Culture
2022.10.31

文人画はサラリーマンのストレス解消法?作者の壮絶な背景とは

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温泉旅館によくある、墨で描かれた風景画。一度はご覧になったことがあるだろう。細長い山、釣りをする爺さんなどの渋い絵。じつは「文人画(ぶんじんが)」というジャンルだ。

与謝蕪村、池大雅など、文人画をルーツにした江戸時代の人気絵師はいるが、文人画というジャンル、今の日本ではマイナー……。しかし! 江戸時代や明治時代は、爆発的な人気を誇っていたらしい。そして元ネタは中国。中国で描かれた文人画には、サラリーマン号泣レベルのエピソードがあるという。さっそく若手研究者に聞いてみた。

働くみなさん、人間関係に悩んでいる方必読です!!

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

たった一人のミスで、一族が抹殺!? 中国の王朝時代、官僚のストレスはハンパなかった

お話を伺ったのは京都女子大学・前﨑信也教授と、大阪国際大学の村田隆志教授。お二人は、日本では忘れかけられている文人画を、再興したいと奮闘する若き研究者だ。

甲斐虎山/山中大堂図 1938年、而中文庫

給湯流:そもそも文人画の「文人」ってどういう意味でしょうか?

前﨑:中国の王朝時代、科挙に合格した官僚などの知識人のことを指します。ずばりプロの絵師ではない、素人が描いた絵を「文人画」というのです。

給湯流:え、素人? 雪舟が中国にわたって習った絵師などとは、関係ない?

前﨑:そうですね、別の人たちです。雪舟が教わったのは、宮廷に注文された絵を描くようなプロの絵師。ですが、文人画は官僚が趣味で描いたものです。

村田:「趣味」とおっしゃいましたが、官僚がものすごいストレスから、救いを求めるために描いたものなのですよ。

給湯流:救い!?

村田:官僚がちょっとしたミスをしたら、一族全員が抹殺されたりすることすらあったんです。

給湯流:え! 日本だと謀反を起こしても、島流しですむケースもありましたよね。中国は恐怖のスケールが違う!

村田:「死屍に鞭打つ(ししにムチうつ)」という言葉が、中国にはあります。日本でも「死人に鞭打つ」と言いますが……この言葉、ものの喩えではなく、本当にされたりするのです。敵の死体を墓から掘り出して恨みを晴らしたりする。死んでも安息が訪れないことすらある。

給湯流:ぎょええ! ものの喩えではなく、物理的に!?

村田:唐の時代の宰相の婁師徳(ろうしとく)という人の逸話など、すさまじいです。弟が地方長官に就任したとき、心配して「もしも政敵から顔面に唾を吐きかけられたらどうするか?」と尋ねた。弟は「兄上、大丈夫です。そんなことをされても唾をぬぐうだけにします」と答えたのですが、婁師徳は「弟よ、それは違う。吐かれた唾をぬぐうという行為そのものが、相手に反撃しようという心持ちのあらわれ。乾くまで待つのが正解だ。そのような心がけでは心配でならぬ」と嘆いたというのです。

給湯流:ちょっと待って。唐の時代、職場で唾を吐きかけられるのがデフォルトなのですか(笑)。いやはや恐怖のレベルが違う!!! 

村田:常にそれくらいの心がけで生きなければいけないストレス、想像を絶しますよね。生きていても、死んでからも、なかなか安らげないのです。

給湯流:日本だったら、菅原道真みたいに権力争いで負けた人たちを、祟りが起きないように大切に祀るのに……。なぜ中国の王朝はそんなに怖かったのですか?

