Culture
2020.06.15

わざと転ぶ「森蘭丸」は超デキる有能秘書だった?気遣いの達人から学ぶこととは

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世紀のセックス・シンボルとして名高い「マリリン・モンロー」。世間では、お色気全開、恋多き自由奔放な女性というイメージが一般的。だが、このイメージを作り上げるための努力は相当なもの。『人体解剖学』を隅々まで読み込み、人間の骨格や筋肉の動きなどを勉強したという。日夜、ポージングの研究に励んだ結果、生まれたのが悩殺ショットである。

人は、つい、派手な外見に惑わされがち。そのため、持って生まれた能力や才能を磨く努力は、いつしか、その陰に埋もれてしまう。こうして、表向きのイメージだけが独り歩きすることに。

あたかもそれが全てのように語られ、真実は伝わらず。本人からすれば、悔しいことこの上ない。しかし、残念ながら、歴史においては日常茶飯事。ぶっちゃけ「死人に口なし」がまかり通る世界なのだ。

そこで、今回は、せめてものという思いを込めて。甚大な損害を被った方にスポットを当てたい。そのお方とは、コチラ。

織田信長の家臣「森蘭丸(もりらんまる)」である。

どうだろう。
彼のイメージは、信長の「寵愛」を一身に受けた人物。……で終わっていないだろうか。

確固たるイメージが形成されれば、森蘭丸のパワーワードは変わらない。何年経っても「男色(男性同士の性愛)」のまま。しかし、声を大にして言いたい。本来の森蘭丸は、とても有能で気遣いに長けた「スーパー秘書」であるコトを。

今回は、彼の有能ぶりが分かるエピソードに触れ、新たな「森蘭丸」というビジネスパーソンを紹介したい。

それでは、早速、本物の「森蘭丸」に会いに行こう。

「蘭」って漢字はイメージの当て字なの?

「森蘭丸(もりらんまる)」を語る上で、最初にすべきことがある。
それは、彼の名前の訂正である。

もともと、森蘭丸は織田信長の小姓として採用された。御年15歳だったという。小姓とは、主君の身の回りの世話から、秘書的な仕事まで。戦場では、馬廻衆(うままわりしゅう)と共に、本陣を固める務めも果たす。つまり、小姓は、平時も戦時も問わず、主君のそばから離れないのである。

「秘書」的な役割を担っていた「森蘭丸」。現代であればこんなイメージだろうか

それまで信長の側近で寵愛を受けていたのは、万見仙千代重里(まんみせんちよしげさと)。ただ、謀反を起した元家臣・荒木村重の有岡城攻めの際に、薙刀(なぎなた)で突かれて戦死。天正6(1578)年12月に、信長は寵臣を失うこととなる。

結果的に、その万見のポストを継いだのが「森蘭丸」だ。初めて、彼の名が文書に出てくるのは、天正7(1579)年4月18日のこと。信長の家臣・太田牛一(おおたぎゅういち)が記した『信長公記』に登場する。その該当部分を抜粋しよう。

「四月十八日、塩河長満(しおかわながみつ)に銀子百枚を贈った。使者は、森長定(ながさだ)」

「森長定」?誰それ?

じつは、『信長公記』には、そもそも「蘭丸」という名は出てこない。

いや、『信長公記』だけではない。歴史的な一次資料の中で、彼の名は頻繁に登場する。しかし、やはり、その名は「蘭丸」ではない。小姓という仕事柄、自身の名で発給した文書もあるが、それも同様だ。「蘭丸」の署名ではない。

では、どのような名前だったのか。
辛うじて「らん」という名は変わらない。ただ、漢字が違うのだ。華麗な花の「蘭」ではない。

美少年ゆえ「蘭」の花のようなイメージでこの漢字が使われた?

実際の漢字はコチラ。
「乱」「御乱」「乱法師」。

先ほど紹介した『信長公記』でも、統一して「乱」で表記されている。なお、既に元服しているため、彼には幼名ではなく、諱(いみな、名前のこと)があったはず。そうして、複数の文書から確認できたのが、コチラの名前。

「成利(なりとし)」である。

これまで一般的な呼び名は「森蘭丸長定(もりらんまるながさだ)」とされている。しかし、彼の正確な名は「森乱成利(もりらんなりとし、長定がつく場合もある)」。織田信長の寵愛を受けた見目麗しい美少年。そんなイメージが先行して「乱」ではなく「蘭」となったのだろう。ついでに言えば、後世に伝わる「森蘭丸」像は、江戸時代を通して盛りに盛って再伝聞されるに至る。

