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2020.03.09

数字の0(ゼロ)が発見される前はどんな世界だった?数字と仏教、不思議な繋がり

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私たちの生活に欠かすことのできない数字。日本ではアラビア数字を使用するのが一般的ですがこの数字、昔は1〜9までしか存在していなかったってご存知でしたか? そう、0(ゼロ)が発見されたのはそこそこ最近の話なのです。ゼロがあることが当然の世界で暮らす私たちにとって、突然そんなこと言われてもよくわかりませんよね。
そこで今回は、ゼロが発見される前はどんな世界だったのか、ゼロはいつ誰が発見したのか紹介していきます。また最後には、ゼロの発見が私たちに深い関わりを持つ仏教の概念から生まれていたことにも触れたいと思います。

ゼロが発見される以前はどうしていたのか?

アラビア数字がなかった時代から、人類は簡単な記号を用いて数を数えていました。
確かに縦棒でも横棒でも数を数えることはできます。今でも「正」の字を使ったりしますよね。これが発展して漢数字は4以上の数字を四、五、六に、ローマ数字では5を区切りとしてひとつ前の4をⅣ、ひとつあとの6をⅥとしました。
古代文明や遺跡のなかに幾何学的な模様や巨大な人工建築物を見ることができますが、それでも当時はまったく何もない「無=0」の状態は必要なかったのです。加えて古代ギリシャの数字の巨人アルキメデスも、そしてアレキサンダー大王の家庭教師だった哲学者・アリストテレスもゼロの概念自体に懐疑的でした。こうした風潮はやがて宗教へと継承され、ヨーロッパでは中世まで「無」や終わりのない状態「無限」という考え方はキリスト教への冒涜とみなされ、ローマ法王によって厳しく禁じられていたのです。

ゼロを発見したのはインドの数学者だった

最初にゼロというものを定義したのは7世紀のインドの数学者・ブラーマグプタという人物。著書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』のなかでブラーマグプタは数としての0(ゼロ)の概念を記しています。文明の最先端だったヨーロッパよりはるか以前に、インドでゼロが発見されていたのは驚きですね。
実は紀元前500年頃、古代バビロニアでは記号としてのゼロはすでに存在していました。しかしこの頃は「0」という表記がないため例えば「602」という値の場合、「6」と「2」のあいだには楔形文字が用いられていました。こうしたそこにゼロが存在しているという記号は、古代ギリシャやヨーロッパ、中国でも確認されています。しかし、それはあくまで記号としてのゼロ。ブラーマグプタのすごいところは、0(ゼロ)を1〜9と同じく数学的演算の値として定義したところにあるのです。

もともと仏教の世界にはゼロの概念があった!

ブラーマグプタは著書の中で0(ゼロ)を「シューニャ」と名付けています。これはサンスクリットで「空」(からっぽ)のこと。仏教における空は何もないという意味とはやや異なり、言うなれば「無いものが在る」という概念です。
仏教には古くから「この世は実体がないもので成り立っている」という考え方がありました。例えば、目の前に「すき焼き」があると想像してみてください。鉄鍋の中は、牛肉・豆腐・春菊・葱・白滝などがぐつぐつと煮えて、とても美味しそうです。しかしすき焼きができる前、それぞれの材料ひとつひとつだけではすき焼きとは言えませんよね。牛肉は牛肉だし、豆腐は豆腐です。当たり前のことのように思えますが、これは「すき焼きという料理がすき焼きでない物の集合」で成立していることを示しているのです。

般若心経の一節「色即是空」は最先端科学に通じている?

大乗仏教のひとつ般若心経(はんにゃしんぎょう)の教典に「色即是空(しきそくぜくう)」という一節があります。「色(しき)」はこの世のあらゆる物のこと、そして「空(くう)」は実体をもたない不変のもの、いわば概念です。要約すると「この世のあらゆる物には実体がない」といったところでしょうか。前述したすき焼きの話にも通じるところがありますよね。そしてこの色即是空は、最先端科学の量子力学の考え方にも似ているところがあります。
量子力学の世界では、この世のあらゆる物を最終分割したいちばん小さな粒を「素粒子」と呼んでいます。素粒子は17種類あり、逆説的に考えれば、私たちの世界を構成しているすべてのものはこの素粒子の組み合わせでしかないのです。
それでも私たちは人間です。17種類の素粒子がどういう決まりで構成されているのかはわかりませんが、人間という物であり現象なのです。そしてこの物や現象を構成する見えない法則のことを、仏教では「因果」と呼びます。因果については、一般的にイメージする感覚の通り結果には必ず原因があるというもの。これと同じく、量子力学ではAの状態が決定すると離れた地点のBの状態も瞬時に決まると言われています。はるか昔からある仏教と量子力学が同じ考え方をしていることに、ただただ驚くばかりですね。

宗教と科学は水と油ではない!革新の陰には禅の精神が息づいている

一般的に宗教と科学は相反すると捉えられがちですが、東洋思想や仏教の根幹的概念が、数字のゼロが発見された経緯や現代の最先端科学に通じていることを考えると一概にそうとも言えません。
Macintosh(マッキントッシュ)やiPhoneを生み出したアップルの創業者・スティーブ=ジョブズは、禅や瞑想を重じていたと言います。優れたテクノロジーを発見した科学者が東洋思想を取り入れていたと思うとがぜん興味が湧いてきます。ちょっと勉強してみようかな、という気になりますね。

▼仏教初めの第一歩に
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書いた人

生粋のナニワっ子です。大阪での暮らしが長すぎて、地方に移住したい欲と地元の魅力に後ろ髪惹かれる気持ちの狭間で葛藤中。小説が好き、銭湯が好き、サブカルやオカルトが好き、お酒が好き。しっかりしてそうと言われるけれど、肝心なところが抜けているので怒られる時はいつも想像以上に怒られています。