村田:中国は昔から人口が多かった。小麦を主食にした地域に比べて、中国の南方で栽培される米は同じ面積で何倍も多くとれましたから。たくさんの人々をまとめていくのは大変です。国土も広大で、文化も、慣習も違う場合も多い。だから少しでも不審な人間は、徹底的につぶす勢いだったのでしょう。

尋常ではないストレスに苦しむ官僚が、せめて絵の中ではのんびり過ごしたい、と刹那に描いたのが文人画

前﨑:仕事でとてつもないストレスを抱えた中国の官僚が、鶴になって世界のどこかにあるとされる桃源郷や蓬莱山に飛んでいきたいな、仙人になって山奥で静かに暮らしたいな、という夢を描いたのが、文人画なのです。

村田:つまり、生きていくために肉体は人間の世界に置いておかざるをえないとしても、精神だけは人間関係のストレスが存在しない、理想の世界の中で遊ばせたい、と思って、彼らが自ら描いたのが、文人画なんです。

給湯流:なんと! 仙人とか爺さんばっかりいる地味な絵だな、なんて思っていましたが、そんなせつない背景があったのですか……。涙なしでは見られませんねえ。

甲斐虎山/《帰漁図》1943年、而中文庫

村田:文人画には、漁師が描かれることがあります。漁師は「今日は魚が釣れなかった」などの悩みはあるでしょうが、人間関係のストレスはない理想の生き方と官僚に思われていました。漁師は、官僚にとって憧れの存在。だから頻繁に描かれたのです。

給湯流:号泣です! もう「地味な絵だ」なんて一生言いません。

前﨑:墨一色で描いた文人画が、地味といわれるのは仕方ないかも(笑)。今は好きな色の絵の具を買えばすぐ色が塗れます。しかし昔は絵の具のチューブなど売っていません。自分で鉱石を砕いたり、調合したりして顔料を作らないといけなかった。プロの技術が必要だったのです。官僚は本業が忙しいので、顔料をつくる時間も技術もない。だから墨だけで描いていた。

給湯流:なるほど、ストレス業務の合間をぬって描いたモノクロームの世界。せつない! これからは文人画を全力で応援します。

村田:日本の温泉旅館で、部屋の床の間に文人画の典型、山水画が飾られていることが多いのも、元々は「忙しい毎日を忘れて、せめて心もゆっくりしてください」というメッセージだったのです。

給湯流:温泉旅館で山水画、何も考えずに見ていました……。そんな深い意味があったとは泣ける!

給料が上がらず苦しんだ日本の下級武士が、副業として文人画にとびついた!?

給湯流:中国王朝・官僚の文人画が、なぜ日本で流行ったのでしょうか?

文徴明/雨余春樹図(部分)國立故宮博物院蔵

村田:江戸時代、太平の世になり武士が漢文を学ぶようになった。中国文化への教養が高まるなかで「このようなストレスの解消法があるのか」という気づきがあり、自分でも描いてみようとする人が表れます。江戸時代の身分はほぼ固定で、低い身分の家に生まれてしまうと、無能な上司に抑えつけられて能力が高くても発揮できない。そんな鬱屈が、文人画に向かうこともありました。ちなみに、日本の場合だと文人画を「南画」ということもあります。

給湯流:うわー、サラリーマンは共感できますね。

村田:しかも、武士の給料がぜんぜん上がらなかったのです。幕府に何万石と決められ、そこから下級武士に渡される給料は固定されていた。

前﨑:江戸時代の260年くらいの間に、武士以外の人々の給料は2倍以上にはなったとされています。でも武士の給料は変わらない。生きるのが辛い下級武士が、同じく仕事で辛い思いをしている中国の官僚が書いた書物を読み、彼らが描いた文人画に感情移入したのでしょう。

村田:ぶっちゃけ、下級武士の副業という一面すらありました。自分が描いた絵がもしも売れたら、安月給を補える。有名な渡辺崋山なども、それで弟や妹たちを養ったほどです。

給湯流:なんだか、今の日本のサラリーマンみたいですね。物価上がれど給料上がらず!

村田:そうそう。古臭いと思われがちな文人画ですが、1周……いや5周くらい回って、今の時代こそ、文人画が新しいと思います。ものすごく感情移入できる状況になっている。

江戸時代、日本美術の半分は文人画…くらい大人気だった!?

