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2018.09.18

こんな国宝知ってる?青不動・赤糸威鎧

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日本美術の最高到達点ともいえる「国宝」。小学館では、その秘められた美と文化の歴史を再発見する「週刊 ニッポンの国宝100」を発売中。

こんな国宝知ってる?青不動・赤糸威鎧

各号のダイジェストとして、名宝のプロフィールをご紹介します。

今回は、炎の平安仏画「青不動」と、華やかなる武威「赤糸威鎧」です。

平安密教絵画の傑作「青不動」

こんな国宝知ってる?青不動・赤糸威鎧

激しく燃えさかる炎を背にした、青黒い肉身の仏。二童子を従え、恐ろしい忿怒の形相で岩の上に坐すこの仏は、密教特有の尊格・不動明王です。

天台宗の門跡寺院(皇族が歴代住職を務める寺)である青蓮院に伝わる本図は、調伏を意味する青色を帯びたその像身から「青不動」と呼び習わされ、明王院(和歌山県)の「赤不動」、三井寺(園城寺。滋賀県)の「黄不動」とともに、「日本三大不動」として古くから篤く信仰されてきました。

不動明王は密教の中心尊格である大日如来の化身とされ、悪を降伏し、衆生を導く仏です。9世紀初頭、真言宗の開祖である空海が中国・唐から日本に伝えて以降、密教美術の“花形”として、多くの絵画や彫刻にたびたび表されてきました。

 

左側(向かって右)に矜羯羅童子、右側に制吒迦童子と呼ばれる二人の童子を従えた本図の不動明王は、左目を細め、右目を開いて、それぞれの目で天と地を睨みつけています。口元を見れば、左右の牙で互い違いに上下の唇を嚙んでいます。これらの表現は、空海が請来したものとは別系統の台密(天台宗で伝える密教)系の不動明王の特徴。19項目にもわたり細かく定められた不動明王の図像の約束事に忠実に描かれており、本図は台密系の不動明王の彩色像としては、現存最古の作例です。

「青不動」が描かれた平安時代中期は、仏画に貴族趣味の華やかさが加わり、優美に展開した時期でした。「青不動」の背景の炎の中に「だまし絵」のように描き込まれた火の鳥・迦楼羅の躍動感豊かな表現、画面の絹地(絵絹)の裏から金箔を貼る裏箔の技法を用いて表された不動明王の精緻な装身具など、随所に華やかで気品あふれる描写が光ります。本図の制作に関する事情は謎に包まれていますが、当時最高レベルの絵仏師の手によるものであることは、疑いの余地がありません。

2013年、3年に及ぶ修復を終え、鮮やかさを増した「青不動」。不動明王の図像の規定を遵守した礼拝画でありながら、平安中期の美意識が色濃く反映された、日本の仏教絵画史上、屈指の名作です。

国宝プロフィール

不動明王二童子像(青不動)

11世紀前半 絹本着色 一幅 203.3×149.0cm 青蓮院 京都

体の色が調伏を意味する青であることから「青不動」の名がある。向かって右下に矜羯羅童子、左下に制吒迦童子を描き、不動明王は左目で天を、右目で地を見るなど、異様な姿で表される。全体が高い画技によってまとめられ、不動明王を描いた初期の仏画の白眉とされる。

公式サイト

工芸技術の集結「赤糸威鎧」

こんな国宝知ってる?青不動・赤糸威鎧

鎧(甲)は、おもに戦場で敵の放つ矢や刀、長刀から胴部を守るために身に着けたものです。頭を保護する兜(冑)と合わせて甲冑と総称されます。

日本で甲冑がいつごろ誕生したかは定かではありませんが、古墳から出土した埴輪のなかに甲冑で武装したものがあることから、4世紀以降には存在していたと考えられています。

そうした初期の簡素で無骨な甲冑が飛躍的な発展を遂げたのは、武装して勢力の拡大を図る武士が台頭してきた平安時代中期からのことでした。甲冑は、当時の主流だった騎馬武者による弓矢の戦闘に適した防御力を増したものへと改良され、兜・胴・袖の3つの部分をもって1領とする大鎧が成立。さらに、実用性とともに装飾性も重視されるようになりました。

鎧は、鉄製や革製の「札」という細長い小さな板を結んで形づくられます。札を結ぶ革や糸は、鮮やかな色で染められるようになり、色彩豊かな多くの鎧が登場することになりました。よく鎧の名称に付けられている「威」とは、札の穴へ緒(組糸)を通して甲冑を形づくること。つまり「赤糸威鎧」とは、赤い組糸で札をつないだ鎧を意味します。身体を守る単なる武具であった鎧は、個性的な装飾を発揮するようになり、しだいに武士のアイデンティティを示すものとなっていったのです。

春日大社に伝わる「赤糸威鎧」は、鎌倉時代末期から南北朝時代に制作されたといわれ、現存する鎧のなかでも、その豪華さにおいて屈指の名品です。巨大な角のような金銅大鍬形を備えた兜をはじめ、竹と虎の大きな飾金物が目を引く大袖や胸板などは、豪華な透し彫りで隙間なく埋め尽くされています。巨大な飾金物のせいで自由に動かせない袖の構造などから、実戦のためではなく、儀式や祭礼、神前への奉納を目的に制作されたと考えられています。

精巧な金工細工と燃えるような赤色の威毛(札をつなぐ組糸)が鮮やかなコントラストを生む「赤糸威鎧」。武運長久への祈りが込められたと思われるこの鎧は、金物や染色、皮革など、当時の工芸技術の粋を結集して作られた総合芸術品です。

国宝プロフィール

赤糸威鎧 兜・大袖付

14世紀 1領 胴前高35.5cm 兜鉢前後径25.7cm 大袖高45.1cm 春日大社 奈良

「威」とは、鎧を構成する「札」という長方形の板を結ぶ組糸のことで、それが赤いためこの名がある。兜をはじめ、各所に施された透し彫りの飾金物は見事で、とくに大袖の「竹と虎」は圧巻。春日大社へ奉納するため、金工、染色、皮革などの工芸技術の粋を集めて制作されたとされる。

公式サイト