それにしても、名前1つでこんなにもイメージが変わるとは。
「森蘭丸」。宝塚の男性版アイドルのような外見一辺倒の美少年という感じしかしない。一方で「森乱」。これまた、180度異なる印象を与える名だ。風のように颯爽とした雰囲気をまとう少年。そんなイメージだ。なんだか、シンプルでコチラの方が合っている気がする。

織田信長もベタ褒め!あっぱれ正直バンザイ

さて、ここからは「森蘭丸」を「森乱(蘭丸のこと)」と表記して続けよう。

『森家先代実録』には、先ほどの塩河長満の感想が記されている。なんとも、「森乱(蘭丸のこと)」の使者としての様子に、塩河が感じ入ったというのだ。容姿端麗はもちろんのこと、その立居振舞いが完璧すぎて、驚いたようである。感心してため息が出るといった感じだろうか。

さて、「森乱(蘭丸のこと)」が小姓として大出世を果たすのは、何も外見や立居振舞いだけが理由ではない。

確かに、信長からすれば、「森乱(蘭丸のこと)」の境遇には負い目があったように思う。父の森可成(よしなり)、長兄の可隆(よしたか)が信長の家臣として戦死。当主と嫡男を失った森一族に目をかけたのかもしれない。加えて、「森乱(蘭丸のこと)」は男色関係の相手。だからスピード出世だったのかと判断するのは早計だ。

そもそも、織田信長はそんな中途半端な男ではない。情愛のような、実力以外の理由を評価基準にするほど甘くはない。なんといっても、信長の実力第一主義は筋金入り。名将言行録にはこんな一節がある。

「人を用いる道は、その者の才能のあるなしによって選ぶべきものだ。奉公年数の多い少ないを論ずべきではない」
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)

これは、室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の要請で、二条城の護衛の任を選んだときのこと。信長は、老練な武将から選ばずに、木下秀吉(のちの豊臣秀吉)を選出した。この判断に、皆が驚いたというのだ。そこで信長が発した言葉である。信長は、才能、実力で物事を判断する。そこには、情の入る余地などない。そんな主君なのである。

だからこそ、「寵愛」を出世の基準には用いない。
例えば、「森乱(蘭丸のこと)」と同じく、信長と男色関係にあった前田利家。彼も寵愛を受けていた。しかし、信長の同朋衆(どうぼうしゅう、芸能や茶事、雑役をこなす僧体の者)を斬り殺したため、一時期、出仕停止の処分に。浪人の身となり大層苦労したのだとか。つまり、処罰すべき場合は処罰する。信長にとって「寵愛」は全く別モノ。なあなあな関係にせず、キッチリと線引きをしていたといえる。

織田信長像

それでは、どうして。
「森乱(蘭丸のこと)」はたった3年で、小姓の身でありながら5万石も与えられたのか。

有能さはもちろんのこと。「森乱(蘭丸のこと)」はこれにプラスして、立派な人格を兼ね備えていたようだ。
まず、信長が好んだのは「正直」さ。

『名将言行録』に記されている逸話の一つをご紹介しよう。

織田信長ご自慢の愛刀「不動行光(ふどうゆきみつ)」。短刀である。刀身に不動明王が彫られており、作者は鎌倉の刀工、藤三郎行光(とうざぶろうゆきみつ)とされている。この不動行光だが、信長から「森乱(蘭丸のこと)」に与えられ、本能寺の変で焼かれる羽目に。

さて、信長から「森乱(蘭丸のこと)」に渡された経緯について。
どうやら、信長は酔うと、この「不動行光」を自慢する癖があったのだとか。ちょうど集まった小姓らと刀談義に花を咲かせていたときのこと。気まぐれに、信長は愛刀・不動行光を鞘(さや)から抜いた。そして、小姓らに、鍔(つば)に刻まれた模様の数を当ててみよと、問題を出したのである。

鍔(つば)とは、刀身と持ち手の柄(え)の境目に挟まれた輪っかのような部分。不動行光には、その鍔に菊の花が刻まれていたのだとか。そして、信長はその模様の花の数をクイズとしたワケだ。

小姓らが好き勝手な数字を出して盛り上がっている一方、「森乱(蘭丸のこと)」は黙ったまま。信長がワケを聞くと、たった一言。
「既に知っております」

信長の小姓としてそば仕えをしているのなら、もちろん、刀を預かる場面もあったはず。厠(かわや、トイレ)や風呂に入るには、刀を置くのが普通であろう。その際に、「森乱(蘭丸のこと)」は、実際に刀を手にしていに違いない。全てにおいて抜かりなく目を光らせていただろうから、彼は刀の鍔も見ていたというのだ。

