刀剣にはいろいろな長さや形状があります。そして、名刀と呼ばれるものの中にも、刃長が30センチ以下の短刀が多数含まれています。
かわいらしいサイズでも、びっくりするほどパワフルなエピソードを持つ短刀「五虎退(ごこたい)」をご紹介いたします!
五虎退とは?
五虎退の作者は、鎌倉時代末期(中期とも)の山城(現在の京都府)で活躍した名刀工・粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)です。
刃長は8寸3分弱(25.1センチ)、すらっとした優雅な姿で、表裏ともに元のほうに2筋の溝が彫られています。研磨による手入れのため、鉄肌が本来の見え方とはやや異なっているものの、作られた当初の美しく精緻な地鉄(じがね)も見ることができます。全体にまっすぐな刃文「直刃(すぐは)」が焼かれていて、鋒(きっさき)部分の刃文は小さな半円を描きながらUターンし、棟(むね)で止まっています。この小さな半円をきれいに焼くには高い技術が必要だといい、藤四郎吉光の実力を見て取れます。
重要美術品に指定されているこの短刀は、足利義満・正親町天皇・上杉謙信らに受け継がれたとされ、上杉家伝来の三十五腰の1つに数えられています(個人蔵、米沢市上杉博物館に寄託)。
名付けの由来
室町幕府3代将軍・足利義満の派遣した遣明使が、現地で虎の群れに襲われてしまいます。その際に、手にして虎たちを追い払ったのがこの短刀だったことから、「五」頭の「虎」を「退」ける、という名前が付けられたと伝わります(実際は1頭だったが、義満に5頭と報告した、とも)。
粟田口藤四郎吉光とは?
五虎退の作者である粟田口藤四郎吉光は、名刀工・粟田口國吉(くによし)の子(ないし弟子)です。
江戸時代より前の「古刀期(ことうき)」における筆頭刀工に置かれ、この藤四郎吉光の作を持つことが大名のステータスの1つともなっていました。
粟田口派の作は非常に有名で、狂言の演目にも、粟田口を求めてこい、と主人に命じられて出かける『粟田口』などがあります(ただし、買いに出かける人物は粟田口をよく知らず、詐欺に遭う、という設定)。
藤四郎吉光の作品には短刀が多く、刀は稀です。これは時代的に短刀の需要が多かったためで、同時代の刀工も多く短刀を造ったといいます。
精緻な鉄肌が藤四郎吉光の属した粟田口派の見どころの1つとなっており、繊細な肌模様には品格を感じさせられます。
まっすぐな刃文に、メインの刃文から枝のように伸びた刃文が短く入る=「小足(こあし)」が見られるもの、あるいは全体に細かく乱れた刃文が入る=「小乱(こみだれ)」などが、主な作風です。
「吉光」を名乗る刀工はかなり多く、三河・大和・備前・土佐・薩摩・陸奥など、60工あまりが確認されています。
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