Culture
2023.01.05

両陛下は飲むお真似を。寒の入りに頂くニヒヤミズとは?【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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三笠宮妃殿下に、宮中の食文化について伺っていたときのこと。先輩が、「妃殿下は、寒の入りのときに小豆とにんにくの入ったニヒヤミズをお召し上がりになりましたか?」とお伺いした。そもそも、ニヒヤミズがなんだかわからない。そして、小豆とにんにくの入った食べ物が想像できず、頭をぐるぐる回転させていたら、妃殿下がさらりとひとこと。「あぁ、ありましたね。あまりおいしいものではなかったけれど」と。そのひとことを聞いて、私の頭は完全に回転を停止した。そしてすぐに伺ってしまった。「畏れ入ります、おばあちゃま。それは一体なんでございますか?」と。

ニヒヤミズとは、「煮冷や水」のこと。一回沸騰させてから冷ました水である。寒の入りのお昼食の前には、御所ではお皿に盛られた黒餡餅と、小豆とにんにくのみじん切りをそれぞれ猪口に入れたもの、冷水を入れたガラス瓶が両陛下の御前に供されるのだそうだ。両陛下は、汁茶碗に小豆とにんにくをお入れになり、水を注いで飲む所作をされる。御所では飲むお真似をされるだけだけれど、三笠宮妃殿下は実際にひと口お飲みになっていたということで、確かにそれはおいしいものではなさそうな気がする。

日本で最初の本格的な植物図鑑とも言われる岩崎常正『本草図譜 42巻』には和名でにほびるの表記が。本草図譜刊行会 国立国会図書館デジタルコレクションより

にんにくの邪気払いは世界共通?

古くは日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東国平定の折、足柄山の神が化けた白鹿を、にんにくを投げて打ち殺したという逸話がある。以来、山越えの際はにんにくを噛んで、人や牛馬に塗ると神の気に当たらないと言われていたそうだ。ヨーロッパでは、吸血鬼を寄せ付けない力があるとされているし、ギリシアでは魔術を破る霊草とされ、英国では幼児を入れたゆりかごににんにくを飾り、取替え子とすり替えようとする妖精除けにしたという。強烈な臭気を持っているからだと考えられるが、世界各国で同じように邪気を払う役割があるのが興味深い。

平安時代には諸病の治療に

日本では、源氏物語の「帚木」の巻に「極熱の草薬(ごくねちのさうやく)」として登場するように、平安時代から諸病の治療に使われていた。梅雨の雨が降り続くある夜に、式部丞がある女性を訪ねたところ、「最近病気が重いので、極熱の草薬(にんにく)を服用したため、臭いがするのでお会いできません」と断ったというお話。梅雨時期で体が弱っているところ、滋養強壮の効果を願ってにんにくを食したのだろう。引目鉤鼻の十二単をまとった美しい女性がにんにくを口にしている姿はいまひとつ想像しにくいけれど、当時からにんにくに夏バテ防止の効果がしっかりと見出されていることに驚いてしまう。

広重『源氏物語五十四帖 箒木』 国立国会図書館デジタルコレクション より

室町時代以降は、夏の土用になると、夏負けのおまじないとして、にんにくと小豆を入れた水を飲む習慣が生まれる。そう、これが小豆とにんにく入りの煮冷や水のことであり、御所でも夏の土用の入りと冬の寒の入りに未だに召し上がっているものである。小豆は、その赤い色から魔除けに使われており、ぐっと暑くなる時期と寒くなる時期の前に、厄除けのにんにくと小豆を口にして、体を備えておくと言う意味があるのだろう。

公家の三條家の史料によると、「寒の入(中略)あずきもち七十文丈(はかり)、にんにく一つ用意の事。神様仏様あずきもち御備(御所様御始上る。御裏様へも七つ被進)(水にあずき、にんにく入、お茶碗にて上がる事)」とあり、公家の家庭ではどこでも行われていた習慣のようだ。御所でも、神様と仏様に小豆餅を供えた後、水に小豆、にんにくを入れた茶碗を用いて、この餅で祝ったそうだ。にんにくの臭いを嗅いで、水を飲み、小豆餅を食べると、病気にならないとあり、この頃からやはり「お真似」であったことがわかる。

京都では、夏の土用の頃に、「土用餅」というあんころ餅が和菓子屋さんの店頭に並ぶ。土用の入りにあんころ餅を食べると、力が付き、暑気あたりを防ぐと言われているが、やはりこれは公家の文化が市井に広がったものだろう。寒の入りのあんころ餅はあまり見かけないけれど、小正月の頃に小豆粥を食べると言うのは、これと無関係ではないだろう。

日本で脈々と培われてきた相手を思いやる心遣いの美しさ

宮中の文化には、平安、江戸、明治など、様々な時代に生まれ、現在まで伝わっているものが多くある。その反面、時代の流れとともに、いつしか行われなくなってしまった文化も星の数ほどあるのだろう。そんな中で、室町時代から変わらぬ形で、小豆とにんにく入り煮冷や水が令和の御代まで残っていることに、感動を覚えずにはいられない。

この度、祖父である三笠宮殿下の100年に亙るご足跡を追った伝記を上梓したけれど、御事績を見てみると、昭和の時代は、「寒の入りにつき」「お中元につき」など、秩父宮家、高松宮家とご都合を合わせられ、様々な場面で、本当に度々に御所にご挨拶に上がられている。御兄弟の絆の深さが感じられるのはもちろんのこと、季節の移り変わりの大切さ、そしてそれに伴う体調の変化を気遣うという、日本で脈々と培われてきた相手を思いやる心遣いの美しさを垣間見られるようで、とてもあたたかい気持ちになる。「寒の入りにつき」と御所にご挨拶に上がることはもうないのだけれど、小豆とにんにく入り煮冷や水と小豆餅は我が家でも復活させてみてもいいかと思っている。でも、やはりお水は飲まずに、「お真似」だけだろうか。

アイキャッチは楊洲周延『千代田之大奥 元旦二度目之御飯』福田初次郎 国立国会図書館デジタルコレクションより

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。