なんでもできる、しかもそれぞれのクオリティが半端じゃない……。そんな人っていますよね。海外ではレオナルド・ダ・ヴィンチが、日本ではエレキテルなどで知られる平賀源内(ひらがげんない)がその代表格かもしれません。
刀剣の世界にも、そんなマルチプレイヤーがいました。
それが、桃山時代の「埋忠明寿(うめただみょうじゅ)」。刀もその付属品の鐔(つば)の製作も、刀身の彫刻や研磨・サイズ加工・象嵌も――。
明寿とその一門の偉業を、ちょっと覗いてみましょう。
上質な刀、作りました&研ぎました
明寿は、数は多くないものの、上品で質の高い刀を鍛えています。埋忠家は代々足利将軍家に仕えた金工で、作刀専門ではなかったため、作者の銘は、通常の刀剣のように鏨(たがね)で「切る」のではなく、「彫る(その部分を掻き取ってしまう)」という技法で刻まれています。
明寿は画期的な鍛錬技法を創始して「新刀鍛冶(しんとうかじ)※の祖」と称され、名工・肥前忠吉(ひぜんただよし)ら優れた弟子を輩出しました。
※新刀とは、慶長期(1596~1615年)以降江戸時代中期ごろまでに作られた刀を指します。江戸後期から明治初期までの新々刀期を含む場合もあります。
研磨も手掛けたといいますが、研磨の作業そのものは後世に残りづらいため、詳細は不明です。
刀に彫刻、しました
刀身には梵字や龍・仏影などいろいろな彫物が施されることがありますが、明寿は足利将軍家お抱え金工とあって、非常に見事な刀身彫を多数手掛けています。
弟子も各地で華々しい活躍を見せ、特に肥前(現在の長崎県)の刀に埋忠一門の系譜がよく見て取れます。
桃山3大名鐔工の1人と呼ばれます
刀にはいろいろな付属品がありますが、明寿はこの付属品である鐔も手掛けています。
明寿は西国大名や本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と親交があって、その作風は琳派の影響を強く受けたとされます。真鍮(しんちゅう)や素銅(すあか)・赤銅(しゃくどう)をベースとした地金に図案化された植物をあしらった独自の世界が展開されています。
なお、鐔の作品には「重吉(しげよし)」の名義も使っています。
ユニークな鎺、作りました
鐔のすぐ近くには、鎺(はばき)と呼ばれる金具がつけられています。これは鞘から刀が滑り出てしまわないようにする・刀を破損から保護する、などの目的でつけられているものですが、この金具も明寿は手掛けています。
鎺の素材としてはあまり一般的でない金無垢で作る、作者銘を入れる(他にはほとんど例を見ない)、といった、非常にユニークな作が残されています。
昔の刀、加工しました
長い刀を自分の使い勝手に合わせて短くする「磨上(すりあげ)」という方法があります。鋒(きっさき)とは逆の方向、持ち手部分の茎(なかご)から切り詰めていくのですが、埋忠一門はこの作業も請け負っていました。
「磨上」で刀が短くなり、作者の銘がなくなってしまうことから、新たに金で作者銘を象嵌(ぞうがん)する作業も行いました。
貴重な記録本、あります
埋忠家は、慶長10(1605)年~万治3(1660)年に依頼を受けた名刀の記録を書き残しています。
この『埋忠刀譜(うめただとうふ)』は、刀を知る上で非常に重要なポイントである「茎(なかご)」がほぼ原寸大で描かれている貴重な記録で、現在では失われてしまった名刀の姿も多数収められています。
また、当時きっての腕利き職人による書き込みもあり、江戸初期の刀剣界も広く知ることができるものとなっています。
現在、『埋忠刀譜』復刻のためのクラウドファンディングが行われており、返礼品として複製品を入手することができます(詳細は、記事下部の埋忠展公式サイトへ)。
埋忠展、開催中!
現在、埋忠明寿一門の世界を紹介する展覧会が開催されています。
大阪歴史博物館の会期終了後には、東京・両国の刀剣博物館に巡回します(展示作品は会場によって一部異なります)。
◆特別展「埋忠〈UMETADA〉桃山刀剣界の雄」
大坂会場:2020年10月31日(土)~12月14日(月)/大阪歴史博物館
東京会場:2021年1月9日(土)~2月21日(日)/刀剣博物館
公式サイトhttps://umetada2020-2021.jp/
主要参考文献
・石井昌国『日本刀銘鑑』雄山閣
・藤代義雄『日本刀工辞典 新刀篇』藤代商店
・『図解 日本刀事典』学研
アイキャッチ画像:埋忠一門の流れを汲むと思われる久法(ひさのり)の鐔。埋忠の特徴的な技法が見て取れます。(メトロポリタン美術館より)