総大将の弟、藤原秀澄(ふじわらの ひでずみ)くんのせいで、鎌倉軍も朝廷軍もお互いの作戦が漏洩してグッダグダの予感!!
そして鎌倉から中山道を通って来た武田信光(たけだ のぶみつ=武田信義の息子)さんと小笠原長清(おがさわら ながきよ=武田信義の従兄弟)さんが東海道軍と合流しようとしています。しかし……。
▼「『慈光寺本承久記』を読んでみた」シリーズの過去記事はこちらからどうぞ!
武士というものは……
武田さんと小笠原さんは2人でなにやら話しています。
「この世界は無常ですな。いかがと思いますか、武田殿」
武田さんは答えます。
「大事なことですよ、小笠原殿。鎌倉が勝つなら鎌倉に、朝廷が勝つなら朝廷につく。これが武士の習いですよ」
た、武田さぁあああああん!?
と、そこに東海道の鎌倉軍大将・北条時房(ほうじょう ときふさ=北条義時の弟)の文が届きます。そこにはこう書かれていました。
「武田殿・小笠原殿。大井戸・河合を渡って朝廷軍と戦ってください。そうしたら、美濃・尾張・甲斐・信濃・常陸・下野の6カ国をあげましょう」
これを読んで、2人は「じゃあ鎌倉につこう」と武田さんは河合へ、小笠原さんは大井戸へと向かいました。
凄くゲンキンな感じですが、これは結構「坂東武者の合理主義」を表しているなって思います。後鳥羽上皇の義時追討令では「褒美は思いのままだぞ!」とふんわりとした約束ですが、北条時房さんはしっかりと具体的な報酬を挙げています。しかも書面に残して。
私はここらへんが、後鳥羽上皇や朝廷側の貴族が見誤っていたポイントなんじゃないかなと思っています。
ちなみにこのシーン、江戸時代に流布していた『流布本承久記』では、味方にならないかと言ってきた朝廷軍の使者を、2人はピシャリと断って追い返した事になっています、さすがに武田さんと小笠原さんの子孫からクレームが来たのでしょうか。
というわけで、次はいよいよ、朝廷軍と鎌倉軍が激突します!!