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2022.04.14

科学とアートの狭間の「美」 現代美術家AKI INOMATAインタビュー

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「アート」と聞いて、多くの人々が思い浮かべるのが絵画や浮世絵ではないだろうか。

ところが、これらは本来の「アート」でないかもしれない。というのも、こうした連想は明治時代以降の「アート」の定義に翻弄された結果に過ぎないからだ。

だとすれば、「アート」の本質とは一体どのようなものであり、どこにあるのだろうか。
その答えのヒントは、現代美術家のAKI INOMATAさんの作品の中から見出されるかもしれない。

AKI INOMATAさん、どんな方なのか楽しみ!

「アート」の定義を揺るがしたフランス革命を経て明治維新へ

明治時代は近代化の始まりでもあり、人々の生活を取り巻く政治体制や文化が激変した。人々が身に付けるものは和装から洋装に変わり、肉食解禁令が出されるとともに、徐々に西洋の肉食文化が浸透していった。また、ものづくりの面でも機械を積極的に導入するなど、西洋の影響が垣間見れた。

同様に、芸術の分野では「芸術(Art)」という西洋の影響を受けた概念が持ち込まれた。西洋の基準に従って江戸時代以前の制作物を「美術(Fine Art)」「工芸(Craft)」にふるい分けた結果、蒔絵の重箱や甲冑などの超絶技巧が海外でアートよりも下位のものとして評価されるという、日本の工芸にとってある種の悲劇がもたらされた。

日本の工芸にとっての悲劇とも強く結びつく出来事となったのが、1789年に民衆の反感から起きたフランス革命だ。それ以前から「学問」「技芸」という2つの相対立する概念の立ち位置をめぐる議論がなされてきたわけであるが、フランス革命を機にその対立が如実に現れるようになった。フランス革命の数十年間では工業化が一気に進められると同時に、社会が新たに編成され、また知識が大きな役割を担った。

そうした状況下で強い影響を受けたのが科学とアートであった。科学とアートは元々未分化の状態にあった。例えば「リベラルアーツ(Liberal Arts)」という言葉がある。それは古代ギリシャの時代に普及した学問体系であるが、「人間の知識の総体」を指す。ところが、「知識が社会の中でいかに有効な道具となり得るか?」を争点に社会変革の道へと突き進んでいったフランスでは科学が偏重され、一方で芸術が疎んじられた。それは日本の明治維新にも波及し、最終的に日本の工芸界の悲劇にも繋がったというわけだ。

「アート」と聞いて、西洋画や浮世絵を思い浮かべる人は少なくないだろう。そうした美体験は明治以降の概念編成に翻弄された結果に過ぎない。根源的に考えると、科学と未分化なところにアートの本質があるものと思われるが、そのような状況下で見出される「美」とは一体どんなものだろうか。そこで、時にはヤドカリの家を作ったり、時には日本人の英語コンプレックスを解消するために、日本語が少しだけ話せるインコに未修得のフランス語を学ばせてみたりと、さまざまな生き物と対峙しながら科学とアートの狭間で活動するAKI INOMATAさんにお伺いした。

現代美術家・AKI INOMATAさんの横顔。

AKI INOMATAさんが人間と生き物との協働に拘り続けるワケ

–そもそもAKI INOMATAさんが人間と生き物との協働に拘る理由は何ですか。

AKI INOMATAさん:私は元々都市に生きる自分というものに違和感を抱いていました。当初は自然現象をコントロールするような作品を作っていたわけですが、その過程の中で自分が自然現象などをコントロールしていくということではなく、他者から影響を受けて自分自身が変わっていくようなことがしたいと思ったのです。

2009年に開催された在日フランス大使館の解体イベントの展覧会「No Man’s Land」への出展を期に制作に着手した作品。 ヤドカリは成長過程の中で、より快適な「やど」を見つけ、引っ越しを行っている。ヤドカリの世界もまた弱肉強食であり、時には力の強いヤドカリに「やど」を追い出されることもある。この作品における「やど」には世界各地の都市が象(かたど)られており、透明な自作の「やど」をヤドカリに渡し、ヤドカリが気に入れば引っ越しをしてもらうという意図が込められている。

そこで、最初に思いついたのがヤドカリの作品でした。具体的には都市を象った透明な殻をヤドカリに渡して、そこにヤドカリが引っ越しをしていくという作品なのですが、その作品をきっかけに現在に至るまで生き物とともに作るという活動を続けるに至っています。

科学とアートとの狭間で見出される「美」とは?

