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2019.10.11

山形県米沢市の伝統工芸絹織物「米沢織」とは?紅花染の美しさに注目!

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紅花が県花となっている山形県。国内随一の紅花産地となったのは江戸時代の頃。紅花をはじめ、すでに漆や桑、青苧(麻の一種)などの栽培が推し進められ、当時山形県を治めていた米沢藩が買い上げていました。9代目米沢藩主の上杉鷹山公の頃には、家中の女性たちが機織りを習得。米沢市の特産品である絹織物「米沢織」が誕生しました。

紅花染による米沢織を長年扱う「新田家」のお話

今回ご紹介するのは、米沢藩の武士の家であった新田家。現在まで五代にわたって続く織屋さんです。一度は途絶えてしまっていた紅花染めを再興させ、日本にとって重要な伝統のひとつとして紅花染めの歴史や染色文化をを伝え広められるよう努めています。

「紅花は、もともとどこからやってきたのか。エジプト時代のピラミッドに埋葬されていたミイラはすでに紅花染めの布が巻かれていたとも聞きますし、日本では3世紀頃の遺跡から紅花の花粉が大量に見つかり、弥生時代にはもう紅花が存在していたと考えられます。花粉が出るということは、すでに紅花を洗って赤い色素を取り出すという加工技術が伝来していたのです」

そうお話してくださったのは、昭和41年に紅花染めの米沢織『紅花紬』を発表した、株式会社新田の常務、新田克比古さん。

「近年のDNAの解析によって、現在日本で栽培されている紅花はイスラエルを中心に自生している種類だということがわかりました。中近東を起源とする紅花は、シルクロードを通って中国、朝鮮半島を経由して日本にやってきたとされています」

幻の花となっていた紅花で糸を染めて織物に

紅花で染めた真綿と、その真綿から紡がれた糸。

江戸時代に米沢藩の栄華を支えた紅花ですが、その多くは天然染料として紅餅というかたちに加工され、水上輸送で西の京都や大阪へと出荷されていく交易品でした。

それも明治時代以降になると化学染料の輸入がはじまり、紅花染めは衰退してしまいます。さらに第二次世界大戦の時には、食用の作物を栽培することが優先され、換金作物であった紅花は、栽培の禁止令が下りたそう。

絶滅してしまう可能性もあった紅花。しかし、ごくわずかな人達の間でひっそりと種は保存されていました。そして、新田家の三代目の新田秀次・富子夫妻は、昭和39年に紅花染めの研究をしていた中学校教師・鈴木孝男先生と出会い、指導を受けながら試行錯誤の末に紅花を用いた『紅花紬』昭和41年に完成させます。

また、鈴木孝男先生が生徒と行っていた紅花染めの研究が新聞に掲載、その記事が現在の上皇后・美智子様の目に留まります。東宮御所に紅花の種を蒔き、伊勢神宮や明治神宮からも注文がくるようになり、山形での紅花生産量は、少しずつ増えていきました。

紅花染めは、一度だと紅というよりピンク色に染まります。何度も染めを繰り返すことで赤みが増して紅色となり、韓紅という深紅に近づいていきます。薄いピンク色に見える一斤染(いっこんぞめ)でも、一反の生地に紅花が600gは必要で、この一斤染(いっこんぞめ)を何度も繰り返すと韓紅になるそう。

紅色と日本人の間には長い歴史があり、平安時代の頃は濃く染めた紅というと高貴な人のみが身につけられる色で、庶民が身につけられるのはこの一斤染までといわれています。それほど、紅が放つ赤い色は祭祀的な意味合いが強く、いつしか人生の節目に行われる「初宮参り」や「七五三」、「婚礼」や「還暦」などで紅色の衣服が用いられるようになりました。

紅餅を用いた昔と変わらぬ天然原料による染色

紅花の花弁からつくられた紅餅。

鳥梅は未熟な梅の実を籠に入れて、煙で燻し乾燥させたもの。

昔も今も、紅花染めに使われるのはごくシンプルな原料のみ。洗いによって黄色の色素を流し、自然醗酵を経て紅花から作られた天然染料である紅餅、藁灰の灰汁でつくった弱アルカリ水、米酢、梅の実を燻製にした烏梅(うばい)の液など。まるで炭のような烏梅は、中国より製法が伝来したもの。生地の紅花染めや口紅としての化粧用の紅づくりの助剤として、また鎮痛・解毒、健生整腸のための民間薬、漢方薬として現在も使われています。

新田克比古さんに紅花染めの手順を実演していただきました。紅餅は、一晩水につけて何度か水を変え、残っている黄色の色素を洗い流してから使います。そこに藁灰の灰汁でつくった弱アルカリ水を注ぎ、赤の色素を抽出したものを染め用の桶に注ぎます。赤の色素に米酢を入れて中和し、さらに烏梅の液を合わせて弱酸性の状態にしながら染めていきます。

色を赤く発色させるためには、烏梅の液を少しずつ注ぎます。この液を舐めて味見をすれば染めの塩梅がわかってしまうのは、長年紅花染めを手がけてきた新田克比古さんならでは。紅花の花弁は血行を促す漢方薬としても利用されているので、紅餅づくりや紅花染めをしていると冷たい水を使っていても手のひらがポカポカとしてくるのだそう。

真綿から製糸、重ね染めで百色の表現を実現

染めた糸は陰干しにして乾かして製糸の工程へ。時には、真綿を先に紅花染めしてから手引きによって糸をつくる方法もとります。紅花とほかの染料を重ね染めするという大変な労力によって百色という色相も実現。三代目の新田秀次さんが紅花との出会い、四代目の新田英行さんからは染め・織の一貫生産化に着手して、紅花染めの織物は進化していきました。

昭和35年からは、手織機に加えて機械動力による力織機も導入。工房に響き渡る織機の音、鮮やかな彩りの糸が生地へと織り上げられていく様子は圧巻です。米沢織ブランドとしての「新田」のロゴマークでもある紅花柄が織り込まれた小風呂敷、めがね拭きは人気のお土産。米沢駅よりタクシーで約10分、ショップも併設された工房は、見学や米沢織による商品のお買い物も可能です。

毎年7月の紅花の収穫期には紅花染めのイベントも開催しているとのこと。
紅花染めの美しさに心惹かれた方は、ぜひ一度ホームページをチェックしてみてください。

紅花染めの原料となる、紅花の話はコチラから。
日本農業遺産に認定!世界からも注目される山形の“最上紅花”

株式会社新田 概要

Nittta Textile Arts Inc.
住所:山形県米沢市松が岬2-3-36
Tel:0238 (23) 7717
URL:https://nitta-yonezawa.com/