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2019.09.13

彬子女王殿下が考える「ボンボニエール」という皇室の伝統

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皇室では、折々の御慶事を記念して意匠を凝らした「ボンボニエール」を、引き出物としてお配りするという習慣があります。2019年2月下旬に行われた「宮中茶会」でも、招待客にお土産として贈られ話題になりました。学習院大学の史料館には、明治、大正、昭和に調製されたボンボニエールが大切に保管されています。日本美術に造詣の深い彬子女王殿下と共に、ボンボニエールに込められた日本美を再発見していきましょう。

皇室の慶びの小箱「ボンボニエール」

文・彬子女王

寬仁親王家の大応接室には、色とりどりのボンボニエールが並んでいる。子どもの頃、お客様が来られないときに大応接に忍び込み、「これはおじいちゃまの古希のお祝い」「これは従妹が生まれたとき」と、蓋をひとつひとつ開けては中に入っている由緒書を見るのが好きだった。当時の私にとって宮様方のお印や吉祥の模様などがデザインされた銀や磁器製の小箱の数々は、わくわくする夢の詰まった魔法の箱だった。

ボンボニエール彬子女王殿下のご自宅、赤坂御所の寬仁親王邸の大応接室に美しく並べられたボンボニエール

ボンボニエール(bonbonnière)とは、フランス語でボンボン(砂糖菓子)を入れる容器のことをいう。皇室では天皇の即位や立太子、お子様のご誕生や成年式、結婚式などの御慶事を記念して、意匠を凝らしたボンボニエールを制作し、引き出物としてお配りするという習慣がある。私にまつわるボンボニエールはこれまでにふたつ。生まれたときと成年になったときのものだ。成年になったときのボンボニエールのことは今もよく覚えている。私のお印である雪の結晶をデザインし、あれこれとお願いして作ってもらった。完成したものを初めて手にしたときは、昔から大好きだったあのボンボニエールの中に私のものが仲間入りすると、誇らしく思ったものである。

西洋から伝来し、日本らしく姿を変えた

ボンボニエール

もともとは西洋から伝わったボンボニエール。明治維新後に近代化の波が日本に押し寄せ、西洋のさまざまな生活様式が取り入れられていった。日本では古くから慶事の際に、引き出物として特別に誂えた記念の品を贈ることが行われてきた。他方、西洋では子どもの誕生祝いや結婚式などで、幸福をもたらす砂糖菓子を配るという習慣があった。その日本と西洋それぞれの習慣が結びつき、ひとつとなって、宮中でボンボニエールを配るという文化につながっていったのではないかと言われている。

西洋から学んだボンボニエールのアイディアは日本で姿を変え、独自の形でこれまで変化し続けてきた。例えば、テーブルウェアとしての意味合いが強い西洋のボンボニエールは大ぶりだが、記念品としての性格が強い日本では、手のひらにおさまるサイズが一般的となった。更に興味深いのは、そのデザインに西洋的なものが少ないこと。現存しているボンボニエールの多くが、宮中の伝統意匠や有職、吉祥など日本文化に特徴的な意匠を採用している。海外の文化を取り入れ、自国の文化として生まれ変わらせるという、古来行われてきた外国からの文化受容の典型例なのである。

ボンボニエール「鶴亀形ボンボニエール」明治天皇大婚25周年祝典 明治27(1894)年3月9日 銀製 径5.0cm、最大幅7.3cm、高11.4cm 個人蔵(学習院・泉屋/通期)

文献上からわかる最古の例と言われているのが、明治27年、明治天皇大婚25年記念の祝宴のために制作された鶴亀をあしらったふたつのボンボニエール。祝宴後の歓談の席において「白銀製巌上に丹頂の鶴立ち二尾の亀遊べる菓子器」が、別殿で行われた舞楽が終わった後には「白銀製香入れ形菓子器蓋に鶴亀を刻せる」器が招待客に下賜された(4月25日付「東京日日新聞」)。こうして明治時代の中頃から、皇族の誕生や成年式はもとより、外遊の記念や海外からの賓客を招いての午餐など、さまざまな場でボンボニエールは人々の目を楽しませてきたのである。

さまざまな形のボンボニエール

学習院大学史料館には、明治・大正・昭和初期に調製されたボンボニエールの数々が大切に保管されている。戦前のものには鳥籠、檜扇、地球儀、釣燈籠など意匠を凝らしたものが多い。特に飛行機の形をしたボンボニエールには驚くばかり。

ボンボニエール昭和7(1932)年に、朝香宮孚彦王の成年式を記念してつくられたという銀製複葉機形ボンボニエール。学習院大学史料館収蔵

その精巧な作りもさることながら、プロペラ部分をはずすと、そこには小さな金平糖ちょうど一つが入るスペースが現れる。お作りになられた宮様の遊び心が伝わってくるようだ。

ボンボニエールと聞いて、故秩父宮妃殿下の御著書「銀のボンボニエール」(1991年)を久しぶりに手に取ってみた。書名の由来となったのが、貞明皇后が御婚儀の決まられたお二方のために催された内宴の折、御自らお二方に手渡された鼓形のボンボニエールである。そのボンボニエールについて、妃殿下が詳細にご説明なさっているので引用したい。
 
皇太后さま[貞明皇后]御自らデザインあそばしたとのこと。全長6センチくらいで、鼓の形というのも珍しく、締めひもと呼ばれる調緒はローズピンク、胴の部分には宮さまのお印の若松の模様と星の模様が幾つも浮き彫りにされております。ローズ色は英国の国の色であり、星は星条旗、つまり米国を意味しているのです。英国で勉強あそばした宮さまと、米国でいくらか勉強いたしました私とが、それぞれご縁ある英国と米国との親善に一生務めるようにという、皇太后さまの非常に深いおぼしめしが込められているのでした。

皇室によって生まれ、育まれてきたボンボニエールという伝統

ボンボニエール

外交官令嬢から皇族妃となられ、戦争、殿下のご病気という苦難の時代を生き抜いてこられた妃殿下。慣れない皇室での生活の中で、このボンボニエールが妃殿下のお心を慰め、安らぎとなっていたことが綴られている。

このボンボニエールにまつわる物語は、妃殿下の歩んでこられた道のりはもとより、皇室の歴史とあり方をも象徴しているような気がする。皇室によって生まれ、育まれてきたボンボニエールという伝統。この唯一無二の文化を、皇室の一端を担う者として、私も次世代へつないでいきたい。さて、次はどのようなデザインのものを作ろうか。

撮影/永田忠彦

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書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。