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2018.03.08

日光東照宮 陽明門・源氏物語関屋澪標図屏風〜ニッポンの国宝100 FILE 47,48〜

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

日光東照宮陽明門

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、装飾を極めた名建築、「日光東照宮 陽明門」と宗達晩年の名作「源氏物語関屋澪標図屏風」です。

家康公もびっくり!「日光東照宮 陽明門」

日光東照宮陽明門

栃木県の日光東照宮は、江戸幕府初代将軍・徳川家康を、神である「東照大権現」として祀る神社です。家康は元和2年(1616)に死去する前に、一周忌ののち自分を日光山に祀るようにと遺言しました。翌年、これに従い、嫡男の2代将軍秀忠が現在地に社殿を構え、埋葬地であった久能山(静岡県)から家康の遺体を移しました。

その後、祖父の家康を篤く崇敬した3代将軍家光によって、社殿が全面的に建て替えられ、寛永13年(1636)に壮麗な社殿が完成します。これが現在見られる日光東照宮です。
 

境内には55の建造物があり、8棟が国宝、34棟が重要文化財に指定されています。なかでも本殿・拝殿などの主要建築を囲む一画の入り口にある陽明門は、日光東照宮を代表する名建築といわれます。高さ11.1メートル、幅7メートル、奥行4.4メートルの楼門(2階建てで下層に屋根がつかない門)で、屋根は入母屋造(上部2方向、下部4方向の勾配の屋根をもつ)の形式をとり、四方の軒に曲線状の飾りである唐破風がついています。屋根は当初は木の皮を葺いた檜皮葺でしたが、承応3年(1654)以来、銅瓦葺になりました。建築の様式は、中国の禅宗建築の影響を受けた唐様(禅宗様)を基調としています。

陽明門は絢爛たる色彩とおびただしい数の建築彫刻で飾られています。陽明門を装飾する彫刻は508体。麒麟・龍・唐獅子など「霊獣」と呼ばれる想像上の動物や、中国の故事を表現した人物像、中国の子ども「唐子」が遊ぶ姿などが見られます。これらは漆の黒や、貝殻から作る絵具である胡粉による白、金箔や鮮やかな彩色が施され、門をびっしりと覆い尽くしています。なお、「陽明門」という名称は、平安京大内裏の門の名のひとつを朝廷から賜ったものです。

陽明門は、2017年3月に4年がかりの修復が完了しました。この「平成の大修理」は、門から古い金具や塗料を取り除いて木地を修復したあと、漆塗りや金箔による箔押し、彩色を施し直す本格的なもので、修復が成った陽明門には、江戸時代初期の鮮烈な極彩色がよみがえりました。

国宝プロフィール

日光東照宮 陽明門

寛永13年(1636) 栃木

徳川家康の霊廟である日光東照宮。その本殿・拝殿を囲む廻廊の正面にあるのが陽明門。中国の影響を受けた唐様(禅宗様)の門で、屋根の軒に施された極彩色の建築彫刻で知られる。現在の建築は、
江戸幕府3代将軍徳川家光の命による、寛永の大造替のときのもの。

日光東照宮

宗達のセンス炸裂!「源氏物語関屋澪標図屏風」

日光東照宮陽明門

「源氏物語関屋澪標図屛風」は、江戸時代初期の京都の絵師・俵屋宗達が描いた、晩年の最高傑作です。「源氏物語」から、右隻に第16帖「関屋」、左隻に第14帖「澪標」の一場面を描いています。

「澪標」は、光源氏が須磨と明石(ともに現・兵庫県)のわび住まいから京に帰り、栄華を取り戻した29歳の秋、明石に退居していたころの恋人・明石の君が乗る船と、住吉社(現・大阪府)の近くで遭遇した場面。「関屋」は、「澪標」と同じ29歳の秋、光源氏が石山寺(現・滋賀県)に詣でる途中の逢坂の関で、17歳のころの恋人・空蟬の一行と再会した場面です。

どちらも、源氏とかつての恋人が偶然出会うテーマが選択され、主人公である源氏と恋人の姿は描かれず、乗り物の牛車や船によってその存在が暗示されていることが特徴です。また、左右隻の絵が、山と海、直線と曲線など、対比的な描き分けによって構成されていることが見どころとなっています。
 

宗達は、生没年をはじめ不明な点が多い絵師で、作品の制作年も特定できないものがほとんどです。しかし、「源氏物語関屋澪標図屛風」は、近年の研究によって、江戸時代初期の寛永8年(1631)、京都の醍醐寺三宝院の門跡(皇族や貴族出身の住職)覚定の注文で同寺に納品されたことが、醍醐寺の文書からわかりました。

本図は、簡素な線で顔を描く「引目鉤鼻」という様式化された表現などをもとに、日本の伝統的絵画である「やまと絵」の手法を用いて描かれています。また、先行する絵巻から人物の形を多数借用しており、平安時代後期以降、おびただしい数が制作されてきた「源氏絵」(源氏物語が主題の絵)の伝統と無関係ではありません。しかし宗達は、やまと絵の画派である土佐派や住吉派の源氏絵が、細密な小画面が主流であったのに対し、六曲一双という大画面に場面を展開して、王朝文学を優れた造形感覚による独創的な作品として再生させました。

本作は、国宝指定の宗達作品3点(他は「風神雷神図屛風」「蓮池水禽図」)のうち、最初に指定された作品です。

国宝プロフィール

俵屋宗達 源氏物語関屋澪標図屛風

寛永8年(1631)頃 紙本金地着色 六曲一双 各153.0×356.4cm 静嘉堂文庫美術館 東京

江戸時代初期に京都で活躍した絵師・俵屋宗達の屛風絵。右隻に「源氏物語」第16帖「関屋」、左隻に第14帖「澪標」の場面を配する。明治29年(1896)まで京都・醍醐寺に伝来した。宗達晩年の最高傑作のひとつ。

静嘉堂文庫美術館