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2019.09.26

『伊勢物語』への招待~「東下り」の物語を知れば、光琳の<燕子花図屏風>はもっと面白い!

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縦1.5メートル、横3.5メートルの金色の画面に、リズミカルに配された大きな燕子花。
そのボリューム、色鮮やかさ、そして豪華さは、見る者を圧倒し、鮮烈な印象を残します。
国宝にも指定されている、この尾形光琳の代表作《燕子花図屏風》は、現代にも通じるデザイン性をも備えた、人気のある作品です。
そのイメージソースとなっているのは、『伊勢物語』の第八段「東下り」です。

《燕子花図屏風》は、作品自体も魅力的ですが、絵の背景にあるストーリーを知れば、絵の魅力が増すだけではなく見方の幅も広がり、より楽しめるようになります。
今回は、この「東下り」の話を中心に、光琳たち琳派に愛され、『源氏物語』にも影響を与えた『伊勢物語』の世界をご案内しましょう。

そもそも『伊勢物語』とは?

菱川師宣画 《伊勢物語頭書抄》 1679年 メトロポリタン美術館

『伊勢物語』は、平安時代初期に成立した、最古の歌物語(和歌を中心としてまとめられた物語)です。平安時代はもちろん、後の時代にも『源氏物語』と共に広く読まれ、愛されました。
主人公は、六歌仙の一人で、百人一首にも入った「ちはやふる~」の歌で名高い歌人、在原業平がモデルとされる「昔男」。(ほとんどの段が、「昔、男ありけり」という一文から始まっていることから、この呼称がついています)
彼が初冠(元服)し、数々の恋愛遍歴を重ね、臨終に至るまでを、その時々に詠まれた和歌を中心に、125の短い章段によって描き出す、一代記を構成しています。
ひと口に「和歌を中心とした物語」と言っても、2,3行の短いメモのようなものから、「東下り」のようにある程度まとまった筋を持つ小話まで、各章段の長さは様々です。
『源氏物語』が、入念に仕上げられた油彩画なら、『伊勢物語』は、スケッチや淡い色彩で描かれた水彩画を集めたスケッチブックにたとえられるでしょうか。
内容についても、皇后になるべく育てられた姫君との駆け落ち(第六段)、外出先(旅先)での一目ぼれ(初段)、幼馴染の恋など、シチュエーションも相手も多岐に渡っています。
そのヴァリエーションの豊富さは、まさに「恋と歌のカタログ(見本帳)」と呼んでも良いでしょう。
紫式部も『源氏物語』を書く際に、『伊勢物語』は大いに参考にしたようです。
実際に、「高貴な美男子」という主人公のイメージ、そのほか登場人物の設定、個々のエピソードの内容など多くの点で、『伊勢物語』の影響を受けていることが指摘されています。

『伊勢物語』第九段「東下り」はこんなお話

早速、具体的なエピソードの一つ、第九段「東下り」の前半部を見ていきましょう。

主人公は、都に「居場所がない」と思い、「自分の住むべき場所を求めるべく」、友人たちと連れ立って、当時は田舎だった東国へと向かうことにします。
その途上、三河(愛知県東部)の八橋というところで休憩していた時のこと。
水辺に燕子花が群れ咲いているのを見つけた一行のひとりが、主人公に向かってこんなリクエストをします。
「『かきつばた』の五文字を、句の先頭に入れて、旅の気持ちを読め」
 なかなかの難題ですが、主人公はこれに応えます。

らころも
つつなれにし
ましあれば
るばるきぬる
びをしぞおもふ

(大意)何回も着て、体になじんだ唐衣のように、慣れ親しんだ妻。彼女が(都に)いるからこそ、遠く離れた旅のわびしさが思われる。

句の頭の文字をそれぞれ拾っていけば「かきつは(ば)た」となります。主人公は、見事にふたつの課題をクリアしたわけです。
歌を聞いた人々は涙をこぼし、食べていた乾飯(米を乾かしたもの)がふやけてしまったほどでした。

