鉄はロマンである。それ自体は温度を持たないはずなのに、触れるとなぜか温かみを感じたり、ふつふつと力が湧いてきたりする。
……ふむ。いかにも、これは個人の感想である。しかし個人は集団の中で育まれ、集団は歴史の中で育まれるのであるから――やめておこう、こんなうざったい話がしたい訳ではない。
鉄製品、と言われても、現代ではきっと、ふうん、と流してしまうだろう。どころか、包丁だったら、あー、ステンレスのほうがいいかも、なんて答えるかもしれない。まあそれもそうだろう、錆びるし、さほど貴重な素材でもないし、どうしても鉄がいい、なんてこだわりを持っているのは、品質を求められるプロか、手入れも苦にしない趣味人あたりだけだろう。
しかしこの鉄、どうしてもお前がいい、お前でなければ、と四方八方から熱視線ラブコールラブビームの雨あられ槍ぶすまを浴びた栄光の歴史を誇っているのだ。
記紀の神々と鉄
我が国における鉄器は、弥生時代前期の終わり~中期のはじめ頃に端を発したと考えられている(諸説あり)。最初期には輸入鉄が石器と同様の方法で刃をつけられ、木製農耕具を加工する工具として灌漑(かんがい)などのインフラ整備・土地の開発に大いに役立ったという。
弥生時代中期中頃~終わり頃にかけて国内製鉄が開始され、鉄製の鏃(やじり)や農工具が日常的に使用されはじめる。同時に、輸入された大刀や長剣などが、所有や贈与による威信を示す財宝として扱われ始めた。
日本における製鉄は、中国系の鋳造鉄と朝鮮半島系の鍛造鉄の2系統が存在するといい、鉄の原料は鉄鉱石および砂鉄と見られている。
――と、己の興味でどこまでも追っかけていくと、それに正比例して読者が逃げていきそうだから、話の流れを首根っこふん捕まえて本題に引きずり戻していこう。
葦原中津国の謎
記紀において、日本の古名「葦原中津国(あしはらのなかつくに)」とは、神々の住む高天原(たかまがはら)と地下の黄泉国(よみのくに)の間の、葦が生い茂り混沌と無秩序が渦巻く未開の地を指す。人の生活圏から見て「野蛮な周辺部」であり、だからこそ、その代表地たる出雲は天照大神(あまてらすおおかみ)の子孫に国を譲り渡し、五穀豊穣の「瑞穂(みずほ)の国」になる……というのだが、ジャスタミニットプリーズ。
じゃあ、なんで「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国」って、日本国の美称に「葦原」を残したんでしょ? 葦が生い茂ってるから「混沌」としていて「無秩序」だったのでは? どころか、「瑞穂の国」がくっつくと、途端に「葦が豊かに生い茂り、稲穂が瑞々しく実る地」なんて持ち上げられている。これはアヤシイ。
葦原中国の代表たる出雲と、瑞穂の国の本拠地たる大和は、神道において分業を行っている。大和が「顕世(うつしよ)」である人の世・目に見える世界を支配し、出雲は「幽世(かくりよ)」として神々の世界・目に見えぬ存在を司る。この辺りに謎を解くカギがありそうである。
奈良県天理市に石上神宮(いそのかみじんぐう)という神社があるが、これは出雲を源流に持つ社である。いわば大和の国の中に出雲がある状態だが、これは出雲と大和の関係を非常に象徴的に示している光景のようにも思える。
あ、また脱線しそうになってきた。早いところ出雲と鉄の関係に入ろう。
ヤマタノオロチと鉄
古代出雲を舞台としたヤマタノオロチ伝説は、天照大神の弟であるスサノオノミコトが8つの頭と尾を持つ大蛇・ヤマタノオロチを退治してクシイナダヒメを救い、妻とするという内容である。
