Culture
2019.12.12

日本文学に見る「涙」。万葉歌人・平安貴族・柳田国男も「かなし」くて泣いた?

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赤ちゃんは大声で泣く。大人もときどき泣く。マリア像だってたまに涙を流す。
だけど「男は泣くものではない」なんて教訓は最近ではほとんど死語になっているし、「泣く子は育つ」という台詞も若い世代ではあまり聞かなくなった。

民俗学者・柳田国男(1875-1962年)の『涕泣史談(ていきゅうしだん)』によると、このごろの日本人はどうやら泣かなくなったらしい。
私たちの「涙」はどこへ行ってしまったのだろう。日本人の涙を知るために、日本文学に登場する「涙」を探ることにした。

古代万葉人の流した涙

古代の人々は泣いたのだろうか?もちろん、彼らだって泣いた。だけど、泣き方は現代人よりもナイーブだったようだ。万葉歌人には涙を流すことに想いを寄せた歌人と、泣く行為そのものに関心を寄せた歌人がいた。

山上憶良の涙

奈良時代初期の歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)にこんな歌がある。

「慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ」

心は安堵するひまもない、あの雲の彼方に隠れて飛んでいく鳥の鳴き声のように泣くばかりだ、と詠んでいるこの歌。山上憶良は、病気や貧乏といった人生の苦しい場面を題材に扱っていることがおおく、この歌もそのひとつだ。

大伴旅人の涙

つぎに、飛鳥時代から奈良時代にかけての歌人・大伴旅人(おおとものたびと)が亡き妻を偲んで作った歌を見てみよう。

「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る」

こちらは山上憶良のよりも、泣き方が激しい印象だ。亡き妻が植えた梅の木をみるたびに胸が痛み、涙が溢れるのをどうしようもできない、そんな大粒の涙の情景を抱かせる。

もちろん、現実世界ではすすり泣きのときでも大粒の涙のときでも、涙を流していることには変わらない。けれど、想い馳せるように泣く歌人と、とめどなく溢れる涙に苦しむ歌人、二人の悲傷のあいだには違いがあるように思える。

恋は孤りで悲しむものだからか、『万葉集』には「恋」に「孤悲」の字を用いた例もある。「恋水」をかつてはナミダと読んでいたこともあったそう。彼らは「恋水」なんて呼ばれるシャレた涙を流していたのだ。

平安の貴族たちの涙事情

「逢身八契 三勝半七の母節」歌麿(国立国会図書館デジタルコレクションより )

小野小町の涙

「あるはなくなきは数そう世の中に あわれいづれの日まで歎かん」
(生きている人は亡くなり、亡くなる人は数を増す無常なこの世で 私もいつまで嘆くのだろう)

そのように儚い人の一生を嘆いてか、小野小町は涙をめぐる和歌をほかにも詠んでいる。

「をろかなる涙なぞ袖に玉はなす我は塞きあへずたぎつ瀬ならば」

男が流す涙はただ袖に玉なすだけのもの、私の流す涙は激流のようだと胸の内を熱く語る小町。「袖の涙」とは衣の袖をぬらす涙のことだが、平安時代の貴族たちはよく泣いた。
そんなに泣いてばかりいて、袖は涙を吸ってさぞかし重かったろう。平安時代の女性は化粧をしていたというから、泣きはらした後の顔はどんなだったろうと、女子としてはそちらにも興味がわいてくる。

「新古今和歌集」には、恋の祈りがいつまでも叶わず「袖に玉散る」、つまり袖に涙の玉が散るほど物思いをしているという歌が登場するし、「源氏物語」の主人公・光源氏もよく涙を流す人物として描れている。袖を濡らして泣く句をもうひとつ紹介しよう。こちらは、鎌倉初期の西行の歌集から。

「送りおきて帰りし野辺の朝露を 袖に移すは涙なりけり」
(袖が濡れたのは墓所の帰り、野辺の朝露のせいかと思ったけれど涙のせいだった)

日本には、たしかに男も女も袖を濡らして泣いた時代があったのだ。

「カナシイ」は「感動」のことだった?

だけど、人どうやら「悲しい」から泣いているわけではないようだ。

そもそも「カナシ」「カナシム」という古代語はかならずしも「悲しい」とか「哀しい」とは結びついていなかった。というのも、古来の日本語では「カナシ」は切実な感動そのものを表す表現として使われていたからだ。ところがその「感動」という気持ちの昂ぶりから悲哀だけが取りだされてしまった。

仏教の文学や説教が、言葉がもともと含んでいた様々な意味を、「悲」というひとつの漢字に集約してしまったのだ。やがて、泣くことは人間の不幸をあらわす所作になってしまう。そうして「感動の涙」は「悲哀の涙」を指すようになってしまったのだ。

柳田国男の涙

民俗学者・柳田国男も涙について考えていた。
柳田が『涕泣史談(ていきゅうしだん』のタイトルで講演し、エッセイにもまとめたのは昭和15年だから、最近の日本人の涙についての疑問に答えられるかどうかはわからないのだけど、柳田の思考の流れで涙を見るのも、ひとつの道だろう。

日本人はどうして泣かなくなったか?答えは、日本人の言語能力が上がったから、というのが一応の結論らしい。涙は体を使って気持ちを表現する身体言語のひとつだから、言語能力の上昇につれて使用頻度が減少していったのではという推論だ。

さいごに

柳田国男の考えにはいろんな意見が聞こえてきそうだけれど、何であれ、人は泣く生き物だ。

それに嬉しくても泣くし、泣きながら怒る人もいるだろう。笑いすぎて涙が出ることだってある。役者のなかには自由に涙を流すことのできる人もいるから、強弱の程度はあれ、あらゆる感動体験のなかに涙は潜んでいるようだ。あるいは、日本人はもしかすると泣くときに万葉以来の「カナシ」という心を思いだしているのかもしれない。

(参考資料:柳田国男の『涕泣史談』ちくま日本文学全集、1992 / 山折哲雄『涙と日本人』日本経済新聞社、2004)

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。