新幹線など無かった時代です。現代なら数時間で行ける距離でも、何日も、何か月もかかって進みました。時間を重ね、少しずつ遠ざかっていく故郷(都)。そこにおいてきてしまった妻。
当たり前のように傍にあったからこそ、離れた時に、その大切さが身に染みて感じられます。
自分は、何と遠くまで来てしまったのだろう。彼女は今どうしているのだろう。
主人公をはじめ、一行の胸にはもやもやとした思いが鬱積していたでしょう。
それが「かきつばた」を見つけたこと、そして「歌を詠め」とリクエストされたことで、三十一文字の言葉の中に凝縮されて、現実に形を取りました。
居合わせた人々は、歌の中に自分の気持ちの代弁を見出したことでしょう。だからこそ、思いはさらに強くなり、涙を流さずにはいられませんでした。
 
このように、人の心の中に生じた種子が、きっかけを得て、芽吹き、成長し、「花」となる。そして、他の人の心をも動かす―――『伊勢物語』は、そのような瞬間、そしてプロセスを切り取って見せてくれるものなのです。

光琳と燕子花

『伊勢物語』は、工芸分野においても、装飾モチーフの源となりました。
特に人気があったのが、上記の「東下り」のエピソードに材を取った、燕子花と橋の組み合わせです。
尾形光琳も、蒔絵や硯箱のデザイン、団扇絵など様々な作品で、この組み合わせを取り上げています。
尾形光琳「八橋蒔絵螺鈿硯箱」見どころ完全解明!
屏風も、上記の根津美術館所蔵のものが特に有名です。が、その約10年後に、彼はもう一度同じ題材で屏風を制作しています。
それが、このメトロポリタン美術館所蔵の《八橋図屏風》です。

尾形光琳 《八橋図屏風》 18世紀 メトロポリタン美術館

画面は前回よりもやや大きめです。花や葉の描き方にも細かな違いが見られます。が、最大の特徴は、タイトルにも入っている橋の存在でしょう。
その鈍色の質感や画面をジグザグに切り取る様が、画面にアクセントを加えてくれています。
約百年後、光琳に傾倒していた江戸琳派の祖・酒井抱一も、この作品に触発された屏風(出光美術館所蔵)を描いていますが、花の数を減らすなど独自の工夫を凝らしており、光琳の物とは異なった雰囲気をたたえています。

酒井抱一 《八ツ橋図屏風》 出光美術館蔵

抱一の作品については、こちらの記事もご参照ください
粋で大胆でユーモラス!江戸の琳派芸術の魅力に迫ります

このような「燕子花(と橋)」を描き出した屏風を前にしながら、当時の人々は、古の物語の世界へ、歌に凝縮された登場人物の心情へと心を遊ばせたのでしょう。
もしかしたら、屏風を現代のVR装置の代わりとして、登場人物の一人になったつもりでその旅を追体験する、そんな楽しみ方もできたのでは―――などと、想像を膨らませてみるのも楽しいですね。
 

時代は変わっても、人の心―――美しいものを見出し、愛でる心や、誰かを大切に思う心は変わりません。
だからこそ、『伊勢物語』も、《燕子花図屏風》も愛されるのでしょう。
いつか、《燕子花図》など琳派の作品に会いに行く機会が得られたら、是非、『伊勢物語』を読んでから行ってみてはいかがでしょうか?

書いた人

東京生まれ。好きな画家はカラヴァッジョとエル・グレコ。シリアスも好きだけど、笑える話も大好き。歴史上の人物の笑えるエピソードを集めるのが趣味。最近は落語にはまって、レオナルド・ダ・ヴィンチの<最後の晩餐>をめぐるエピソードを「落語仕立て」にして、ブログにアップしたこともある。アート小説を書くのが夢。