Travel
2021.08.25

「自殺しなくて良かった」 ~京都の69歳おばあちゃんの北海道自転車キャンプ旅~

この記事を書いた人

例えば、ヒマラヤの高山などで、買いもの仕様のミニサイクルに乗ったおばさんが、突然、横を通過したら、みなさんはどう思うだろうか?
さすがにヒマラヤではないが、僕はこれに近い体験をしたのである。

僕のソロキャン物語VOl.6「69歳おばあちゃんの冒険自転車旅行」

襟裳岬

90年代末、すっかり北海道に恋した僕は、2000年代に入ると、何かしら理由を付けたり仕事にしたりしながら、毎年のように北海道へ長期で自転車旅に遠征していた。

これは、2003年の8月7日の出来事だった。

この日、朝は晴れていたものの、すぐに真っ黒な雲に覆われ霧雨となり、おまけに向かい風が強く、様似から襟裳岬までの道は予想以上に大変だった。
だいたい岬が近いと、道もアップダウンが多くなり、自転車だと大変な場合が多いのだ。

上ったり下りたり、辟易しながら、やっとこさ午前11時半頃、襟裳岬に到着したが、霧雨の上に風も強く寒さもあり、観光客はほとんど見当たらず、まばらに少数の人がいるだけだった。
だだっ広い場所に、数軒だけポツンとある食堂やお土産屋さんからは、森進一の『襟裳岬』が延々とスピーカーから流れている。

「襟裳の春は、何もない春です~♬」

強風のノイズと交じり、霧雨の中、スピーカーから大音量で流れて来るその歌声は、確かに何もない春を連想させるには、十分なリアリティを醸し出していた。

食堂で海鮮丼を食べて一服し、再び霧の岬に出てみた。
強風のため、霧が出てもすぐに流され、曇天とはいえ、ところどころ断崖絶壁の様子は見る事ができた。

しかし、天気と寒さのせいか、別になんという事もなく、他になにがあるわけでもなく、荒涼とした絶壁と海が広がっているだけだった。
しつこくスピーカーから流れてくる森進一の『襟裳岬』を背後で聞きながら、しばし、ベンチに座りボンヤリと海を見ていた。

その時、荷物をたくさん積んだ、ミニサイクルのおばさまが、脇を過ぎていった。

「ああ、おばさん、こんな天気の悪い日に買い物は大変だなぁ・・」

普段の見慣れた日常の視覚認識というのは恐ろしい。
ここがどこか?というのも忘れて、僕の脳みそは、一瞬、街でよく見かけるおばさまを見るのと
同じ反応を示していた。

そう思って伸びをして欠伸をした瞬間

「え?」
「えええ!!!???」

こんなところにスーパーがあるはずがない、民家もない、
ここはアップダウンの激しい断崖絶壁の岬である。
ミニサイクルで来るようなところではない。

慌てて、おばさまに声をかけた
「もしや、ツーリングですか?」
「そうです」

初めての大冒険


彼女は69歳(2003年当時)だった。
つい最近までは「自転車旅」など、まるで縁のない普通の女性だった。
28歳の頃、夫を亡くし、京都で、ひとり長い間、商売を営んでいた。

そして、90年代後半、事故で片足の骨を折ってしまう。
通常、骨と言うのは2本あって、骨折というのはそのうち一本が折れるものらしい、しかし、この時は2本とも折れてしまったらしく、年齢も年齢だったため、治療は困難を伴った。
そのショックは大きく、夫を早く亡くした上に、高齢で片足は治療困難。
これからどうやって生きていけばいいのか?

「生きる希望をなくした」という。

一時は真剣に自殺を考えたらしい。

しかし、その後、東京のスポーツ選手の行く病院を紹介され、
医者から「3年で治す」と言われて、言う通りにした。
リハビリの日々は続き、2年ほどの訓練により、少しづつ回復していき、
自転車も訓練のひとつとして乗るようになった。

10分ぐらい乗っては休み、を繰り返し、毎日、2時間ほどは乗るようになっていった。
1年ほどはそんな日々が続いたが、同じことばかりの繰り返しに面白くなくなってきた。

そんな中、四国88か所を自転車で周ろうと思いつく。
医者に相談すると、提示した条件を守れるなら、という事で実行した。

「2時間走ったら必ず30分休む」

この指示を守りながら、無事に完走した。

そして2003年。
「京都は暑いから」という理由で北海道を走る事にした。

取材メモより

同年7月7日、女満別空港に折り畳み式のミニサイクルと共に輪行で降り立った。
ガスカートリッジを飛行機に積めないのを知らなかったため、しばし揉めるが、無事に出発した。
網走を周り、美幌峠を1時間50分かけて上った。
傾斜や坂がなければ、10キロを約50分のペースで進み、1日約60キロ~70キロのペースで北海道各地を周った。
宿泊は野宿中心でテントもあるが、屋根が無いと嫌なので、バス停や公園の東屋、キャンプ場でも屋根のある場所を選んだ。
週に一度は民宿なども利用した。
バス停に寝袋などで泊まる場合は、出る際に必ず掃除して、ゴミはもちろん持ち帰り、
来た時より綺麗にして出るように心がけた。

この後、彼女は無事に北海道から京都まで、本州を含め、全行程完走したという。

この記事は当時、2度に渡って自転車雑誌に掲載し、彼女に連絡を取り、各一冊づつ送った。
連絡があり、なんと彼女はこの号を10冊ほど購入し、知人や友人に差し上げたという。

もう随分前の話なのだが、今回、連絡を取ってみようと、電話したが、「この番号は現在使われていない」というアナウンスだった。
もしも、これを読んでいたら、連絡いただきたいと思う。

「どうって事ない」

この時、強風の襟裳岬で、しばらくお話を聞かせてもらった。

僕は寒さでガタガタ震えていた。しかし、彼女は自分より薄着な上に裸足であるにも関わらず楽しそうに、今までの旅の経験を聞かせてくれた。

旅を心の底から楽しんでいる様子が直に伝わってくる。

「ツーリングでつらい事?」
「無い」

何年か前、自殺までしようと考えてた事に比べたら、どうって事はない。

彼女はこう言うと、来た時と同じようにミニサイクルで霧の中に消えた。

ほんの30分ほどの時間だったが、一生忘れられない強烈な出会いとなった。

相変わらず、襟裳岬は風がゴーゴーと鳴っている。

「北の街では、悲しみを暖炉で、燃やしはじめているらしい♬」
「襟裳の春は何も無い春です~♬」

森進一の声がノイズ交じりで響いていた。

僕のソロキャン物語

書いた人

映画監督  1964年生 16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。『ゲバルト人魚』でヤングマガジンちばてつや賞佳作に入選。18歳より映画作家に転身、1985年PFFにて『狂った触角』を皮切りに3年連続入選。90年からAV監督としても活動。『水戸拷悶』など抜けないAV代表選手。2000年からは自転車旅作家としても活動。主な劇場公開映画は『監督失格』『青春100キロ』など。最新作は8㎜無声映画『銀河自転車の夜2019最終章』(2020)Twitterはこちら