話は多い。そもそも名前の由来からして謎めいている。バクはタイ語で「まぜ物」を意味するが、神様が動物を創造したときに、最後に余った材料を繋いで作ったのがバクということらしい。その証拠に、見た目にも珍奇なこの生物は鼻は象に似ているが象より短く、サイに似た体型で、前足は4指なのに後ろ指はなぜか3指しかなく、生え方もまばらな短い毛に覆われている。そのうえ外側だけでなく内側も不思議な作りになっていて、胃腸は馬に似ているのに肺は牛にそっくりときている。

へぇ~、面白い!

名前のとおり、地上の動物をまるでパッチワークのように縫い合わせた珍獣である。ところでバクの胴まわりの白い跡は、お釈迦様の乗り物だった名残との説もある。ちなみにバクは夜行性でゆっくり歩き、水中に入ることもあるという。好物は木の芽と水草。悪夢を食べてお腹を壊したという話は聞いたことがない。

中国・唐代を代表する詩人、白居易(はくきょい)はこの生物について「南方山沢中に生じ、象鼻、犀目、牛尾、虎足。その皮に寝ねて瘟(流行り病)を避け、その形を図して邪を避く。今俗にこれを白沢という」と記している。
とはいえ、古代中国人が実在するバクを知っていたかどうかは疑わしい。鹿の角や鷹の爪や魚の鱗を組み合わせた「龍」や「麒麟」といった想像上の生きものと同じように、バク(獏)もまた各種の動物を合成して拵えあげられた空想の動物かもしれない。興味深いのは、中国の獏は夢を食べなかったということ。獏は日本に渡ると、なぜか夢を食べるようになってしまったのである。

吉夢よ、こいこい。 宝船と獏が運んでくる幸福

小林清親 『百面相』 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

日本における獏と夢の繋がりは、室町時代まで遡ることができる。昔から寝ているときにもっとも安全な場所は、枕の下だった。私たちは未だに枕の下にいろんなものを潜ませているが、その中に「獏枕」なるものがあった。昔の人は枕に獏の図や「獏」と一字を書いたり、枕の下に獏の字の版画を敷いたりして眠ったという。

馬場さん、枕の下に何を隠しているの?(笑)

江戸時代には、一月一日あるいは二日の夜に丸に「宝」とか「獏」という字を描く帆を上げ、宝物と七福神を乗せた宝船に回文の歌(「なかきよのとおのねふりのみなめさめ、なみのりふねのおとのよきかな」)を記したものを枕の下に敷いて吉夢を願った。宝船の絵が描かれたのは、舟の夢をみると吉と信じられていたからだろう。海の彼方から幸運を満載して枕の下に来訪するという、江戸時代の福神信仰とも関係しているかもしれない。

正月に縁起をかついで災厄を祓おうと祈るのは、今も昔も変わらない。なかでも初夢は一種の夢占いようなものだ。何度も占えるものではないから、この日ばかりは夢の内容にも注意したくなる。中世の末から近世のはじめ、人びとは家庭の神棚や近くの氏神で神拝をし、雑煮を食べてから「どうか吉夢がみれますように」と念じ、もちろん枕の下に絵をひそめるのも忘れずに、それから眠りについた(『枕 ―ものと人間の文化史―』)。眠りにつく前のささやかな儀式の連なりのなかに、吉夢をみたいという今も昔も変わらない想いが伝わってくる。

魂をつなぎとめろ! 睡眠の守護神たち

『浮世絵概観』より「蚊帳美人」 (国立国会図書館デジタルコレクションより) 

霊獣・獏の起源は中国にある。吉夢を運んでくると信じられていた獏は、辟邪(魔除け)の動物でもあった。かつては睡眠中に魂が遊離すると信じられていたのである。だから眠っているあいだに魂が悪霊にさらわれてしまわないように、枕辺や寝室には辟邪の神獣が置かれた。

中国の陶枕(陶磁器製の枕)には、獏以外にもさまざまな動植物が描かれている。枕には魔除け的な図柄もあれば、安らぎのために描かれた図柄もある。鳥類ならアヒル、オシドリ、鶴、カササギ。牡丹や唐草、蓮、竹、桃といった植物文様も好まれた。動物なら虎、象、鹿、羊、兎、熊、馬など。魚を描いたものもある。なかでも虎や獅子といった牙をむく動物は邪悪を退けるとされていたらしい。コウモリを図案化した枕もある。これはおそらく、夜行性のコウモリが闇夜に忍び寄る悪霊から人を守ってくれるという迷信によるものだろう。

そう、悪夢を退けてくれるのは獏だけではないのだ。
この風習が日本に伝わると、大名家の寝室や襖や屏風に獏や虎や唐獅子などの霊獣が描かれるようになる。江戸から明治の枕には、鶴や菊のデザインが多いのも興味深い。きっと、長寿にあやかろうとしたのだろう。

枕に託す想いはさまざまだ。枕はときに、魔除以外の役割も果たした。たとえば熊の絵の枕なら男の子が欲しいときに、かわいい唐子や美人図の枕は女の子を待ち望んで使われた。母親たちは枕を抱えながら、夜々、子どもをさずかるように祈ったのだ。

枕は願掛けアイテムでもあったのか!

古代人の最高の安眠枕

『源氏物語絵巻』 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

最高の眠りを叶えるため、枕には様々な工夫が凝らされてきた。より良い眠りを求めたのは、古代人も同じである。寝具としての枕は消耗品だから、実物が残されることはあまりないのが残念だ。それでも、古代にもいろいろな枕があったことは分かっている。

たとえば、なるべく頭になじみ、気持ちの良い素材をもとめて茅や葦や稲を材料とした草の枕。平安貴族は四角い木を芯にして、麻布や真綿でくるんだ枕を用いたという。中国の古文献には翡翠枕、珊瑚枕、琥珀枕、瑪瑙枕、水晶枕などが登場する。寝心地は定かではないけれど、良い夢がみられそうな気はする。各々好みの枕に頭を乗せて、古代人はいったいどんな夢をみていたのだろう。

お金持ちになった夢が見られそう(笑)

だけど夢じゃお腹はふくれない

『春日権現験記絵巻』 (国立国会図書館デジタルコレクションより)

中国からやって来た霊獣・獏。
古代中国にバクはいたのだろうか。彼らが実在のバクを見たことがあったかどうかは分からないが、霊獣・獏は伝聞をもとに作られたと考えてよさそうだ。その考えを裏付けるように、中国最古の字書『爾雅(じが)』では、この生物は鉄と銅と竹の骨を食べると言うことになっている。

獏さん、どんどん設定が追加されていくな……(笑)

日本で夢を食べるようになった獏は正月の夜の守り神として船に乗ったり、枕の下に敷かれたりするようになる。やがて一年中、夜の守り神として働くようになった。やがて悪夢をみたら「獏食え獏食え」とか「ゆうべの夢は獏にあげます」と唱えられるようになり、お腹の足しにもならない悪夢を押しつけられてしまう。もしかすると中国の獏には、日本の鉄と銅と竹の骨はお口に合わなかったのかもしれない。だけど、夢じゃお腹はふくれない。

【参考文献】
矢野憲一 『枕の文化史』1985年、講談社
矢野憲一 『枕 ―ものと人間の文化史―』 1996年、法政大学出版局

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。