Culture
2019.10.23

花咲か爺さんは外国人? 桃太郎はニート!? 日本昔話の語られざる姿をのぞいてみた

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お爺さんが助けた雀から恩返しされる『舌切り雀』。枯木に花を咲かせる『花咲か爺さん』。母を殺された子蟹が協力者と猿をやっつける『猿蟹合戦』。犬・猿・雉を従えて鬼退治に向かう『桃太郎』。ウサギが悪いタヌキを殺してお婆さんの仇をとる『かちかち山』。
人から人へ、親から子へ、世代を超えて語り継がれてきた昔話を資料や伝説で紐解いてみると、昔話の別の姿が見えてきた。

『舌切り雀』は腰も折られていた

昔話では「昔昔あるところ」に住んでいる「お爺さんとお婆さん」は仲の良いことが多い。ところが『舌切り雀』の夫婦は対称的だ。お爺さんは温厚だが、お婆さんは雀が洗濯糊を舐めたことに怒って冷酷にも舌を切り落としてしまうのだから。

(国立国会図書館デジタルコレクションより 徃昔舌切雀 夷福山人 作[他])
鋏を手にして怒りの表情を浮かべるお婆さん。

鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』(四十八「雀報恩の事」巻三の十六)に『腰折れ雀』という説話が収められている。『舌切り雀』の基になったとされる昔話だ。

ある日、お婆さんは腰を折られて苦しむ雀を見つける。親切にお世話をすると元気になった雀はお礼にと瓢箪の種を一粒落としていった。種からは大きな瓢箪がいくつもなった。とりわけ大きな瓢箪の口を切ってみると、中にはぎっしりお米が詰まっている。
それを知った隣のお婆さんは自分も腰の折れた雀を世話しようと探すが、腰の折れた雀は見つからない。そこで石を投げて三羽の雀の腰を折り、看病し、逃がした。やがて雀が瓢箪の種を運んでくる。お婆さんが実を桶にいれておくと、中から米の代わりにアブ、蜂、ムカデなどが出てきて、お婆さんを刺し殺してしまった、という物語。

ちなみに江戸時代の赤本(通俗的な絵入りの読み物)『したきれ雀』(東洋文庫蔵)では、雀は舌を切られる前に子ども達からいじめられている。

もちろんお婆さんが激怒した理由も分からなくはない。雀が舐めた糊(続飯)はご飯などを磨り潰し水で薄めて作ったもので、布地の形を整えるのに使われた。当時、着物を洗濯し板に貼りつけて皺を伸ばす作業は女性の重労働だった。
このように昔話には、かつての日本人の生活が垣間見える描写が所々にある。

『花咲か爺さん』は外国人だった?

『花咲か爺さん』は灰をまいて枯木に花を咲かせてみせるが、よく似た話に灰をまいて雁(がん)を捕える『雁取り爺』という昔話がある。
『雁取り爺』は日本列島の北と南で聞かれる昔話で、正直なお爺さんが屋根に上がって灰をまくと、それが空を飛ぶ雁の目に入り落ちてくるという物語。雁を獲るのは食べるため。かつての日本人は多くの種類の鳥を食べていたのだろう。農村の生活を基盤にしている昔話ならではの描写がここでも窺える。

ところでこの『雁取り爺』にも、もとになる話が存在する。それが『兄弟と犬』という韓国に伝わる昔話だ。日本の昔話では定番の悪いお爺さんと善いお爺さんに代わって、一組の対称的な性格の兄弟が登場する。あらすじはこうだ。

孝行者の弟が母親の墓から出てきた犬を可愛がっている。あるとき、通りすがりの商人の「犬に畑が耕せるか」という賭けに勝った弟は商人の荷物をもらう。一方、兄は失敗し畑をとられてしまった。兄は腹を立て、犬を殺してしまう。弟が犬を葬ると墓から竹が生え、天まで届き、天から宝物が降ってくる。ところが兄が真似をすると石や土が降ってきた、というお話。

中国にも『兄弟と犬』にそっくりの『狗耕田』という犬が畑を耕す話がある。韓国の昔話では灰をまいて雁をおとしたり、花を咲かせることはないが、中国の南部には最後に花を咲かせる話がある。こうしたアジアの昔話が日本に伝わり、『雁取り爺』が『花咲か爺さん』へ姿を変えていったのだ。

江戸時代の猿は袋叩きにされていた

外国から伝わった物語が日本風に変化したり別の話とくっついて生まれた昔話は他にもある。猿と蟹がやりとりする前半、蟹の敵討ちの後半と、二部構成を思わせる『猿蟹合戦』もまた二つの話が合体した昔話だと考えられている。

『猿蟹合戦』といえば蜂、臼、栗、あるいは縫い針や牛の糞を加えた5名(?)が敵討ちの助っ人として一般的だろう。しかし敵討ちの仲間が3名や5名になったのは明治時代に入ってから。江戸時代の赤本では敵討ちに参加するメンバーはいまより断然多い。その数なんと10名ちかく、それ以上のこともある。これはちょっと猿が気の毒に思えてくる。当然、敵討ちの場面も派手に描かれた。当時の人々はこうした威勢のよい場面を演出として面白がったのかもしれない。

(国立国会図書館デジタルコレクションより Japanische Märchen. Der Kampf der Krabbe mit dem Affen.DEUTSCH VON DR.A.GROTH.T.  出版:Hasegawa)
敵討ちに出かける場面。こちらに描かれているのは、臼、蜂、卵、杵の4名。

