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2023.10.29

無数の死を描いた『平家物語』。「あはれ」の文学が伝えたかったこと

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祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす。驕(おご)れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛(たけ)き者も遂には滅びぬ、ただ風の前の塵に同じ。

学生時代、『平家物語』の冒頭部分を暗唱したという人も多いのではないでしょうか。古典的な言い回しでも、リズムの良さ、文章から漂う「寂しさ」や「物悲しさ」は伝わってきますね。このなんとなく感じる「哀愁」「感傷」が、『平家物語』のテーマでもある「あはれ」です。

確かに初めて聞いた時、物悲しい気分になったなぁ。

『平家物語』は、あはれの文学

平安末期に現れた、名門一族である「平家」。その栄華と滅びの過程を綴った軍記物語が『平家物語』です。

『画解平家物語』国立国会図書館デジタルコレクション

軍記物語とは歴史的な戦をテーマにした物語の事です。特に、源平合戦を扱った『平家物語』、保元(ほうげん)の乱を扱った『保元物語』、平治(へいじ)の乱を扱った『平治物語』、承久(じょうきゅう)の乱を扱った『承久記』。この4つの物語を「四部合戦状(しぶかっせんじょう)」と言います。

『平家物語』は四部合戦状の中でも特に「あはれ」が色濃く表現されている作品で、単純に「あはれ」という単語の出現頻度も、他の物語に比べて多いほどです。

『平家物語』だけ、描かれ方が違ったのですね…….。

『源氏物語』との関係

「『源氏物語』って『平家物語』の源氏版?」とか「『平家物語』って『源氏物語』の続き?」という声をたまに聞きます。

確かに、間違えがちかも~!

『源氏物語』は平安中期に紫式部が書いた王朝文学。『平家物語』は鎌倉中期に成立した、作者不明の軍記物語です。ジャンルが全然違います。『ベルサイユのばら』と『銀河英雄伝説』ぐらい違います。

違い過ぎる(笑)。どんだけ~!

『源氏物語』もまた「あはれ」を描いた文学です。けれど「あはれ」の意味が平安中期頃と変わってしまっているところにも注目です。

『源氏物語』では「あはれ」の中に「艶っぽさ」や「おかしみ」も含まれていました。けれど『平家物語』にはそんな要素はなく、ひたすら「悲しみ」を語っているのです。

『平家物語』に触れると、ひたすら悲しくなる。琵琶の演奏で語るイメージが強いかも。

▼源氏物語の作者、紫式部に関する記事はこちら!
紫式部は苦労人?平安貴族の光と影を書いた『源氏物語』の作者を3分で解説

あの時代に生きていた人々へのレクイエム

では、『平家物語』はどんなところを「あはれ」と言っているのかというと、登場する人々の「死」についてです。平家や朝廷の関係者の最期を語り、後半に行くにつれて有名人だけでなく、無名な人々の多くの死が描かれています。

そして、その「死」を目の当たりにした人、残された人の無数の涙や嘆きが、この世の無常を浮き彫りにするのです。

無数の死を描いた後、ひとり生き残った平家の女性が出家し、平家の一族を弔ってその生涯を終えることで、物語は静かに幕を下ろします。

そういった物語であることを踏まえて、もう一度冒頭部分を読んでみると、またグッと惹きつけられるものを感じますね。

能には、『平家物語』の武士達が登場する演目があります。原作に触れてから、能舞台を観劇するもの、いいかもしれませんね。

アイキャッチ画像:平家物語図屏風(大原御幸・小督) 所蔵:東京富士美術館

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神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。