信長はその正直さに感心し、褒美にと「不動行光」を与えたという。主君を観察して些細なことでも気付けるようにする。これも立派な優れた能力の1つ。その上、目先の欲にとらわれず。彼は潔いほど正直であった。

これが、「森乱(蘭丸のこと)」を認める理由の1つ。

主君を丸ごと受け止め続けた理由

もちろん、正直さも評価されるべきであろう。しかし、「森乱(蘭丸のこと)」の特筆すべき点は、他にある。あの、主君・織田信長をそのまま受け止め続けたコトである。

怖い、恐ろしい、歯向かったら何されるか分からない。そんな「恐怖」という感情が出発点ではない。「森乱(蘭丸のこと)」は純粋な気持ちで慕っていたのではないだろうか。超人的な先見性、規格外の行動力、豪傑さ、その全てが「スゴイ」と思えた。だから、あの人の役に立ちたいと。

それは、いかなる時も主君を立て、支え続けた「森乱(蘭丸のこと)」の姿勢に見て取れる。『名将言行録』には、彼の主君を思う逸話が残されている。

ある日のこと。信長より障子を閉めてこいと言われた「森乱(蘭丸のこと)」。行ってみると障子は閉まっている。しかし、彼は一度障子を開けてから、音がするようにピシャリと閉めて帰ってくる。

「開いていただろう?」という信長の問いに、閉まっていましたと答える「森乱(蘭丸のこと)」。

「音がしたが?」という信長に対する答えはコチラ。

「些細なことではありますが、主君たる人が皆の前で、開いているから閉めてこいと仰せになりました。それを、閉まっていましたと申してはお言葉が間違いになってしまいます。それで、わざと開けて、皆に聞こえるよう音を立てて閉めたのです」
(谷口克広著『信長の親衛隊』より一部抜粋)

同じような逸話は他にもある。
みかんが山盛りに積まれた台を持って歩こうとしたとき、信長に「倒れるぞ」と注意されたという。案の定、「森乱(蘭丸のこと)」は派手に倒れてしまう。みかんを散らかし、台を壊してしまう事態に、信長は「わしの言う通りじゃ」と言ったとか。

あとから同輩たちが気遣うと、「森乱(蘭丸のこと)」は全く気にしていないという。その真意はコチラ。

「殿様が倒れるぞと仰せになったのに、みかんの台をきちんと運んだならば、殿様の考えが誤ったことになる。それで、わざと、倒れたのだ。何事にしろ、殿様の誤りになってしまうのはいけないことだ」
(同上より一部抜粋)

主君が倒れると予見したからには、身を張ってでもその通りにする。自分の評判など気にしない。何事も主君ファースト。そんな強い気持ちが見て取れる。

信長の爪を捨てることさえも、「森乱(蘭丸のこと)」は他の小姓と違う。中身を確認し、なんなら数えて、かけらが1つ足りないというほどの徹底ぶり。全身全霊で織田信長を支えた「森乱(蘭丸のこと)」。その忠臣ぶりは、彼の右に出る者はいなかったのである。

最後に。
気遣いの達人に、ふと1つの疑問が。

その観察力、心配りはさることながら。控えめで、自分よりも相手を立てる。3年もの間、ただひたすら影のように主君を支え続けた「森乱(蘭丸のこと)」。

しかし、こんなにも見返りなく、人は尽くすことができるのか。
無償の愛はあるのだろうかと、考えてしまう。

いや、きっと、「森乱(蘭丸のこと)」には確信があったに違いない。自分が最も優秀で、信長に必要とされる人物だと。そんな自負が、彼の中にはあったのだ。そして、その信念、自信が彼を突き動かしていた。

「森乱(蘭丸のこと)」の逸話は尽きない。『森家系譜』や『森家伝記』『森家先代実録』など、森家に伝わる文書に残された話から。

信長との問答。
信長:「天下に替えがたいほどの宝物を当てよ」
森乱:「自分」

ほら、やっぱり。
でも、これって……。あれだけイメージどうのこうのって言ってた割には。

結局、のろけ話で終わるのか。
ごめんよ、「森乱(蘭丸のこと)」。

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♬ 世界中の誰よりきっと – 中山美穂

参考文献
『信長公記』 太田牛一著 株式会社角川 2019年9月
『刀剣・兜で知る戦国武将40話』 歴史の謎研究会編 青春出版社 2017年11月
『名将言行録』 岡谷繁実著  講談社 2019年8月
『信長の親衛隊』 谷口克広著 中央公論新社 2008年8月