Art
2019.11.05

奈良「松伯美術館」はアート好き必見の穴場スポット。美人画鑑賞のポイントも解説!

この記事を書いた人

突然ですが、この絵の人物は結婚しているかどうか、あなたはわかりますか?

この記事を読めば、後ろ姿だけでもわかってしまうんです。

やってきたのは、美人画の巨匠・上村松園(しょうえん)とその息子・孫の作品を所蔵する奈良・松伯(しょうはく)美術館。思わず誰しもうっとりしてしまう美しい美人画・花鳥画の数々が鑑賞できる本館ですが、今回は美術館や現在開催中の展示のみどころに加えて、初心者でも美人画鑑賞がもっと楽しくなるチェックポイントまでご紹介いたします。

上村家三代の画業を紹介「松伯美術館」

近鉄奈良線学園前駅からバスに乗り、閑静な住宅街を走ること約5分、大渕池の畔に佇む美術館が今回ご紹介する「松伯美術館(しょうはくびじゅつかん)」。

故佐伯勇(さえきいさむ)近鉄名誉会長の旧邸敷地内に建てられたこちらの美術館には、美人画の巨匠・上村松園(しょうえん)とその息子・松篁(しょうこう)、孫・淳之(あつし)の三代の日本画家の手による作品、下絵、スケッチなどの美術資料600点余が所蔵されています。

入り口からアプローチを歩いていくと近代的な美術館の建物が見える

大渕池を望む美術館は、四季折々に趣を変える美しい庭園に取り囲まれ、美術館の東側には、 建築家・村野藤吾が設計した木造数寄屋建築の故佐伯勇旧邸が遺されています。建物内部の一般公開はしていませんが、美術館開館期間の土・日・祝日(11~15時)、邸内のお庭で呈茶が行われており、風情のあるお庭を眺めながらゆっくりとお茶を楽しめます。秋には、真っ赤に色づく紅葉も観ることができます。

美術館の周囲には、百数十本の松が植えられている

上村家三代の画業に様ざまな視点からアプローチした展覧会を年4~5回開催しています。

美人画の巨匠・上村松園の生涯

上村松園は、明治8年に京都の町中、四条御幸町の茶葉屋の次女として生まれました。本名は津禰(つね)。父は松園が生まれる直前に亡くなり、母は松園と4歳年上の姉の2人の娘を茶葉屋を営みながら女手一つで育てました。そんな母を松園は敬慕し、後年「私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」と回顧しています。

5~6歳の頃から茶葉屋の帳場の机で毎日半紙に絵を描いていた松園。小学校を卒業すると、絵の道に進みたいと母に頼み、当時女性では異例でしたが、京都府画学校(現・京都市立芸術大学)へ入学。豪快な画風で「曾我蕭白の再来」と評された京都画壇の重鎮・鈴木松年の下で絵を学びます。

1年後、松年の塾生となった松園は、当時ほとんど京都には先達の居なかった人物画家を志し、博物館や寺社、新古美術展、祇園祭の屏風祭りなどに足を運んでは片っ端から模写をしました。15歳の時に初めて出品した内国勧業博覧会で、「四季美人図」が一等褒状に選ばれ、イギリス皇子がその絵を購入したことから、松園の名は一躍世に知られることになります。

その後は、京都府画学校を設立した、四条派の画家・幸野楳嶺(こうのばいれい)、近代京都画壇を牽引した竹内栖鳳(たけうちせいほう)に師事。女性ならではの感性で、京風俗や古典文学、能・謡曲などに基づいた格調高い美人画を次々と描き、独自の作品世界を構築しました。昭和23年には、その功績が認められ、女性初の文化勲章を受章。その翌年、74歳で生涯に幕を閉じました。

花鳥画の新境地を切り拓いた、息子・松篁、孫・淳之

上村松篁(左)、上村淳之(右)