前﨑:伊藤若冲や円山応挙など、江戸時代の一流の画家は京都や江戸にいて、素人は教わることができませんでした。しかし文人画は墨があれば描けますし、そもそも「趣味」の絵だから、江戸時代の後半は文人画が全国各地でめちゃくちゃ流行したのですよ。数量だけで言えば、少なくとも日本絵画の半分は文人画、くらいの勢いです。

給湯流:えー! そんなに盛り上がっていたのに、なぜ今は日本で、文人画があまり人気がないのでしょうか。

前﨑:明治時代、欧米列強の植民地にされないために、富国強兵だけではなく、文化面でもアピールをする必要がありました。その際、日本のオリジナルだとわかりやすい美術が優先されてしまった。中国をルーツとする文人画ブームは去っていきました。今では美術の教科書にもあまり載っていません。

甲斐虎山/石図 1953年、而中文庫

村田:そんな時代に、たった一人で文人画を描き続けたのが甲斐虎山(かい・こざん)。幕末1867年生まれです。長生きをして亡くなる1961年ころまで描き続けました。

給湯流:うおお! この「石図」という作品、現代アートのようです。かっこいい!

村田:そうなのです。甲斐虎山はとても面白い世界で、ほとんど知られていないのは惜しいですね。

給湯流:それは悔しい……。ぜひ盛り上げていきたいです。ストレス社会に生きるサラリーマンこそ見てほしい、文人画! ありがとうございました。

*アイキャッチ画像は、甲斐虎山/帰漁図 1943年、而中文庫

前﨑教授、村田教授、渾身の1冊! 「静寂の南画家 甲斐虎山 ー孤高の生涯と芸術ー」

大正時代の激レア南画家、甲斐虎山(かい・こざん)を紹介する本。南画(なんが)は、文人画をルーツとして日本独自に発展したジャンルです。中央画壇にはコミットせず、ひたすら絵を描いた知る人ぞ知る絵師! 晩年は、まるで現代アートのような絵も描いていてかっこいい。

関西美術界を代表する若手研究者二人が、虎山の絵、南画の見方をわかりやすく解説。文人画初心者の方でも楽しめる一冊です。

前﨑信也 トークショー

KOGEi Next展 2022
2022年11月18日(金) 、11月19日(土)
11:00-20:00(コロナ渦による変更の可能性あり)
六本木ヒルズ「Hills Cafe / Space」
東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ ヒルサイド2F

【トークショー(有料)】
500円(税込)、定員80名(立ち席のみ)
2022年11月19日(土)12:00-13:00
「循環する超絶技巧」
茂木 健一郎(脳科学者)×前﨑 信也

【トークショー(無料)】
2022年11月19日(土)18:00-18:30
※先着80名(立ち席のみ)
※当日17:00より会場受付にて整理券配布
「世界に一台のエレキ三味線誕生秘話」
出演 蜷川べに(和楽器バンド)×前﨑 信也

村田隆志 参画展覧会

KANSETSU
橋本関雪生誕140年
ー入神の技・非凡の画

2023年4月19日(水)- 同年7月3日(月)

東山会場:白沙村荘 橋本関雪記念館 
嵐山会場:福田美術館・嵯峨嵐山文華館

前﨑信也 プロフィール

京都女子大学家政学部生活造形学科教授 1976年、滋賀県生。ロンドン大学SOAS博士課程修了、2009年、博士号取得(PhD in History of Art)。立命館大学アート・リサーチセンター客員協力研究員、京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員研究員等を兼務。専門は日本工芸文化史、東洋陶磁研究、文化情報学など。近著に『アートがわかると世の中が見えてくる』(IBCパブリッシング、2021年)。

村田隆志 プロフィール

大阪国際大学国際教養学部国際観光学科教授 1978年、兵庫県生。学習院大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程単位取得満期退学。日本水墨画美術協会理事、京都女子大学文学部非常勤講師等を兼務。専門は日本近世・近代美術史、近代南画研究、博物館学など。近著に『明治の金メダリスト 大橋翠石~虎を極めた孤高の画家~』(神戸新聞社、2020年)。

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!