Culture
2022.03.22

大河の予習に『慈光寺本承久記』を読んでみたら、武士の矜持に涙した

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さて鎌倉幕府からは19万騎の兵が出発し、それを知った朝廷からは1万騎の兵が差し向けられました。……って圧倒的な兵力差!!

鎌倉幕府がどれだけ力をもっていたか、この兵力差でよくわかるなぁ。

しかし、こんな兵力差があるなんで、まだ誰も知りません。そんな中……鎌倉軍の第一陣が、遠江国の橋本宿(現・静岡県湖西市新居町)に到着しました。

▼「『慈光寺本承久記』を読んでみた」シリーズの過去記事はこちらからどうぞ!

一般武士の悩み

急いで出発した鎌倉軍第一陣の中に、津久井高重(つくい たかしげ)という武士がいました。彼は安房に住む三浦一族で、朝廷軍にいる小野盛綱(おの もりつな)という武士の郎党でした。

当時は他の家の武士に仕えたり、朝廷と鎌倉幕府の二足のわらじで働いたりすることはよくあることです。津久井さんは普段は海運業を営んでいて、安房から鎌倉へ荷物を運んできたタイミングでこの戦に巻き込まれ、妻子に別れを告げる時間も与えられず、あれよあれよという間に北条時房(ほうじょう ときふさ=義時の弟)に従軍させられていました。

たしかに北条政子さんも義時も、御家人たちに一瞬でも考える隙を与えていませんでしたね。でも鎌倉から離れてだんだん冷静になってきたようです。

津久井さんは「どうせ戦うならば、我が主である小野殿の方で戦いたい」と思い、夜になってから仲間と一緒にこっそり抜け出しました。

最初は勢いにのまれちゃったけど、後から冷静になること、あるある。

敵につくと言うのならば……

しかし、それを北条時房さんは目撃していました。そして部下の内田宗頼(うちだ むねより)に命じて追いかけさせました。

そして追いついた内田さんは、津久井さんに「私は北条時房殿の使いの内田という者です。あなたは津久井高重さんでしょう? もしそうなら、すぐにお戻りください」と声をかけました。

津久井さんも落ち着いて答えます。

「よくお聞きください。武士ならば自分の主の元で戦いたいと思うのは当然でしょう」

こうハッキリと敵方につくと言われてしまっては、内田さんのやることは一つです。とはいえ、内田さんは100騎。対する津久井さんはたったの19騎です。

「ですから、私たちはここで討死しましょう」

覚悟を決めた19騎は刀を抜き、弓を構えて激しく戦いました。

津久井パパ!!!

戦のあとに

さすが武勇に名高い三浦の一族。内田さんたち100騎のうち35騎も討ち取りました。けれど津久井さん方も11騎が討ち取られてしまいました。残りの8騎は民家に逃れて火を放ち、自害します。内田さんはそれを見届けると、討ち取った11騎の首を取り原っぱに晒し、北条時房に伝えました。

津久井さん……。ちょっとしたタイミングの行き違いでここで討たれてしまいましたが、本来ならきっともっと活躍したんでしょうねぇ。戦は無常です。

残された妻子は「お父さんは立派だったわ」と思ったんでしょうか。戦は悲しい……。

一方、朝廷方はというと……、次回に続きます!