松園の長男・松篁は、明治35年松園が27歳の時に生まれました。本名は、信太郎。幼い頃から母の背中を見て育ち、金魚や小鳥などの生き物に親しんだ松篁はやがて花鳥画家を志し、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。第3回帝展で初入選。徹底した写生に基づくリアリズムを基盤に、近代的な画面構成を展開する新しい花鳥画を生み出しました。その作品は、松園譲りの品格の高さと生き物に対する深い愛情と洞察力を見せます。昭和59年、史上初親子二代での受章となる文化勲章を受章。平成13年に98歳で永眠。

松伯美術館館長を務める上村松篁の長男・淳之は、昭和8年生まれ。両親の反対を押し切り、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に進学。松園が晩年を過ごした奈良市郊外の「唳禽荘(れいきんそう)」に移り住み、鳥の飼育をしながら花鳥画を描き始めました。鳥たちと暮らしをともにしながらじっくりと生態を観察し、生命感あふれる独自の花鳥画の世界を表現。現在もアトリエで1,000羽を超える鳥とともに、創作活動を行っています。

開館25周年記念「上村松園・上村松篁「日本画の心」展 ~真善美を求めて~」

松園の代表作。「待月」大正15年 京都市美術館蔵(左)「序の舞」昭和11年 東京藝術大学蔵(中央)「草紙洗小町」昭和12年 東京藝術大学蔵(右)

「真・善・美の極致に達した本格的な美人画を描きたい。」

こちらは、上村松園の随筆集『青眉抄』の一節。松園が生涯を掛けたその画業で目指そうとしたところでした。
単に、「美しい」だけではない、「真」「善」と渾然一体となった究極の「美」こそが松園の描き出そうとした作品世界だったのです。この理念は松篁にも受け継がれ、花鳥画という新たなフィールドで追求されていきました。

「日本人と日本の風土に育まれた美しい文化として、日本画が広く未来に受け継がれていくこと」を願い、企画された本展。松伯美術館開館25年の節目に、それぞれの絵画表現で「真・善・美」を具現化した、上村松園・松篁二人の日本画の大家の画業を振り返る企画となっています。

松園・松篁親子二代の画業が展観できる第2展示室

本展は4つの展示室で構成されており、松伯美術館所蔵の作品のみならず、他館所蔵の作品も含んだ松園・松篁二人の画家の代表作40点が一堂に会する豪華なラインナップ。

第1展示室では、本展で初公開された作品「月と花(藤原時代春秋)」も展示されています。

上村松園「月と花(藤原時代春秋)」昭和8年 個人蔵

こちらの作品は徳川家から高松宮家への御用画として制作されたもので、平安時代の風俗を日本古来の伝統的な大和絵式で描いた雅な双幅。右の「春」は正装をして筆を手に文をしたためようとする姫君の姿、左の「秋」は日常着を着て空に浮かぶ月を眺める姫君の姿が描写された趣のある作品です。

会場の一角には、松園の遺品や松園・松篁の絵画制作のプロセスをうかがい知れるスケッチが展示されているほか、第3展示室では、松園の代表作の貴重な下絵も目にすることができます。

松篁の描いた鳥や花のスケッチ(左)松園の使用した印章、眼鏡、絵筆など(右)

「砧」(左)「母子」(中央)「夕暮」(右)の下絵

美人画鑑賞入門~女性のステータスをここでチェック!~

松園の美人画を鑑賞する際に気になるのが、描かれている女性がどんな女性なのか?ということです。若い女性なのか? それとも年配の女性なのか? 現代と風俗が異なるので、ぱっと見ても今の私たちにはちょっと分かりずらい……。ということで、学芸員の高島佐句子さんに女性のステータスが分かる代表的で簡単なポイントを教えていただきました!