様々な解釈がなされているが、この伝説は鉄との関連を示すのでは、との指摘がある。
記紀には、ヤマタノオロチは「ほおずきのように赤い目、腹は血に染まって」いて、成敗された際に尾から鉄剣・草薙剣(くさなぎのつるぎ)が取り出された、とある。これが、目=たたら製鉄に関わる人、血に染まった腹=製鉄の際の炎や炉の中の鉄・流れ出す鉄滓(てっさい:製鉄の際に出る不純物)の暗喩であるというのだ。
別の説として、頻繁に洪水を起こしていた斐伊川(ひいかわ)の氾濫を治めたことの比喩だったのでは、とも言われるが、個人的には製鉄説を取りたい。たたら製鉄操業で炉から流れ出てきた鉄滓を目にした瞬間、直感的に蛇と見た経験からである。鉄滓は地面に掘られた複数の溝に沿って数本の筋となり、やがて冷えてのたうつ。炉を壊して巨大な鉄塊を取り出す際には、作業に携わる人たちが思わず手で視界を遮るほどの強い光を放つ。妖怪イッポンダタラもたたら製鉄に携わる人を示すとされ、実際、過酷な作業によって失明することも稀ではなかったと聞く。なお、斐伊川の氾濫自体が製鉄のための砂鉄採取に起因するものであったともいう。
出雲の地は、現在でもたたら製鉄が操業されている鉄の聖地である。良質の砂鉄・運搬用の川・製鉄に適した地形など様々な条件が揃い、大量に必要とされる木炭の材料も大切に育まれている、この地は古くよりの鉄の産地なのである。
ヤマタノオロチを出雲の製鉄氏族、スサノオノミコトと稲作の女神クシイナダヒメを大和政権と見るなら、オオクニヌシノミコトがアマテラスオオミカミに支配権を委譲した出雲の国譲り神話とも通じる部分がある。ヤマタノオロチ伝説が大和政権に征服された側の記録『出雲国風土記』には見られないことも、製鉄の象徴と見る根拠であるようにも思える。
葦原中国の名称は、一説に製鉄にまつわるものであるという。それが真実であるか否かは分からないが、もし鉄を示すのであれば、豊かに生い茂る葦は混沌ではなく、富の象徴であろう。同時に、出雲と大和の融合を誇示する意図を持った「豊葦原の瑞穂の国」だったのかもしれない。
まったくの余談だが、過日、石見神楽を観劇する機会があった。ヤマタノオロチ伝説を題材とした演目もあったのだが、オロチたちのサービス精神がまあ半端ではない。フォーメーションを組んだり、長い体をフルに使って踊り狂ったり、決めポーズでドヤ顔したり。おかげで、スサノオノミコトがオロチの頭を成敗していくたびに、おっちゃんこんなカワイイ子たちに何してくれてんねん、くらいのことを思ってしまったのだった。蛇足。
御神剣フツノミタマ
ところで、世界史のカギとなった鉄器(後述するが)は、日本においても驚きをもって受け入れられたと見られる。青銅器との関連はいったん脇に置いておくが、国内における利器(刃物)は石器からすぐに鉄器へと移行したと考えられている。
石上神宮の御神剣は「フツノミタマ」と呼ばれるが、「フツ」とは非常に切れ味鋭い刃物がものを断ち切る様子を表した擬音であるという(神を表す言葉と見る異説あり)。古代において、突出した特徴を持つものは神に通じる・ないし神そのものと見なされたためといい、別格の斬れ味を誇った鉄剣・フツノミタマもそうした1つだったのだろう。
ヤマタノオロチの尾から出てきた草薙剣は鉄剣であろうと考えられており、ヤマタノオロチ伝説は大和政権が出雲の製鉄民族を従えたことの象徴であると見る根拠がここにもあるように思える。
オニと鉄の関係
日本の製鉄法(鍛造系)が朝鮮半島由来のものであるというのは前述の通りだが、もう1つ、朝鮮半島および鉄との興味深い関係性が日本史に見て取れる。
