現代のような避妊具や避妊薬がなかった時代、吉原の遊女たちは、どのような方法で望まぬ妊娠を避けていたのでしょうか。迷信とも言える避妊方法や、妊娠してしまった遊女の処遇についてご紹介します。
遊女の避妊方法
吉原で行われていた代表的な避妊方法は、詰め紙・洗浄・お灸の3つだとされています。
詰め紙
行為の前に、御簾紙(みすがみ)という紙を口で噛んで小さく丸め、膣の奥に入れていました。これで精液を吸収するのでしょうが、当然完璧な方法とは言えません。
洗浄
行為の後は必ず排尿し、お湯で洗って流していたそうです。しないよりはいいかもしれませんが、気休め程度のものでしょう。
お灸
遊女たちの間では、おへその下のツボにお灸を据えると、避妊に効果があると信じられていました。特に2月2日は一年で最もお灸が効く日だと言われ、遊女たちはみんなこの日にお灸をしたのだとか。この避妊方法は、もはや迷信でしかありません。
遊女が妊娠したらどうなる?
不完全な避妊方法しかなかったため、当然妊娠する遊女もいました。遊女やその子どもたちはどうなるのでしょうか。
堕胎
遊女が妊娠するとその間お客をとって稼げないため、妓楼にとって大きな痛手です。そのため、堕胎医によって中絶手術が行われました。
しかし、今のように医療体制が発達していない時代、堕胎は大きなリスクを伴います。体調を崩したり、中には失敗して亡くなってしまったりする遊女もいたことでしょう。
出産する
人気のある遊女が妊娠した場合は、出産させることもありました。ただし子どもは仕事の邪魔になるので里子に出されるか、女の子なら禿(かむろ/遊女の見習い)として育てられる子も。そうなれば、生まれた子もいずれ遊女になる運命です。
妊娠しにくい体に
毎日何人もの相手をし続け、ろくに食事や休憩もとれない日々。梅毒などの性病にもかかっていたため、遊女たちの多くは妊娠しにくい体になっていました。
吉原で働いているときは妊娠に怯え、吉原を出る頃には妊娠できない体になっている……。いつか好きな人との子どもを、と望んでいた遊女もたくさんいたことでしょう。
そもそも遊女たちの平均寿命は20代前半だったと言われます。出産適齢期を迎えることもなく、使い捨てられるように散っていった遊女たちがどれほどいたことか。華やかで夢のようなひとときが過ごせる吉原の裏には、途方もなく深く暗い苦しみがあったのです。
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