Culture
2020.01.20

60年代の人々の憧れだった「コニカS2」。スマホにはない、フィルムカメラの魅力や歴史を解説

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かつて、カメラは高級品だった。

大卒初任給が1万5000円前後だった時代、何万円もするようなカメラは金持ちの道楽か、30代以降の勤め人が貯金をはたいてようやく買えるような代物だ。高度経済成長期前夜には「三種の神器」と呼ばれる家電製品が存在したが、それと同時にカメラも庶民の憧れだったのだ。

今回は1961年発売の『コニカS2』から、当時の日本人の生活を覗いてみよう。

セレン光電池搭載の「鉄の塊」

ボディーとカメラが一体型のコンパクトカメラ、と言えば「軽量で薄い」イメージかもしれない。

しかし、昔のカメラは一眼レフだろうとコンパクトだろうと、どっしりとした重みの「鉄の塊」である。

コニカS2もその例に漏れず、手に持つとなかなかどうして重い。重量は実に730g。現代のミラーレス一眼がせいぜい400g台ということを考えると、やや億劫になってしまうほどのものかもしれない。シャッター速度はバルブ付きで1~1/500まで。レンズはHEXANON 48mm f=2。無論、電子ズームなどというものはない。これは60年前のフィルムカメラなのだから。

が、字面のスペックでは分からない部分に妙なこだわりを感じるのが、コニカS2の特徴でもある。フィルムカメラには、フィルムの巻き上げ機構というものが必ずある。コニカS2の場合はレバーになっているが、これが心地いい。ワンショット毎にレバーを引くのが、だんだんと快感になっていくほどだ。

昔のフィルムカメラ、とくに日本製のそれは、こういう部分にかなり研究費をかけていたようだ。

なお、コニカS2の露出機構はセレン光電池からの電力供給による仕組み。このセレン光電池は、この時代のカメラによく搭載されていた。要は前世代的な太陽電池である。
ただし筆者の所有するコニカS2のセレンは既に寿命を迎えていて、露出機構は動かない。もっとも、この機構は単に適切な露出を指示するものであり、壊れていても撮影に支障はないのだが。

港を撮影!

さて、早速撮影してみよう。

筆者は先日、静岡市由比港のサクラエビに関する記事を執筆したが、この取材の際にコニカS2で由比港の風景を撮っていた。今回はその写真を使うことにする。フィルムはコダックの400TX。「トライX」と表記したほうが通りがいいか。昔からあるフィルムで、ベトナム戦争はニコンFとトライXで記録されたようなものだ。実はこのコニカS2、半年ほど前に筆者がヤフオクで落札したもので、価格は2000円ほどだった。しかも、筆者の自宅に配送されてから由比での撮影までオーバーホールを一切していない。状態の良い名機がネットオークションを利用すれば数千円で手に入るということは、カメラ愛好家の間では常識だ。しかし、フィルムカメラを「レベルが高い」と感じる一般層にはあまり知られていない。

非常にもったいない、と筆者は痛感している。マニア層と一般層の認識格差は、決して誇るべきことではない。

発売価格は2万4800円

コニカS2が1961年の発売ということは先述した。

昭和36年と表記したほうが、時の流れを実感できる人も多いかもしれない。NHKの連続テレビ小説を見ても、この頃に主人公が青春時代を迎えるという設定が多い。日本人が一生懸命働きながら、少しずつ可処分所得を増やしていった時代である。

池田勇人首相の所得倍増計画がスタートし、日本は経済先進国の仲間入りを本気で目指すようになった。しかし、国立大学を卒業してそのまま大手企業に入社した者でも、その初任給は2万円もない。そんな中でコニカS2の2万4800円という発売価格は、とても衝動買いできるレベルではなかった。

コニカS2を買うために、月2000円の貯金を1年間続ける。カメラとは、そういうものだった。

だからこそ、昔の写真には何とも言えない重みがある。現代のスマートフォンのように、いつでもどこでも手軽に撮れるものではない。大事な記念日や人生の転換点とも言える瞬間に写真を撮影する。そこから滲み出る情熱や説得力は、とても再現できるものではない。

フィルムカメラの復権

我々現代人は、デジカメ特有のシャープな写りに慣れてしまった。

そのデジカメで撮った画像をわざわざ加工して、フィルムカメラ風の写真にするスマホアプリも存在する。デジカメの普及でもはや出番はないと思われていた富士フイルムの『写ルンです』は、SNS映えするという理由で見事な復権を遂げた。

フィルムカメラは、決して「過去の遺物」ではない。むしろデジタル全盛の現代だからこそ、フィルムカメラが大いに見直されている。