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2019.09.13

【茨城】紅葉の名所!笠間・芸術の村「春風萬里荘」で魯山人のセンスに触れる

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稀代の芸術家・魯山人の美意識が感じられる貴重な施設

印象派をはじめとしたコレクションや、充実した展示施設を有する「笠間日動美術館」。その分館「春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)」は、北鎌倉で暮らしていた北大路魯山人の住居・アトリエであった茅葺の民家を移築したものです。

北大路魯山人の住居・アトリエを移築した「春風萬里荘」

漫画『美味しんぼ』に登場する海原雄山のモデルとされる美食家で、大正から昭和にかけて陶芸や漆芸、書画など、さまざまなジャンルで一流の才能を発揮した芸術家・魯山人。その住居としては国内で唯一現存する建物が「春風萬里荘」で、建物や庭園には魯山人の面影を今も感じられます。

「春風萬里荘」入り口の門

なぜ茨城県笠間市に魯山人の旧居が?

昭和39(1964)年、洋画家・朝井閑右衛門と小説家・田村泰次郎が、笠間日動美術館前理事長・長谷川仁とともに笠間を訪れた際に、作家たちから「笠間にアトリエをつくりたい」という要望があり、やがてそれが「芸術の村」という構想へとつながっていきました。

その後、笠間市と手を携え、「芸術の村」を広大な丘陵地帯に立ち上げる構想を進めていた昭和34(1959)年、魯山人が晩年の住居・アトリエとしていた約300㎡の茅葺き民家が売りに出されることを知った長谷川は移築を決意。北鎌倉より移築された建物は「春風萬里荘」と名づけられ、「芸術の村」の中心施設として開設されました。


北鎌倉から移築した直後の様子

ちなみに「春風萬里」とは、魯山人が好んで用いていた李白の漢詩にある言葉で、魯山人が揮毫した額も残っています。

「春風萬里荘」とともに笠間「芸術の村」も発展

「春風萬里荘」が移築されてから、笠間には40人ほどの芸術家が移り住み、夏期講座が開催されたり、集会所としても使用されたりしました。そして、笠間日動美術館が開館した昭和47(1972)年から一般公開がスタートしたのです。

そして、「芸術の村」には現在、洋画家や日本画家、彫刻家、陶芸家、染織家などのアトリエが40戸ほど点在し、それぞれが創作活動に打ち込んでいます。


「春風萬里荘」にある茶室「夢境庵」。茶会に利用することもできる。

「春風萬里荘」について説明すると、江戸時代の豪農屋敷の長屋門、魯山人自ら設計した茶室「夢境庵」など、魯山人が住んでいたときのままの状態が保たれていて、作品も多く展示されています。


北大路魯山人作、織部花器

建物の周囲の庭園は約1100坪もの広さで、京都の龍安寺を模した枯山水の庭や、ジヴェルニーのモネの庭を模した大きな睡蓮の池と太鼓橋がつくられ、梅や桜、花菖蒲、つつじ、もみじといった季節の花々が1年中咲き誇っています。


秋は紅葉の名所!

文化財保護のクラウドファンディング(※終了しました)

まさに魯山人ファンの聖地ともいえる「春風萬里荘」が今回、バリアフリーに配慮した回遊式庭園を整備するため、クラウドファンディングにチャレンジ中。支援者には、「春風萬里荘フリーパスポート」「銘板に名前の記載」など魅力的な返礼が用意されています。

先日の「ノートルダム大聖堂」の火災から、文化財保護のありようが話題になっている昨今、だれもが気軽に参加できるクラウドファンディングへの注目度も高まるばかりです。簡単な手続きで魯山人の遺業を後世に残す手伝いができるとしたら、非常に有意義な試みではないでしょうか。

(詳細はこちら)
北大路魯山人の住居「春風萬里荘」の庭園を改修し、永く後世へ。

笠間日動美術館 分館「春風萬里荘」

住所 茨城県笠間市下市毛 芸術の村
電話 0296-72-0958
開園時間 9:30~17:00(入場は16:30まで) ※冬季(12月~2月)は10:00~16:00(入場は15:30まで)
休館日 月曜(祝休日の場合はその翌日)、年末年始
入館料 600円(65歳以上500円、大学生・高校生400円、中学生以下無料)※茶室「夢境庵」は火曜~金曜に限り、茶会等に利用可能。利用料金:1時間3,000円および各人の入館料
笠間日動美術館 公式サイト
分館 春風萬里荘 公式サイト

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通称TAKE-G(たけ爺)。福岡県飯塚市出身。東京で生活を始めて40年を過ぎても、いまだに心は飯塚市民。もともとファッション誌から始まったライター歴も30年を数え、「和樂」では15年超。日々の自炊が唯一の楽しみ(?)で、近所にできた小さな八百屋を溺愛中。だったが、すぐに無くなってしまい、現在やさぐれ中。