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浄土寺

ART

兵庫 浄土寺・彦根屏風
〜ニッポンの国宝100 FILE 63,64〜

日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

浄土寺

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、建築と彫刻が織りなす大空間、「兵庫 浄土寺」と江戸初期風俗画の代表作、「彦根屏風」です。

快慶の巨大な阿弥陀像「兵庫 浄土寺」

浄土寺

兵庫県小野市の浄土寺は、建久3年(1192)の創建。平重衡らによる南都焼討ち(1180年)で焼失した奈良・東大寺の復興のために、重源上人が東大寺七別所(別所は分院的な宗教施設)のひとつ、「播磨別所」として設置したのが始まりです。重源は各別所に阿弥陀堂を建て、仏師・快慶らが製作した仏像を安置しました。浄土寺の浄土堂(阿弥陀堂)は、建久5年に上棟し、建久8年に落慶供養されました。堂内の快慶作の阿弥陀三尊立像とともに、国宝に指定されています。
 
東向きに建てられた浄土堂は、ほぼ正方形の宝形造の建物です。本瓦葺の屋根はほとんど反りがない直線的な形状で、外観は簡素。しかし、内部は中央の巨大な金色の阿弥陀三尊像の光背が、天井を張らない屋内のほぼ頂まで達し、朱色に塗られた柱や屋根の小屋組が光に輝いて華麗な装飾性を見せます。
 
浄土堂は、現存する最古の大仏様(天竺様)の建築といわれます。大仏様とは、中国・南宋に3度渡った重源が、当時の中国の建築様式を取り入れて創り上げた、大規模建築に適した構造の寺院建築様式です。東大寺大仏殿の再建に採用されたことから、「大仏様」の名があります。
 

浄土堂の内部は、背面から射し込む光が堂内で反射し、三尊像を赤く照らします。足もとの雲形の台座が光でかすみ、三尊はまるで雲に乗って浮かんでいるかのように見えます。阿弥陀如来が極楽浄土から人々を迎えにやって来る来迎の場面を、自然光を最大限に利用して建築と仏像彫刻で演出した、見事な造形空間です。
 
阿弥陀三尊像は、奈良の慶派の仏師・快慶が建久6年に製作した巨像です。快慶初期の代表作で、切れ長で大きく見開いた目元と、整った衣文をもちます。南宋の仏画を手本に造られたため、顔の表現などには、エキゾチックな南宋風が色濃く反映されています。
 
大仏様の様式は短期間の流行で終わり、遺構の数も限られています。重源による創建当初の阿弥陀堂建築と、阿弥陀三尊像が一体のまま現存するのは浄土寺のみで、重源と快慶の協働による荘厳華麗な仏教遺産です。

国宝プロフィール

兵庫 浄土寺

浄土寺は、鎌倉時代前期の僧・重源が東大寺再建のための拠点のひとつとして創建した。浄土堂(阿弥陀堂)とそこに安置される木造の阿弥陀三尊立像が国宝。浄土堂は建久5年(1194)上棟の大仏様の建築。翌年完成した仏師・快慶作の阿弥陀三尊像は、堂内に射し込む光で来迎のさまを演出する、建築と一体になった仏像として知られる。

浄土寺 兵庫県小野市浄谷町2094

遊里のまったりした名画「彦根屏風」

彦根屏風

「彦根屛風」は滋賀の彦根藩主井伊家に伝来したことによる通称で、正式名称は「風俗図屛風」。室町時代末期から江戸時代初期に制作された「近世初期風俗画」のうち、遊里を描いた遊楽図の最高傑作のひとつです。
 
寛永年間(1624~44)に、京の六条柳町(六条三筋町ともいう)の遊里を描いた絵だと考えられています。絵の中の15人の男女は、遊女と遊女見習いの少女である禿、客の若者や、脇息にもたれる女と文を読む男、三味線弾きの検校(盲人の最上級の官名)とみられます。
 
背景に描かれるのは山水図屛風のみで、あとは全面を金箔で覆っています。しかし、人物の様子や配置、衣装や小道具によって、遊里だとひと目でわかる優れた構図をもちます。人物や器物はきわめて高度な筆力によって精緻に描写され、髪の生え際の1本1本から小袖の文様の細部に至るまで、質感にこだわった描写は見事です。作者は幕府御用絵師の一派、狩野派の絵師と推定されています。
 

京の六条柳町は高い教養が不可欠な社交場でもあり、遊女歌舞伎の役者も兼ねた遊女は、当時のファッションリーダーでした。本図にも遊女歌舞伎の人気演目のポーズや、流行の結髪や小袖の柄、南蛮渡来の品々など、当世風俗が豊富に取り込まれています。同時に、能の演目に由来する着物の柄や、「源氏物語」や中国の画題「琴棋書画」に由来する小道具の取り合わせなど、古典文学や古典絵画に取材した仕掛けがふんだんに隠されており、知的で洗練された遊びの要素をもつ絵画です。
 
本作品は、人物などの風俗描写から、遊女歌舞伎が禁止された寛永6年(1629)頃から、遊里が京都・島原に移転させられる寛永17年頃までに描かれたと推定されています。変わりゆく六条柳町の遊里風俗を記憶にとどめておくために制作されたと思われ、どこか懐古的な憂いと寂寥感を感じさせる遊楽図だといわれています。

「彦根屛風」は制作当時から評判が高かったとみえ、主題や構図、人物のポーズなどを借りた類似作品や、本図に触発されて描かれたことがわかる風俗図も多数残されています。

国宝プロフィール

風俗図屛風(彦根屛風)

17世紀前半 紙本金地着色 六曲一隻 94.0×271.0cm 彦根城博物館 滋賀

江戸時代初期の寛永年間(1624~44)に、京都・六条柳町の遊里の人々を描いたとされる屛風。15人もの人物による緊密な構図と、衣装や器物の緻密な描写で知られる、近世初期風俗画の傑作。彦根藩主井伊家に伝来したことから「彦根屛風」と呼ばれている。

彦根城博物館

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