アニメ『平家物語』から、原作である古典文学『平家物語』に興味を持った方も多いでしょう! しかし『平家物語』は全部で12巻もあり、とても長いです。
そこで、まず「推しの登場回を読んでみる」ことをオススメします! まずはアニメ『平家物語』の主人公である、平重盛(たいらの しげもり)の登場回をザックリと紹介します。
巻第1
重盛は「小松谷(こまつだに)」と呼ばれる場所に住んでいたので、小松殿(こまつどの)と呼ばれていました。また、重盛の息子たちの家系も「小松家」や「小松一門」と呼ばれています。『平家物語』でも小松殿の名で出てきます。
清水寺炎上
重盛初登場回です。
当時の僧侶は穏やかで静かな人ばかり……というわけでもないようで、宗派によって争い、時には武力で対立することもあります。
二条天皇が亡くなった際、葬儀の作法をどちらのものにするかで、比叡山延暦寺と奈良の興福寺で言い争い、ついには武力行使に発展しそうになっていました。しかも後白河法皇が延暦寺に言い含めて、ついでに平家を滅ぼすつもりだなどと噂がたちました。これには後白河上皇も慌てて清盛に会いに行き、釈明するしまつ。
てんわわんやの大騒ぎの中、重盛だけが「後白河法皇が平家を滅ぼす? そんな意味がない事をするだろうか?」と冷静でした。
実際、延暦寺は攻めてきました。ただ、延暦寺が攻めたのはなぜか清水寺。興福寺の末寺という理由でした。清水寺が燃えた後、後白河上皇は清盛の家から御所へと帰ることとなり、重盛がお供をします。
その時に清盛が重盛に「後白河法皇は信用できない」と話すのですが、重盛は「そんな事、誰にも言ってはいけませんよ」と答えました。
殿下乗合
重盛の息子、13歳の資盛(すけもり)が、摂政に無礼な態度を取ったため怒られてしまいました。重盛は「それは当然だ」といって資盛を叱りましたが、清盛は孫可愛さに摂政に仕返ししました。
御輿振
宗派の違う仏教徒同士だけではなく、時には貴族も仏教徒と紛争を起こしました。藤原師高(ふじわらの もろたか)とその弟・師経(もろつね)も、延暦寺と紛争を起こしました。延暦寺の僧は、この二人を処罰するように訴えましたが、なんの音沙汰もなかったので、ついに「強訴(ごうそ)」という手段に出ました。いわゆるデモ行進です。
延暦寺の僧たちは御神輿をかついで天皇御所に入り、大声を出して大騒ぎします。その時、警護に当たったのが重盛を中心とした平家でした。武士たちの返り討ちに遭い、僧たちは泣きながら帰って行きました。
内裏炎上
しかしその時、御神輿に矢が刺さってしまいました。御神輿の中にいる神の怒りに触れるのではと人々はささやき合っています。
そしてまた延暦寺の僧がやってくるという情報を聞きつけ、高倉天皇は夜中に抜け出して後白河法皇の元へ避難します。それにお供したのが重盛です。そしてその後、延暦寺の僧がやってきて、この前の仕返しだとばかりに御所を焼き払ってしまうのでした。
巻第2
さて、この御所を焼き払ってしまった強訴の顛末は、延暦寺の最高位の僧である天台宗主座がクビになり、元々の原因である藤原師高と師経の刑も執行されました。けれど今度は「鹿ケ谷(ししがたに)の陰謀」という打倒平家のクーデター計画が発覚します。その中には当時の政治の中枢を担う公家や後白河法皇もいました。
小教訓
清盛は鹿ケ谷の陰謀の首謀者である藤原成親(ふじわらの なりちか)を厳しく処罰しました。しかし、成親は重盛の妻の兄でもあり、重盛の嫡男・維盛(これもり)の舅でもあります。重盛は清盛にこの件について問いただし、成親の死罪をどうにか回避します。そして成親は流罪となりました。
教訓状
鹿ケ谷の陰謀に加担した人々を次々に捕らえる清盛。ついに後白河法皇も捕らえようとします。そこにまた重盛がやってきて、清盛の傍若無人ぶりを「もうおやめください」と訴えます。
烽火之沙汰
重盛はあくまで後白河法皇を守る側に立つと宣言します。親子の縁と法皇への忠義の間に押しつぶされそうになり「いっそのこと、私の首を刎ねてください」と清盛に訴えるのでした。
巻第3
政敵を排除した清盛はますます栄華を極めていきます。
医師問答
重盛は熊野詣(くまのもうで)に行き、「平家の栄華が父・清盛の悪行のせいで一代で終わるのなら、私の寿命を縮めてください」と願掛けしました。
そしてその通りに重盛は病に伏してしまいます。清盛は医師を差し向けるのですが、重盛は断って亡くなってしまいました。
無文
重盛は熊野詣に行く直前、「春日大社の神が悪行を重ねた清盛を討ち取る」という夢を見て、未来の予見だとしました。翌朝、嫡男の維盛に葬儀などで用いる、装飾や模様がない無文の太刀を渡していました。
アニメの重盛が未来予知ができるという設定はこのエピソードからでしょう。
燈炉之沙汰
重盛は、仏教への志が高く、京都の東山の麓に大きな仏堂を建てていました。そこで華々しい燈炉(とうろ=灯篭)を使った祭事を行っていました。
金渡
さらに重盛は生前、大金を宋国のお寺に寄付し、自分が死んだら供養してもらうようお願いしていました。そのお寺は現在の中国浙江(せっこう)省寧波(ニンポー)市にある阿育王寺(あいくおうじ/アショーカおうじ)です。
重盛の人生
『平家物語』では、栄華を極めておごり高ぶる清盛や平家一門を諫める、品行方正な人物として描かれています。実際の重盛は良い事も悪い事もしている普通の人間でした。重盛の正義を際立たせるために、重盛がやった悪行を清盛がやったことにしているエピソードもあります。
嫡男でありながら、若くして病死してしまった重盛に当時の人々は「あはれ」を感じたのでしょう。重盛の死以降、平家の隆盛にも陰りが見え始めたのも、後世の人から見るとなにかの予兆のようです。そこから『平家物語』の重盛というキャラクターが作られたのでしょうね。