–実際にさまざまな作品に着手されているわけですが、その中で見出される「美」についてはどうお考えですか。

AKI INOMATAさん:私としては現代アートの中で美を追求しているというより、どちらかと言うと自分の考えをもう少し拡張したいという思いがあり、それが現代美術家として活動を続けていくうえでの最大の動機となっています。

他の生き物によって作られたものに目を向けた時、それに対して「美しい」という感情を抱くことはあります。例えばアンモナイトの場合、螺旋形が黄金比であるとも言われていますが、螺旋というのは実に美しい形をしています。まさに他の貝殻もそうですが、自然物に見られる中の美しさは、私の作品の中にも表れているように思います。

–AKI INOMATAさんの髪の毛と犬の毛を交換してケープを作るというプロジェクトにも携わったようですね。その作品を通じて感じた「美」とはどのようなものでしたか。

AKI INOMATAさん:あの作品は私の髪の毛で犬の服を作って、犬の毛で私の服を作ってるんですけど、「髪と(犬の)毛というのは私と犬がそれぞれ死んだ後も残るんだなあ」ということを考えながら作りました。つまり、髪も毛も身体の一部でありつつも、死後も残っていくことは、分身のようなイメージでもあります。

ドッグショーでは見た目の美しさによって犬を評価する基準が設けられ、近親交配によって造りあげられた純血種の犬達が深刻な遺伝病に冒されている。都市の環境に不似合いかつ奇異な動物が飼育されている。また、ペットの大量の駆除や殺処分が行なわれている。これらはみな、人間が近代の概念や美意識のもとで自然や生物の生態を都合よくねじ曲げてきた負の所産であり、新たな自然への認識をもってペットと人間との関係を捉え直してほしいという現代人への警鐘のメッセージが込められている。

長い視点で見ると、私や犬が死んだ後も、服は残っていきます。形についてはどちらかと言うと機能性を重視して制作していたのですが、私と犬の抜け殻のように、形が残ることをイメージすると感慨深いものがありますね。

何より犬の毛はお日様の匂いがして心地がいいんですよ。匂いが美なのかどうかといえば疑問ですが、そういったところを含めて私は犬の毛に魅力を感じています。

–例えば、絵画や浮世絵を見る場合の美体験、その時に得られる「美」との違いについてはどうお考えですか。

AKI INOMATAさん:一言に絵画と言っても色んな絵画があります。それぞれの作家さんがさまざまな方向性から研究しているので、作家ごとにまったく違うのだと思っています。絵画との違いで言うと、先ほどの犬の毛を例に挙げれば、「五感」、例えば嗅覚であったりだとか、視覚ではない部分もかなりの比重を占めています。そういう意味ではアートは幅が広いですね。インタラクティブというと意味が違ってきますが、見た人との相互関係が生まれる作品であると私は思っています。

アートの本質は先史時代にアリ!?

–感覚的な美と聞いてピンと来たのですが、日本の原点とも言える縄文時代の人々が経験していたことがまさにそういったことではないかと思いました。日本では弥生時代以降に大陸から漢字が伝わり、文字を使用するようになったという歴史があります。文字のないそれ以前の時代も、共通の祖先であるサルから分岐し、発達した言語野を持つ以上、何らかの言葉を話していた可能性が高いです。生まれたばかりの乳幼児にとって初めて口にする言葉といえば「ブーブー」「ワンワン」といった身近な音を模倣したものであるように、現代人に比べると言語を司る脳機能が発達していなかった縄文時代の人々もまた、身近で聞こえる音を耳で聞き、それを口にしていたことのではないかと考えられています。

こうしたオノマトペは感性が詰まった言語表現であり、そういう言葉を頻繁に使っていたであろう縄文時代は感性を重視した時代であったと言えますが、AKI INOMATAさんの作品からそういった日本の原点的なものを感じたわけです。

AKI INOMATAさん:縄文時代については詳しくないのですが、例えば貝を加工したものは色んなところから出土しています。沖縄島のサキタリ洞(どう)遺跡からは旧石器時代から約2万年前の間に作られたであろう世界最古の貝で出来た釣り針が発見されています。

種子島で開催された『種子島宇宙芸術祭2020』の「AKI INOMATA《進化への考察》#1:菊石(アンモナイト)野外上映」より。

2020年に昨年鹿児島県・種子島の南種子町にある広田遺跡に滞在していたのですが、その広田遺跡からもたくさんの貝製品が出土しています。貝府(かいふ)と呼ばれる長方形に彫刻が施された貝製品はそのひとつで非常に美しい装飾品です。その文様がどういった意図で作られたものであるのかは定かではありませんが、言葉ではないコミュニケーションを求めていた気もするので、感性に響くようなところはあったと思います。

