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2018.05.01

仏涅槃図・出雲大社〜ニッポンの国宝100 FILE 61,62〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

出雲大社

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、釈迦の入滅を描く、「仏涅槃図」と日本最大の神社本殿、「出雲大社」です。

平安仏画の傑作「仏涅槃図」

出雲大社

釈迦は、紀元前5世紀頃の北インドに生まれました。インド各地を説法しながらめぐり、80歳で入滅。釈迦の死を伝える経典「大般涅槃経」によると、釈迦は80歳のとき、病を得てクシナガラの跋提河のほとりに至り、2本の紗羅の木(沙羅双樹)の下に横たわり、菩薩や弟子が周りに集まって入滅を見守ったといいます。釈迦の死の場面を描いた絵が「涅槃図(仏涅槃図)」です。涅槃(ニルバーナ)とは、すべての煩悩の火が吹き消されて、悟りの智恵を完成した境地のことです。そしてその境地に至った釈迦の入滅のことも涅槃といいます。

「仏涅槃図」で、釈迦は中央の宝台の上に、目を閉じた安らかな姿で横になっています。「中阿含経」によると、入滅直前の釈迦は「金色の山のように光り輝き、気品があって荘厳」とあります。それを表現するため、釈迦の顔や胸には黄白色などの中間色が使われ、着衣には金箔を細く切って貼り付けた截金文様が施されています。
 

釈迦の周囲には38名の菩薩や弟子たち、そして獅子までも描かれています。枕元には観音・文殊・普賢などの菩薩たち、足元には富楼那・優婆離らの十大弟子をはじめとした仏弟子の姿が見えます。画面右上に姿が見えるのは釈迦の生母・摩耶夫人。注目したいのは、人々の性格や地位を表情で描き分けている点です。悟りに至る最終段階にある菩薩に対し、十大弟子は修行途上の生身の人間です。菩薩は釈迦の入滅に立ち会いながらも静かな表情を崩していませんが、弟子たちは感情を抑えきれずに慟哭しているのです。獅子はひっくり返って死を嘆いています。

奈良時代から釈迦の忌日(陰暦2月15日)に釈迦の遺徳を追慕する涅槃会という法要がはじめて行なわれるようになります。この法要の本尊として涅槃図が懸用されることから、しだいに涅槃図の制作が増加しました。

日本仏画の最高傑作のひとつ「仏涅槃図」は、応徳3年(1086)4月7日に制作されたとの墨書銘があります。これは平安時代の仏画としてはきわめて珍しいことです。現存最古の涅槃図にして、11世紀の仏画の基準作とされる国宝なのです。

国宝プロフィール

仏涅槃図

応徳3年(1086) 絹本着色 一幅 267.6×271.2cm 金剛峯寺 和歌山

釈迦の入滅の場面を描いた絵で、画面中央に横たわる釈迦を大きく描き、その周りには菩薩、弟子、天部、在家信者らが参集し悲しみにくれるさまを巧みな表現で描く。柔和な色調に、金箔を細く切って貼り付ける截金文様などの技法が駆使された平安時代の仏画の傑作である。

金剛峯寺

日本最大の神社建築「出雲大社」

出雲大社

出雲(島根県東部)は「神話の国」といわれます。それは、出雲が、「八岐大蛇」や「因幡の白兎」をはじめとした神話の舞台となっているからです。その出雲神話の主人公のひとりが出雲大社(正式には「いづもおおやしろ」と呼ぶ)の主祭神・大国主大神です。「古事記」や「日本書紀」には、大国主大神は自らが造り上げた「葦原中国(日本の国土)」を天照大神の孫・邇々芸命に譲るかわりに、「太い柱で千木(屋根の上で交差する木)が高くそびえる立派な宮殿」を建てるよう望んだとあります。こうして造営された「天日隅宮」が出雲大社の始まりとされます。古くは「杵築大社」と呼ばれていましたが、明治4年(1871)に現在名の出雲大社となりました。
 
天照大神は天日隅宮を築いて、わが子である天穂日命に奉仕させました。出雲大社では、天穂日命を祖とする出雲国造家の子孫が今も宮司を務め、連綿と祭祀を継承しています。
 

この「国譲り神話」にある大国主大神の「立派な住まい」が、国宝「出雲大社本殿」のいわれです。本殿は神の住まいにふさわしく、神社建築では最大級となる約24メートルの高さを誇っています。屋根は反りのある檜皮葺で、軒先や柱などに装飾はなく、簡潔で力強い意匠です。高床式で、切妻屋根(棟の両側に流れる屋根)、妻入(屋根側面が三角形の側に出入り口がある)の構造は、大社造と呼ばれる建築様式です。これは伊勢神宮の神明造とともに最古の神社建築様式で、古代の日本建築の佇いを伝えているのです。
 
本殿で特徴的なのは、柱がきわめて長いという点です。現在の本殿は、延享元年(1744)に完成したもので、千木までの高さは8丈(約24メートル)もあります。神社本殿としてはぬきんでた大きさですが、奈良、平安時代の本殿はさらにその2倍の高さだったと伝えられています。2013年の「大遷宮」で屋根の檜皮の葺き替えや修造が行なわれました。出雲大社では遷宮はほぼ60年に一度行なわれますが、これは神殿を更新することで神は新たな生命力を得、神威がよみがえるとする神道特有の考えがあるためです。

国宝プロフィール

出雲大社本殿

延享元年(1744) 1棟 大社造 正面2間 側面2間 

神社建築の古様を伝える大社造で、棟の両側に流れる切妻屋根、妻側を正面とする妻入である。平面は正方形で、9本の柱が田の字の交点に立ち、中央を心御柱とする。床は高く、棟には交差する千木と3本の勝男木が置かれる。千木までの高さは8丈(約24メートル)。古くはさらに巨大な高層建築であったとされる。

出雲大社