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人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る(三島由紀夫)
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読み物
Culture
2020.07.27

『もののけ姫』に登場するダイダラボッチは富士山や琵琶湖を作ったありがたい巨人

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巨人と聞いて筆者がまず思い浮かべるのは、人気漫画「進撃の巨人」に登場する人間の暮らしを破壊する巨人。巨人は人間にとって畏怖すべき存在で、どちらかというと恐怖の対象というイメージがある。でも一方で、ジブリ映画『もののけ姫』に登場するダイダラボッチのように不老不死の力を持つために人間から狙われる巨人もいる。
実はこのダイダラボッチ、宮崎駿氏のオリジナルではない。日本各地に伝承があり、一部には富士山や琵琶湖を作ったとも伝えられているらしいのだ。
子供が砂場で山や谷を作るよう日本を形成していったところを想像すると何となく微笑ましい感じがするが、今回はダイダラボッチが各地でどのように伝承されているか紐解いてみたいと思う。

ダイダラボッチは生命の象徴

ジブリ映画『もののけ姫』のダイダラボッチは、森の神であるシシガミのもうひとつの姿として描かれている。シシガミは古くから人里離れた深い森に住みつく神で、森を守護する一方で、作中ではモロの君(狼の神)や乙事主(おっことぬし・猪の神)の命を吸い取ったりする恐ろしい存在である。顔は朱色で人面に近く、体は白い毛で覆われたカモシカのようなビジュアルで四足歩行。陸を歩けば足もとの草木は一瞬にして成長し、その後枯れ、水上でも沈むことなく闊歩することができる。また、フィクションの神様キャラにありがちな人の言葉を喋ったりすることがないため、言葉によるコミュニケーションは不可。それどころか鳴き声はもちろん、足音など一切の音を発しない。

夜になると、シシガミはダイダラボッチに変身する。半透明の大巨人となって森を跋扈するのだ。ちなみに四足歩行時のシシガミの顔は人面っぽいのに、二足歩行のダイダラボッチは面長でより鹿に近い。また完全な固体ではないようで、物語終盤で首を獲られてからはゲル状の物質として描かれている。宮崎駿氏の著書によれば、シシガミはダイダラボッチとなり森を育てているとのこと。そして、ダイダラボッチも会話はできないし足音もない。すごい巨体なのにズシーンみたいな足音がしないのは、夜中だし睡眠を妨害されなくて良い。とても他の生き物に気を遣ってくれている神様なのだ。

大太法師?大人弥五郎?日本各地に残る巨人信仰

明治時代の民俗学者・柳田國男(やなぎだくにお)の著書『ダイダラ坊の足跡』には、日本各地のダイダラボッチの伝説が記されている。柳田の考察によれば、ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を示す「大太郎」に「法師」をつけた「大太郎法師(だいたらほうし)」で、一寸法師の逆説と定義している。つまり体は大きくても、精霊や妖精と同じく人の営みに害があるものではないという考えのようだ。

また奈良時代に成立した『常陸国風土記』には、こんな記述がある。

常陸国(ひたちのくに:今の茨城県あたり)の那賀郡(なかこおり)の要所・平津駅家(ひらつのうまや)から西へ一、二里行ったところに、大櫛(おおくし)という丘がある。ここに昔、巨人がいた。体が大きく、丘の上に居ながらにして砂浜のハマグリを掘り起こして食べてしまうほどの大きさだった。昔の人は、巨人が食べた貝が「大量に積もって朽ちている」ところから、この地を“大朽”と呼び、それが訛って大櫛之岡(おおくしのおか)となった。

奈良時代の人が「昔のこと」を記しているところが面白い。どちらにしても、茨城県にはとにかく大きな巨人がいたようだ。また九州地方には、大人弥五郎(おおひとやごろう)という巨人の言い伝えがあり、ここでも山に腰掛けながら海の水で顔を洗ったというトンデモ伝説が残っている。ただ大人弥五郎が常陸国の巨人と違うのは、具体的なモデルがいた点。奈良時代に九州で勃発した「隼人の乱」の統率者であったという説や、記紀に伝えられている伝説の人物・武内宿禰(たけしうちのすくね/たけうちのすくね)とする説がある。

ダイダラボッチの盛った土が山となり足跡に雨が溜まって湖となった

各地によって多少の違いはあっても、ダイダラボッチが規格外の巨体であることに変わりはない。山に住み、椅子に腰掛けるように山に座っているところ、貝を食べるところ、そして海や川で体を洗うところなど、共通して伝わっている点も多い。さらには名前に関する伝承もあり、埼玉県さいたま市の「太田窪」(だいたくぼ)や、東京都世田谷区の世田谷代田(せたがやだいた)など、地名に「ダイタ」とつく所はダイダラボッチの足跡に関連がある、さらにはダイダラボッチの「ダラ」が踏鞴(たたら)を指すといった見解もあるようだ。

こうやって見ていくと、ダイダラボッチは本当に大きな「人」という感じがする。意図的に人間をこらしめるといった伝承もとくに見られない。そればかりか、ダイダラボッチは日本人にとって誇るべき山や川をたくさん作ってくれている。有名なところでは富士山と琵琶湖だろう。
地方によって伝わりかたに多少の差はあるが、大まかには「近江を掘って琵琶湖ができ、その土で富士山を作った」というもの。富士山の土に甲州の土地が使われ、そのため甲州は盆地になったなどの異説もある。
また、そうした整地の際に、踏ん張った足跡のくぼみに水が溜まり沼や湖になったという伝承もある。巨体ゆえ、やることなすことが日本の地形に直結している様子が面白い。もしかすると、知られていないだけでその土地にしか伝わっていないダイダラボッチの伝承がまだまだ存在しているかもしれない。

人智の及ばない自然の偉大さが、ダイダラボッチを誕生させた?

ダイダラボッチは、実はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場している。オリジナル版とリメイク版でデザインが異なるが、ここでのダイダラボッチは共通して人を襲う驚異として描かれている。でもよく考えてみると、伝承のダイダラボッチが作った山や川だって災害の際には人間にとって大きな脅威である。

自然は人に恵みを与えてくれるばかりではない。生活や命そのものを一瞬にして奪い去る恐ろしさもまた、自然の一部なのだ。技術が進歩して、人間の手で山や川を作ることができるようになった現在でも、自然災害の前には成す術がないのは相変わらずである。
そうした災害による行き場のない悲しみや憤りを鎮めるために、ダイダラボッチの伝説が誕生したと考えるのはどうだろう。人間に行き過ぎたところがあったから怒ったのではないだろうか、詫び崇めふたたび恵みをもたらしてもらえないだろうか、その対象としてダイダラボッチはいるのかもしれない。

書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。