◆其の壱◆着物の袖

上村松園「春」昭和13年 個人蔵 部分

1つ目のポイントは、着物の袖の長さ。上の絵をご覧ください。右手前の女性の華やかな色目の着物の袖は長い振袖。つまり、こちらはお嬢さん。一方左奥の女性の着物は地味な色目で短い袖。つまり、こちらは既婚の年配の女性、ということが分かります。「そんなの当たり前!」と思うかもしれませんが、「振袖は未婚の女性の衣装」と知識では分かっているつもりでも、普段着物を着なれていない私たちからするとうっかり見落としてしまうポイント……。鑑賞中「この人はどんな人かな?」と思った時に、まずは着物の袖の長さに注目してみてください。

◆其の弐◆髪型

次に、注目したいのが髪型です。松園の描く女性はほとんどが日本髪を結っています。松園の時代には、日本髪は既に影をひそめつつあったようですが、松園は「私が女性画―特に時代の美人画を描く心の中には、この美しい日本髪の忘れられてゆくのを嘆く気持ちがあるのだといえないこともない。」(『青眉抄』)と述べており、日本髪は、松園が特にこだわりを持って描いていたパーツでした。松園は幼い頃から色々な髷を考案して友達の髪を結って遊ぶなど、日本髪をこよなく愛し、また美人画を描くために日本髪の研究を重ねていました。

幕末から明治初期までで約280もの種類の髪形があったといわれる日本髪。江戸時代は身分、年齢、職業、未婚、既婚などによって髪型が規制されていました。時代が下がると徐々に区別ははっきりとしなくなっていきましたが、ある程度は残っていたようです。松園の美人画には、バラエティー豊かな日本髪が描かれていますが、ひとまず、日本髪の中でも代表的な髪型2トップを押さえておきましょう。

「序の舞」部分

こちらは、「序の舞」の女性。未婚の女性の最も一般的な髪型がこちらの「島田髷(しまだまげ)」です。髻(もとどり。頭上で髪を束ねたもの)を折り返して元結(もとゆい。髪を止める紐)で止める髪型。非常に人気があり、さまざまな派生の髪形がありました。こちらの絵でも髻を金と白の元結できゅっと止めているのが分かります。これが未婚の女性の証です。

「待月」部分

一方、こちらは「待月」の女性。先ほどと違って、後頭部にふんわりとした楕円形の髷が付いています。こちらが「丸髷(まるまげ)」といって、既婚女性の代表的な髪型です。ここから、後ろ姿でもこの女性が人妻である、ということが分かります。

◆其の参◆眉毛

最後にご紹介する注目ポイントは、眉毛です。松園は、「眉が仕上げのうえにもっとも注意を払う部のひとつである」(『青眉抄』)と述べており、「わずか筆の毛一本の線の多い少ないで、その顔全体に影響をあたえる」と考え、眉は細心の注意を払って描いていたパーツでした。こちらの絵をご覧ください。

上村松園「花見」明治43年 松伯美術館蔵 部分(本展未出品)

右下の透かし模様の綿帽子をかぶった女性は、他の女性にくらべて眉毛がうっすらと描かれています。これは、結婚した女性が子供を持つと眉毛を剃り落とす「青眉」という慣習によるものです。松園の時代には青眉はほとんど見られなくなっていましたが、松園の母は青眉だったそうです。松園は、青眉について、「青眉を思うたびに母の眉をおもい出す」、「青眉の中には私の美しい夢が宿っている」(『青眉抄』)と語っています。

着物や髪型といっても、数えきれないほどの種類があり、今回ご紹介したポイントだけで全て判別できるわけではありませんが、作品鑑賞の際にこういったポイントから人物のバックグラウンドを推測するのも一興ではないでしょうか。また、こうして見てみると、松園の絵には、松園が後世に伝えたいと願っていた古き良き日本文化が描き込まれているということが分かります。

死ぬまでに一度は観たい、松園美人画の傑作

本展では、松伯美術館所蔵、全国の美術館蔵、個人蔵の松園の代表作23点が集結。どの作品も圧倒的な完成度を誇る名作ばかりですが、会場内でもひときわ存在感のあった、これだけは絶対に!!見逃せない!!!という、魂揺さぶる松園美人画の傑作をご紹介します。