科学ではアートの視点が重要

–明治時代に西洋文化が流入し、「アート」の概念が一変したわけですが、その背景には科学との分化がありました。帝国主義の拡張と相まって、社会的に有用であると看做された科学と、そうでないアートとの差がますます開き、科学においては社会の要請に応じて技術的に先鋭化されたテクノロジーが各国で競い合うかのように生み出されました。その究極的な結末が原子爆弾という人類史上最悪の人体実験であったと思います。

現代においては、大学や企業でAIの研究が進められています。例えばNECの顔認証技術においては世界トップレベルに達したとも報じられています。科学一辺倒と言いますか、科学史上主義へと突っ走っていくことは一見素晴らしいことのように聞こえますが、顔認証技術を例に挙げてみても、人々の生活を拘束・制限するという、いわばデジタル版の治安維持法のような事態へと繋がりかねず、決して好ましいものであるとは言えません。科学の暴走を止めるという意味で、科学の中でのアートの視点は重要な意味を持つと思っているわけですが、科学におけるアートについてはどうお考えですか。

AKI INOMATAさん:科学とアートは根っこは同じだったということもあり、共通する部分はあると思っています。ただし、アートは研究論文とは異なるアウトプットができるという点で、そこには自由度があるようにも思っています。価値観を揺さぶると言いますか、「こうと言われていることは本当なのか?」と疑いをかけるところはアートならではの視点なのではないかと思っています。必ずしもこれが正しいと主張するのではなく、疑問を問いかけるようなスタンスで発表できるのがアートの良いところかもしれません。

–実際に科学者とコラボして進めたプロジェクトはありますか。

AKI INOMATAさん:私自身、科学者との協働を大事にしていて、基本的に科学者の話を傾聴しながらリサーチを進めて制作することが多いです。

東日本大震災が起きた2011年3月以降、東北沿岸部のアサリの成長過程に劇的な変化があったことに興味を持ったことがきっかけで、プロジェクトに本格的に着手。「アサリから見た世界はどのようなものなのか?」が気になり、アサリの成長線をレコードの溝に置き換え、海と陸の境界に住む生き物から見た世界とその声を音へと変換しようと試みた。

具体例を挙げると、「Lines-貝の成長線を聴く」というアサリの作品がまさにそうですね。福島県相馬市松川浦で採取したアサリの成長線、年輪のように刻まれた線なのですが、それを観察しながらアサリの成長の度合い、アサリが生きていた頃の環境の変化を読み取り、最終的には成長線をレコードに変換して、その音を聴くという作品をつくりました。

「成長線というものをどうやったら見られるのか?」「どうやってカウントしていけばいいのか?」という点においては、研究者の方に教えていただいた部分が大きかったと言えます。

AKI INOMATAさんのプロフィール

アーティスト。1983年生まれ。東京都在住。2008年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。生きものとの関わりから生まれるもの、あるいはその関係性を提示している。ナント美術館、十和田市現代美術館、北九州市立美術館での個展のほか、2021年「Broken Nature」ニューヨーク近代美術館、2021年「The World Began Without Human Race, and It Will End Without It.」国立台湾美術館、2019年「第22回ミラノ・トリエンナーレ」、2018年「タイビエンナーレ」など国内外で展示。

URL

疑問を問いかけるようなスタンスで制作ができるのがアートの良いところという部分、たしかにそうかも!って思いました。

あとがき

私たちが生きる今日に至るまで、人間に限らず、さまざまな生命体の誕生があった。生命の犠牲の繰り返しをもって文化が形成されゆくのであって、何不自由ない生活を送っていると、そういった当たり前のことから目を逸らしがちだ。「死者を悼む」という日本文化を嗜むうえで根本的な視点が暗示されたAKI INOMATAさんの作品から学べることは多いのではないだろうか。

AKI INOMATAさんの作品において特筆すべきは、アートの視点で歴史の1ページを開いていこうという姿勢だ。従来、先史時代といえば「狩猟採集」「石器」「土器」「土偶」をキーワードに語られてきた。遺跡での土器の出土や人骨の発見があり、そうしたものを手がかりに遠い昔の生活の一部を垣間見ることができるができる。それらはあくまでも人間主体の世界から顕現された一側面に過ぎない。また、縄文時代のアートと聞いて縄文土器をイメージしがちだ。が、海辺に目を向けるとハマグリやアサリといった縄文人の手を経ないものにも美がある。AKI INOMATAさんならでの視点が加わることによって当時の人々が目にしたものや心象が明らかとなり、人間と人間を支える自然界の生き物とが主体となったより深みのある先史時代が浮彫りとなるのではないだろうか。

書いた人

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

この記事に合いの手する人

編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。