九州・出雲・吉備・陸奥など、いわゆる「成敗される対象としてのオニ」の類の逸話が残る地は、多く、朝鮮半島や半島出身の人々との深い関係が窺えるのだ。「オニ」とは中央政権、つまり大和政権にたやすく従わなかった「まつろわぬ民」を指すと思われるが、高度な製鉄技術を持ち、中央勢力に対抗しうる力を手にしていたなら、大和政権も手を焼いたことだろう。「オニ」と見なし攻撃するのも納得だ。要は、その実力を恐れていたのである。
また、これらの地域は古くからの刀剣(刀剣に使用されるのは鍛造鉄である)の産地となっているケースが多いのも興味深い。
なお、冒頭で鉄は貴重な素材でもないし、などとほざいたが、前述の通り威信財であったし、日本の中世において鉄は米の6~9倍という高値を維持していた。まったく安くない。貴重である。鉄殿下への暴言、撤回するとともに心よりお詫び申し上げます。
刀剣から見る鉄の意義
日本における鉄製品の代表的存在の1つが刀剣だろう。異論はスルーさせていただくのでよろしくどうぞ。
日本刀剣は、古刀(ことう)期・新刀(しんとう)期・新々刀(しんしんとう)期・現代刀(げんだいとう)と4つの時代分けがなされることが多い(日本独自の姿になる前の時代は上古刀[じょうことうき]期と呼ばれる)。便宜上の分類ではあるが、非常に納得させられる区分でもある。
刀身の鉄の様子が、それぞれの時期ごとにはっきり異なるのである(現代刀については様々な要素があるため、ここでは除外)。そして、移行期とも言うべき期間はあるものの、それぞれの境目付近に技術的革新が存在したと見られている。
ここから見えてくるのは、鉄は技術革新を重ね、数千年もの長きに渡って重用されるべき存在であった、ということである。無論、その他の素材についてもある程度そうしたことは言えるのだろうが、錆びやすく朽ちやすい厄介な素材である鉄が、これほどまでに重要視されてきたという事実はやはり無視できない。
日本国内のみのことであれば、あ、日本は変態的凝り性が集まっている国だから、で説明がつくのだろうが(つくのか?)、世界的に見てそうなのだから、これは鉄のほうに要因があると見ていいだろう。
で、結局鉄って何なのだ
ヒッタイトが鉄の威力で連戦連勝を重ねたことは、世界史の授業で教わっただろう(こう書いている当人が忘れていたのは秘密である)。これは耐久力がそれまであった素材とは桁違いだった鉄を戦車の車輪に使用したことで、機動力が各段に上がった結果だという(鉄の起源については、発見に伴う新説が2019年に発表されて、ヒッタイトによるものではないと目されているそうだが)。鉄は武器や農具として普及し、急速に世界各国へ拡大していった。製鉄技術を持っているか否かで戦闘の結果が大きく左右されることもままあり、勢力拡大における重要なカギとなる。
比較的加工しやすく強度があること、世界中で採取可能なこと、これが鉄の最大の特長であり、いわば文化の革命ともいえる存在として、地球規模で捉えられていた。そう、鉄はワールドワイドなアイドル・タレントだったのである。
鉄は身近で不可欠な成分なのである
つらつらと製鉄会社のサイトをいくつか見てみたのだが、そのうちの1つに、地球・宇宙・生物を育んだのは鉄である、と書かれていた。わりとナチュラルに意識からすっぽ抜けていたのだが、そういえば人体にも鉄は不可欠な成分だ。貧血は鉄分不足だというし、鉄分補給サプリメントなんかもたくさん売り出されている。
そうか。ならば、この令和の世においても鉄好きをばんばんアピールしていったって、おかしなヤツ扱いはされないんじゃないのか。――こういうところが紛う方なき変人の証拠なのである。