序の舞

上村松園「序の舞」昭和11年 東京藝術大学蔵(重要文化財)

高さ233cm、幅141cmの大画面に、能楽の舞のひとつである「序の舞」を舞う令嬢の姿を格調高く描いた作品。文金高島田を結い、振袖を着た松篁の妻・たね子がモデルを務めました。優美ななかに、毅然として侵しがたい女性の気品を描いた本作は、まさに「真・善・美」を高い次元で実現した、松園渾身の一作。絵の持つ気迫に思わず立ちすくんでしまう、観る者を圧倒する傑作です。

「この絵は私の理想の女性の最高のものといっていい、自分でも気に入っている「女性の姿」であります。」(『青眉抄』)

また、「序の舞」は2015年から本格的な修復を開始し、昨年修復を完了。関西では、本展が修復後初のお披露目となります。

人生の花

上村松園「人生の花」明治32年 京都市美術館蔵

「人生の花」部分

松園の画業初期の出世作。婚礼の式場へ向かう、初々しく恥ずかしそうな面持ちの花嫁と娘に付き添う母の姿が描かれています。松園が知人の娘さんのお嫁入りを手伝った経験に着想を得て描かれました。

「人生の花」は3点現存しており(本展では2点展示)、また翌年には同じ構図の「花ざかり」という作品で、菱田春草、横山大観等などの大家とともに、日本美術院展覧会銀牌を獲得し、画壇での地位を不動のものとしました。

「私の青春の夢をこの絵の中に託したもので、私にとって終生忘れ得られぬ一作であります。」(『青眉抄』)

絵に生涯を捧げ、結婚することがなかった松園の若き日の憧憬が詰まった、胸に迫る名作です。

花がたみ

上村松園「花がたみ」大正4年 松伯美術館蔵

題材は、世阿弥作の謡曲『花筐』。若き日の継体天皇から寵愛を受けた照日前(てるひのまえ)が、かつて帝に賜った文と花籠を持って帝の御前で狂い舞う姿が描かれた大作。松園は、本作の制作にあたり、実際に京都の北にある精神病院に足を運び数日にわたり取材し、リアリズムを追求しました。顔の描写は、能面の十寸神(ますかみ)という面も参考にして描いたそうです。また、だらりと突き出された手の描写は、竹内栖鳳のアドバイスを得て描かれもの。朧げな印象を受ける女性と対照的に、鮮明な線で驚くほど緻密に描き込まれた花籠も見逃せません。「狂気」をテーマにした、松園の異色作です。

待月

上村松園「待月」大正15年 京都市美術館蔵

黒い薄物の着物を身にまとった女性が団扇を片手に、月の出を待つ後ろ姿を艶やかに描いた作品。袖口や着物から透けて見える朱の襦袢がなんとも粋! 髪の毛一本一本まで描かれた美しい生え際は松園ならでは。女性の色香とともに、夏の宵の湿った空気が画面の外にまであふれ出てくるような、臨場感たっぷりの一枚です。

雪月花

上村松園「雪月花」昭和12年 宮内庁三の丸尚蔵館蔵

「雪」部分

貞明天皇(大正天皇の皇后)の御用命を受け、完成までに20年以上の歳月を要した、三幅対の掛軸。古来、四季の自然美の代表格として描かれてきた「雪月花」をテーマに、平安時代の宮廷での雅やかな女性風俗が描かれています。「雪」は『枕草子』、「月」は『源氏物語』、「花」は『伊勢物語』と、平安時代を代表する3つの文学作品を題材とした、優美な情景が繊細な筆遣いで表されています。本作の制作時、松園は毎朝早朝に起床し、身を清め、外の俗世と絶縁して毎日朝から夕方まで制作に専念したそうです。

「「雪月花図」こそは、それほど私がありったけの全精神を注いだ努力作品なのでございます。」(『青眉抄』)

