Culture
2019.12.05

ゲゲゲ!夜は都で大宴会?妖怪に生まれ変わった古道具たちが楽しそう!

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人は誰しも妖怪になる可能性を抱えている。

柳田国男の『遠野物語』に記されている、ざしきわらし、雪女、河童、キツネといったおなじみの妖怪たち。鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』の天狗や狸。江戸時代中期『御伽草子』の酒呑童子。英派の絵師・佐脇嵩之による妖怪絵巻『百怪図巻』には、ぬらりひょんをはじめ30もの妖怪画が登場する。そして上田秋成作の『雨月物語』、こちらは怪談集だが幽霊話の宝庫だ。

こうして列挙してみると、日本にはおびただしい数の妖怪がいることを実感させられる。そんな妖怪たちはいったい何処で生まれて、どこからやってくるのだろうか。

「物の怪」とは、存在が不安定なモノたちのこと

幽霊、妖怪、化け物など不思議で恐ろしいものたちのことを指す「物の怪」。
「物」とは「事物」のことを示しているのだが、実は対極の意味があることはあまり知られていない。

平安時代、「物」は明確な形のあるものではなく不明確で形のない、つまり奇妙で異常なことを表していた。「怪」は妖怪の怪とおなじで、妖しくはっきりしないもののこと。つまり物の怪とは「不安定なモノ」を意味している。

生まれ変わるモノたち

死んであの世へと還った魂がこの世に生まれかわる「輪廻転生」は仏教やヒンドゥー教、古代ギリシャの宗教思想など古来から世界各地に伝わる考え方だ。
一見、荒唐無稽なファンタジーに感じられる輪廻転生が日本人にも馴染み深いのは、日本仏教理論の根本に人間は死によって別のものに変わることがあり、体は霊魂のひとときの停留地に過ぎないとの考えがあるからだろう。
かつて人間や動物や道具であったものが妖怪になるという思想もまた、輪廻転生に通じるところがある。

妖怪はこうして生まれた!華麗なる大変身

生まれ変わり、物の怪として再び姿を現したモノたち。では、物の怪になる前はいったいどんな姿をしていたのだろう?

魂が宿った古道具たちの仇討ち

『御伽草子』の一つ、『付喪神記』の主人公は路地にうち捨てられた古い道具類だ。ここに描かれるのは、年神さまを迎えられるよう家の中をきれいにする大掃除「煤払い」の光景。
道具は作られてから100年をすぎると魂が宿り「付喪神」となる言い伝えがある。それを案じた人びとは年の瀬の煤払いの際に古い道具を捨てていた。うち捨てられた道具たちはたちまち大変身。おそろしい妖怪へと変身を遂げるのだった。

煤払いで路地へと放り出される気の毒な古道具たち…(『付喪神絵巻』(国立国会図書館デジタルコレクションより)

一生懸命ご奉公してきたというのに何て恨めしい!こうなったら妖怪になって仕返しをしてやろうと決意する。(『付喪神絵巻』国立国会図書館デジタルコレクションより)

妖怪になった古道具たちは都へ行って恨みを果たしたり、酒盛りをしたりと大興奮。(『付喪神絵巻』国立国会図書館デジタルコレクションより)

昔話でも大人気!著名な動物の妖怪たち

姿を変える妖怪の代表といえば、やはり「キツネ」と「タヌキ」だろう。
日本の昔話には、姿を変えたタヌキが悪戯する(『かちかち山』)や鳥になって飛んでいく(『鶴の恩返し』)物語がおおい。
キツネが別の姿に変化するという思想は古代の中国にもあるから、日本にも古くから浸透していたのだろう。
ちなみに人を惑わすのは、森に住み気まぐれに民家まで顔を出しにくる普通のキツネやタヌキではない。妖怪譚に登場するのは、年をとって特別な霊力を手に入れた古ギツネ・古ダヌキだけだ。

妖怪に変身した人間もいた!

『今昔物語』第二七第二二「猟師の母、鬼となりて子を喰はむと擬するものがたり」は人間が変身した妖怪が現れる物語だ。

昔、あるところに鹿や猪の狩猟を業とする兄弟がいた。ある日、鹿を射止めようとした兄の髻を引っ張るものがおり、弟が弓矢でその干からびた手を射った。帰ると、家では母がうめいている。年老いた母が鬼となって兄弟を食べようとしていたのだった。

『平家物語』「剣の巻」の「宇治の橋姫」には、恋の恨みから鬼に変身する女が登場する。美しい女が恐ろしい妖怪に姿を変えるイメージは、人間の内面の姿が表れているようでとりわけ怖く感じる。

怨霊は死者が妖怪になった姿?

生物が妖怪になるように、死者もまた妖怪となって人の前に姿を見せることがある。怨霊や幽霊の類がそれだろう。現世に悔いを残したまま亡くなり、あるいはしかるべき供養をされることがないとき、死者は妖怪となって人々を脅かすことがある。中には祟りという形で不吉を運んでくる場合もある。
幽霊話は『東海道四谷怪談』など、今日まで語り継がれるものも多い。ちなみに、私たちが思いうかべる一般的な幽霊のイメージは、江戸期の芸能や美術の中で描かれた幽霊がもとになっている。

祟る怨霊を鎮める「御霊(ごりょう)」

日本には、疫病が流行したり、次々と死人が出たり、天変地異が続いたりしたとき、その原因を怨霊の仕業だとする考え方がある。この怨霊信仰がいつ頃に発生したかは定かではないが、戦乱の世には怨霊も多かったことだろうし、奈良時代にはすでに信仰の形跡がみられたというから、そうとう古くから信じられていたのだろう。
怨霊とは、怨みを抱えたまま亡くなったり非業の死を遂げた霊のこと。御霊(ごりょう)とは、一言でいうとこうした怨霊の祟りを鎮めようと祭儀を行い「神」に祀りあげた霊のことを意味している。
東北地方の「虫送り」や「厄神送り」などの民俗行事にも、この御霊信仰の影響が現れている。霊を神に祀り上げる風習は民俗社会には多いが、信仰の根底には荒ぶる神、つまり妖怪たちへの畏怖が感じられる。

人はみな「魔」を持っている

歴史学者の江馬務は妖怪をその形態に応じて人、動物、植物、器物、自然物、そのいずれかとも判断しえないもの、の6つに分けている。
どの妖怪も、それが生物であろうと死者であろうと、妖怪化の理由となるのは心の内部にある嫉妬、恨みなどといった邪悪な感情だ。人間のままでいるために、できるかぎり他人を恨んだり妬んだりしないようにしたい。でないと知らぬうちに妖怪に…なんてことがあるかもしれない。

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。