敵討ちの仲間がこれほど多かったのにはもう一つ理由がある。『猿蟹合戦』が歴史上の合戦をテーマにした「軍記物(軍記物語)」のパロディーとされていたからだ。軍記物のなかには有名な武将たちが勢揃いする「武者揃え」場面がある。『猿蟹合戦』でも敵討ちを目的に集まる仲間たちの様子が描かれることがあるが、まさにこれこそが武者揃えのパロディーだったのだ。

桃太郎はなまけ者ニート

桃から生まれた桃太郎が鬼の悪行に困り果てた村人を助けようと鬼退治に出かける、ヒーローを地で行く日本昔話『桃太郎』。一般的に桃太郎はその名の通り桃から生まれたとされているが、江戸時代に流行した赤本ではちょっと違う。

高齢のお婆さんは川を流れてきた桃を食べてすっかり若返り、桃太郎は若返ったお婆さんのお腹から生まれてくる。ちなみにお爺さんも美男子に大変身する。
桃太郎の出生の場面にはいくつかバリエーションがあって、定番の桃を切るパターンのほか、戸棚や布団のなかに入れておくと自然に桃太郎が生まれた、なんて話もあって興味深い。

さて、二人の間に生を受けた桃太郎は驚きのスピードで成長。そして突然、鬼ヶ島へ鬼退治に行く事を宣言するのだが、それまでの間に桃太郎がなにか特別なことをしていたかといえばそうでもない。
中国地方や四国地方に伝わる物語では「冬が来るから木を切りに行こう」と言う友人の誘いを「鎌を研ぐ日だから…」とか「草鞋を作らなきゃいけないから…」となにかと理由をつけては面倒くさそうに断り、やる気のなさを見せている。しかもこの人、なかなか親元を離れない。これはどうしようもない大人の典型例だ。

江戸時代の赤本の中に登場する『桃太郎』はまるで歌舞伎役者のようないでたちで描かれる。明治になり、日本が軍事国家の色合いを強めると桃太郎はプロパガンダに利用されるようになった。戦前までは小学校の教科書の常連だった桃太郎は戦後、教科書から追放され、日本が落ち着きを取り戻した頃に素朴なヒーローとして戻ってきたのだった。

かちかち山はグロかった

江戸時代には兎が狸を退治することから『兎大手柄(うさぎのおほてがら)』の名でも呼ばれていた『かちかち山』は数ある昔話のなかでも残酷な物語といえよう。なんといっても酷いのは、狸がお婆さんを殺してしまう場面。それから狸がお爺さんに食べさせた「婆汁」だ。
江戸時代の『かちかち山』には、狸が手杵(てぎね)でお婆さんを打ち殺す撲殺の場面が描れている。この手杵はお婆さんが殺される直前に、麦をつくために使っていたものだ。

(国立国会図書館デジタルコレクションより 榎本松之助 画作 出版:榎本法令舘東京支店)
明治時代には、狸がお婆さんを手拭いで絞め殺す場面を生々しく描いた絵本も現れる。刺殺、噛み殺すなどパターンはいろいろ。

(国立国会図書館デジタルコレクションより お伽噺 かちかちカチ山 堤吉兵衛 編 出版:堤吉兵衛)
お婆さんを圧殺する狸。この狸はお婆さんを完全に殺しにかかっている。

『兎大手柄』でも狸はお婆さんの死体を鍋で煮込んだ「婆汁」を用意する。それを「狸汁」と称してお爺さんに食べさせてしまうのだ。何も知らないお爺さん、やがて狸は「流しの下の骨見ろ」といって山へ逃げていく。事実を知ったお爺さんは嘆き悲しむもすべては後の祭り。
赤本『カチカチ山』には、読者の気持ちに答えるように、狸が海に沈んで行く様子を岸からお爺さんが喜んで眺めている場面が最後に描かれている。

昔話と錦絵

このような残酷表現は、同時代に流行した「新聞錦絵」の影響を受けているとの指摘もある。錦絵とはカラー刷りの浮世絵版画のこと。明治時代にそれを新聞に応用したのが新聞錦絵だ。新聞錦絵は迅速で定期的なニュースを届ける当時の日本の視覚的ニュース・メディアとして評判だった。

明治期前半に絵本の挿絵を描いていたのは浮世絵師の系譜を継ぐ画家たちだ。だから昔話の絵本も奇抜なニュースを描く新聞錦絵の影響をうけて、グロテスクな雰囲気を楽しむ風潮を反映していたのだと日本文学研究者の石井正己は指摘する。

(国立国会図書館デジタルコレクションより 東京日々新聞 百十一号 落合芳幾 画 転々堂主人〔文〕 出版:具足屋)

イマドキの昔話

大人になって昔話を読み直した人はどれほどいるだろう。時代を経て昔話が形を変えてきたように、現代の昔話も変化している。

イマドキの『かちかち山』では、狸に殺されるはずのお婆さんは一命をとりとめ、狸を泥船で殺し復讐するはずの兎も最後は狸を許すのだ。そして改心した狸と兎とお婆さんがお茶を飲んで和やかに終わる。なんともハッピーなエンディングである。『桃太郎』の犬・猿・雉たちはきび団子につられて鬼退治にいくのではなく、自発的に仲間に加わるという上下関係のない世界になった。もちろん鬼の奪った宝物は持ち帰ったりしない。横領罪になるからだ。

これまで日本昔話にはハッピーエンドとは言い難い物語が多かった。浦島太郎は乙姫と結ばれないし、鶴の恩返しは結婚から始まって別れをもって話が終わる。日本昔話には日本人の自然観、暮らし、争いや精神など大切な教えがたくさん含まれている。形を変えた昔話から私たちは何を学ぶことができるだろう。

参考文献:石井正己、「桃太郎はニートだった!日本昔話は人生の大ヒント」、講談社+α新書、2008年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。