自然の神秘に肉薄!生命感あふれる松篁花鳥画の傑作

本展では、松柏美術館蔵の作品を中心に、画学生時代から晩年までの松篁の代表的な作品17点が展示されています。鑑賞者を生き物たちの楽園へ誘う松篁花鳥画の傑作を観てみましょう。

金魚

上村松篁「金魚」昭和4年 松伯美術館蔵

「金魚」部分

20代の松篁が描いた画業最初期の意欲作。幼い頃から金魚が好きだった松篁が京都市立絵画専門学校研究科の展覧会出展のため、自分が金魚になったつもりでひと夏金魚と首っ引きで写生をして過ごし、制作に挑みました。松篁の卓抜した生き物に対する観察眼と描写力の高さによって、金魚一匹一匹の個性まで生き生きと描き分けられています。

山鹿

上村松篁「山鹿」昭和11年 京都市美術館蔵

雪の中を並んで歩く父子の鹿の姿が描かれています。鹿の絵を描くため、松篁は毎日奈良へ通って鹿に付いて歩きながら写生したほか、野生の鹿を見るために愛媛県の鹿島にも渡ったそうです。2頭の鹿の背景に広がる余白は、果てなく広がる靄がかかった雪原を喚起させ、人知が及ばない野生の神秘を感じさせます。母校の美術工芸学校の教師になった松篁が「動物画」の実技の課題で学生たちを指導しつつ、自らも取り組んだ作品です。

星五位

上村松篁「星五位」昭和33年 東京国立近代美術館蔵

「星五位」とは五位鷺(ごいさぎ)というサギ科の鳥の幼鳥のこと。星をちりばめたような白い斑点模様の羽が特徴です。水辺に片足で立っている5羽の星五位が愛嬌たっぷりに造形化され、リズミカルに画面に配置されています。

上村松篁「朝」昭和28年 東京国立近代美術館蔵

芋の葉と葉陰に佇む1羽のキジが描かれています。本作の制作中、松篁がアトリエ近くの芋畑で連日写生をしていると、ある日自然の声が聞こえ深い感銘を受け、涙が流れ出るという不思議な体験をしました。この自然との交感によって何かひとつ開眼した、と感じた松篁は、特別な想いを込めて本作に母・松園の印「棲霞軒印」の落款印を押しました。

おみやげに名画をお持ち帰りしましょう。

おみやげには、松園の名画がプリントされた松伯美術館オリジナルグッズがおすすめ。お気に入りの名画をお持ち帰りしましょう。来館の思い出にぜひ。

クリアファイル200円(税別)、一筆箋350円(税別)

「日本の美」の神髄に触れる美術館

3代に渡り、「日本の美」を日本画の世界で追求し続ける上村家、その軌跡を辿ることができる松柏美術館。制作から時を重ねても色あせることがなく、今なお新鮮な感動を与えてくれる不朽の名作たちと向き合い、自分の中にある美意識を見つめ直すことができる場所です。

 

松伯美術館概要

施設名:松伯美術館
住所:奈良県奈良市登美ヶ丘2-1-4
開館時間:10:00-17:00(最終入館は16:00)
休館日:月曜日、展示替え期間、年末年始
アクセス:近鉄学園前駅からバス(大渕橋方面行き)で5分、大渕橋下車徒歩2分
公式webサイト:https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/shohaku/

特別展 開館25周年記念「上村松園・上村松篁「日本画の心」展~真善美を求めて~」

開催期間:2019年10月26日(土)~11月24日(日)
※開催は終了しました。
休館日;本展開催期間中は無休
開館時間:10:00-17:00(最終入館は16:00)
料金:大人1200円、小学生・中学生600円

書いた人

大阪府出身。学生時代は京都で過ごし、大学卒業後東京へ。分冊百科や旅行誌の編集に携わったのち、故郷の関西に出戻る。好きなものは温泉、旅行、茶道。好きな言葉は「思い立ったが吉日」。和樂webでは魅力的な関西の文化を発信します。