Culture
2020.01.11

スマホアプリ「大江戸今昔めぐり」を使ってみたら、知られざる東京の姿が見えてきた

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江戸と呼ばれていた土地は、かつては関東の片田舎に過ぎなかった。

が、豊臣秀吉の命令で関東に移封された徳川家康は、湿地だらけだった江戸を整備し、多くの人々が住める一大都市にした。それまでは幾本もの支流に分岐していた利根川を工事し、水害の少ない安全な河川に変えてしまったのだ。

だが、考えてみれば「江戸」とはどこを指すのだろうか?

言い換えれば、我々現代人が「ここは東京」と言っているエリアはかつての「江戸」だったのだろうか?

少し表現がややこしくなってしまったが、「江戸と東京はやっぱり違う」ということだ。

渋谷村の地図


筆者が高校生の時分、即ち2000年前後は渋谷の黄金期だったように思う。

流行の発信源は、いつも渋谷だった。女子高生たちが斬新なファッションに身をまとい、携帯電話を片手に友達と笑い話をしながら道玄坂を歩いていた。それを「けしからん、近頃の若者は」と白眼視する大人も少なくなかったが、あの頃の女子高生のおかげで日本の携帯電話は長足の進歩を遂げたのは揺るぎない事実だ。

今では外国人観光客の姿が目立つようになった。あの時代と今とでは、雰囲気もすっかり変わっている。

さて、そんな渋谷だが江戸時代当時は「村」だった。

今回使用したのは、『大江戸今昔めぐり』というスマホアプリ。これは幕末期の江戸の地図と現代のGoogleマップを比較できるもので、予め今昔の地図が重なり合っている。これを使って、昔の渋谷を見てみよう。上の画像はJR渋谷駅周辺のものだが、何というか……田舎じゃん!

江戸時代、渋谷駅は「中渋谷村」と呼ばれていた。鉄道駅ができて人で賑わうのは遥か後世の出来事で、それ以前の渋谷は農村だったのだ。

というより、ここは「江戸」ですらない。いや、行政区で言えば確かに江戸なのだが、市民の感覚としての渋谷は江戸の圏外だ。もし神田明神あたりの人々に「俺は中渋谷村の江戸っ子だ」と言ったら、笑われるか怒られるかのどちらかだったに違いない。

それを考慮すると、むしろ今の渋谷の繁栄が不思議に思えるほどだ。

西国からの侵攻を防ぐ武家屋敷

次に筆者が訪れたのは、新宿だ。今のJR新宿駅は甲州街道沿いにあるが、江戸時代当時の甲州街道は人や物が流れる動脈のような道だった。が、甲州街道は徳川将軍家に反逆した大名が攻めてくるであろう道でもあり、故に街道沿いの土地には多くの武家屋敷が作られた。ここに住む人々は、いわば「徳川防衛隊」である。

新宿の古地図を見てみると、ここが武家屋敷の敷地のど真ん中だということが分かる。そもそも江戸という都市は、徳川将軍家が人工的に整備した町だ。そのため、「なぜここに武家屋敷が並んでいるのか」「なぜこんな形の道なのか」ということが全て動機付けられている。自然とそうなった、という要素が殆どないのだ。

徳川将軍家は、大坂夏の陣に至るまで「西国問題」を解消することができなかった。毛利、島津といった西国の有力大名は徳川に対する恨みを持ちながら2世紀半の時を過ごし、それが戊辰戦争という形で爆発する。徳川はそれをある程度予想していたからこそ、新宿に「防波堤」を築いていたのだ。

拙い表現で申し訳ないが、このアプリ、本当に勉強になる!

スマホ片手に歴史巡り!

スマートフォンは、人類史に刻まれる発明品である。

スティーブ・ジョブズは「電話を再発明したものがiPhone」と言ったが、じつは初代iPhone発表当時の日本人テックライターはそれにあまり注目していなかった。「スマートフォンなど、一部のガジェットオタクにしか受けない。それにしてもジョブズも随分老けたね」という見方だったのだ。

その見方は外れた。iPhoneはほんの10年足らずで新しい産業を創出するまでになった。

趣味の歴史研究でも、スマホは欠かせないものになった。いつでもどこでも知りたい情報にアクセスできる環境が、スマホを中心に構築された。それは使い方によってはトラブルを発生させてしまうこともある。が、やはりそれは現代人にとって有益なものなのだ。

わざわざ古地図を入手せずとも、スマホアプリひとつでかつての江戸を閲覧することができる。しかも、自分が今いる位置をそこに反映させることも可能だ。

本当に、素晴らしい時代に生まれたものだと思う。

【参考】
大江戸今昔めぐり