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白隠の禅画は知れば知るほど面白い! 代表作や人生まとめ

白隠慧鶴(はくいんえかく)は江戸中期の禅僧。わかりやすい禅画を描き、民衆に禅を広めました。絵を学んでいたわけではない白隠の禅画に、なぜ人々は惹かれるのでしょう。和樂INTOJAPANでは、その魅力を紐解きます! まずは、その破天荒な人生をダイジェストでお届け。

地獄への恐れを断ち切るために出家! 白隠の破天荒ライフ

白隠は、貞享2(1685)年、称津駿州原宿(沼津)に生まれました。仏教の道に足を踏み入れたのは8〜9歳のころ。母親に連れられて行った寺で、僧の語る地獄の恐ろしさに大きな衝撃を受けたことに始まります。薪で焚く五右衛門風呂に入ると、湯が逆巻いて、湧き上る音がまるで地獄の業火のように聴こえ、少年は泣き叫ぶしかありませんでした。この地獄への恐れを断ち切るために出家を願い出て、15歳のとき、沼津の松蔭寺で出家得度をします。

その後、静岡、福井、愛媛などの禅匠を巡り修行を重ねますが、20歳前後の数年間は禅修行に疑問を感じ、ひたすら詩文や書画の世界に耽溺。22歳で高僧・大愚宗築(たいぐそうちく)の書に出合い、上手い下手ではなく修行者の人格の表れが心を動かすのだと気づき、それまでの書画はすべて燃やして修行に専念。が、その後に師事した道鏡慧端(どうきょうえたん)の修行は生きるか死ぬかの厳しさでノイローゼのような症状を患います。そこで白河山中に住む白幽仙人を訪ね、授かった瞑想法「内観の法」により病を克服。42歳の秋の夜、法華経を読んでいた白隠は、庭で鳴くコオロギの声を耳にして、ついに人生最大の悟りの体験に至ります。以後は、法話を聴くため400人もの聴衆が押しかけるようになり、50代半ばには作画の数も増え、70代にはさまざまな手法を試み、80代で完成期を迎えました。 

白隠白隠慧鶴「半身達磨図」1幅 紙本着色 192.0×112.0㎝ 萬壽寺

「言葉に頼るな」といわれる禅僧において、白隠はおびただしい数の禅画や墨跡を遺しています。職業画家ではない、仏の教えを伝える手段として描かれた一見ユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画は京の奇想の画家たちの起爆剤でした。

かわいい禅画といえば仙厓さんも!

今回ご紹介した白隠と、「きゃふん」のわんこが大人気の仙厓は、日本美術史で特異な輝きを放つ禅僧。いかにして禅画を描くようになったのか、その歴史を追ってみましょう。

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かわいい禅画の二大巨匠! 白隠と仙厓の人生を追う

そもそも“禅”ってなに??

白隠が描いた“禅画”には、多くの人が禅に対して抱いていたメージをくつがえしてしまうほどの破天荒なパワーが。なぜ人々が白隠の禅画に魅了されるのか、その謎を紐解きます。

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どうして今“禅”が注目されてるの? その答えは、白隠にあり!

慧可断臂図 対決!!

慧可断臂図とは、達磨大師に弟子入りを訴える慧可の決意の図。禅にとって非常に深い意味をもちます。そんな慧可断臂図で、白隠と雪舟の作品を比べてみました。

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ザ・ZEN対決!雪舟と白隠の『慧可断臂図』を比べて見ました

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