日本文化の入り口マガジン和樂web
5月11日(火)
Love the life you live. Live the life you love. (ボブ・マーリー) 映画「HOKUSAI」公式サイトはこちら
日本文化の入り口マガジン 和樂web
日本文化の入り口マガジン 和樂web
5月11日(火)

Love the life you live. Live the life you love. (ボブ・マーリー) 映画「HOKUSAI」公式サイトはこちら

読み物
Craft
2016.09.08

民藝(みんげい)とは?条件や作家など徹底解説【まとめ】

この記事を書いた人

民藝とは?民藝の条件って?

民藝とは何か?作家物との違いとは?

民藝を具体的に理解するために、上の写真では「工業デザイン」「民藝」「作家もの」の3種のグラスを並べてくらべてみました。どれが民藝のグラスだと思いますか? それぞれの特徴から、どれがなんのグラスか、考えてみてください。

まずは3点を見くらべてみましょう。右のグラスは、縁や底部の影が濃く、いかにもガラスが厚手であることを物語っています。左のふたつとくらべると形にややゆがみがあります。一方、中央のグラスは、縁が薄く、全体に繊細な印象です。内側に線状の凹凸があり、まるで彫刻アートのよう。左は、水の波紋に似たウェーブが均等に入り、一切の狂いのない形をしています。

……では答えです!

「民藝」(沖縄)は右のグラスでした。中央は「作家もの」(日本の現代作家)のグラス、左は「工業デザイン」(フィンランド)のグラスです。

製造の背景を見ると答えの理由がわかります。右のグラスは、沖縄でリサイクルガラスによるうつわを製造する「奥原硝子製造所」のもの。資源の少ない土地で、戦後、米軍のもたらした瓶類を暮らしのうつわに再生。そのよさに陶芸家の濱田庄司らが気づき各地に紹介しました。粗さの残るガラスの質感がリサイクルガラス特有の面白みを醸し出しています。ヒビがあるのは、熱い炉で熱した状態で、バケツに張った水に入れる製法から。その表情や飲み口などの形が「ひとつひとつ微妙に違い」、大らかな姿は沖縄の「歴史や風土」を語ります。製造には数名の職人が携わり、「作家性がなく職人の手によるもの」「分業制で量産が可能」という「民藝」の条件にあてはまっています。

中央のグラスは、ガラス工芸作家の安達征良(あだちまさお)さんが、日常使いのうつわを展開する「ILE8(イレヤ)」シリーズから。切り子で線刻を施した板ガラスを、円形の穴を開けた型の上に置き、電気炉へ。溶けたガラスが重力に従い、穴から垂れて形になる瞬間を捉える、高度な技術を駆使しています。生地づくりからすべてひとりで行うことで、美意識が結晶化されているとも言えます。「型がなくひとつひとつ微妙に違い」ますが、こちらは安達さんという作家しかつくることができないグラスなので、民藝とは言えません。

左のグラスはフィンランドの建築家・デザイナー、アイノ・アアルトが1932年に創出。「イッタラ」製で現存する製品で最も古いシリーズ。装飾的な食器が主流の時代に、徹底的にシンプルかつ自然を連想させる優れた造形をつくりました。金型を使い、加熱成形したガラスをプレスして大量生産するため、ブランド理念に忠実な同一製品を世界中のだれもが手にすることができるのです。「作家性はありません」が、「型があってまったく同じ」ものを「大量生産」できるので、民藝と言うことはできません。

同じガラス製でありながら、製造方法やつくられた目的によって異なるグラスをくらべると「民藝って何?」の答えが見えてきます。

民藝とは何か?作家物との違いとは?右/沖縄・那覇 奥原硝子製造所の3.5インチ広口ロックグラス(ヒビ入り)¥1,600(みんげいおくむら/販売はオンラインショップのみ) 中央/安達征良 ショートグラス ミガキ ¥6,000(暮らしのうつわ花田 東京都千代田区九段南2-2-5九段ビル1・2F)左 イッタラ アイノ・アアルトシリーズ タンブラー¥1,200(問い合わせ先/スキャンデックス)※上記の商品は和樂2014年12月号で掲載したものです。現在は取扱いのない場合もあります。撮影 小寺浩之

では、民藝の7大スーパースター、
さらに3人を紹介しましょう

DMA-aflo_OMSA008858

柳や濱田に「バケモノ」と
言わしめた板画の天才

棟方志功(むなかたしこう)

子どものころから絵の才能が認められていた棟方志功は、21歳になった年に画家を目ざして上京。4年後の帝展洋画部門で入選を果たします。しかし、当時の洋画の世界では写実性が重要視されていて、その傾向に違和感を覚えた棟方は、やがて川上澄生の版画作品に心惹かれていくようになります。

そして、33歳になる昭和11(1936)年、棟方は国画会展に「大和し美し」を出品するのですが、それは絵よりも文字のほうが多く、3mを超える超大作。国画会展での展示を拒否されてしまいます。そこに偶然居合わせたのが濱田庄司と柳宗悦で、その作品に目をとめるやいなや、「バケモノガデタ スグコイ」と京都の河井寬次郎に電報を打ったというのですから、ふたりにとっていかにインパクトが大きかったかがしのばれます。

洋画家を志し、川上版画の西洋的な世界を経て、日本的な題材へ目を向けた棟方の「大和し美し(やまとしうるわし)」は、柳らにとって民芸運動における新たな発見だったのです。またそれによって、美術界に居場所を見つけることができなかった棟方も所を得て、河井寬次郎を交えた民藝運動の指導者らとの交流がスタート。民藝運動とともに、まさに自由奔放なセンスを大胆に発揮するようになっていくのです。

その後の活躍は目覚ましく、スイス・ルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞、サンパウロ・ビエンナーレでは版画部門の最高賞、ベネツィア・ビエンナーレでは国際版画大賞を受賞。それによって〝世界の棟方〟へと上りつめ、民藝運動も世界に知られるようになったのです。

棟方

版画も書も肉筆も、棟方志功の自由奔放なパワー満載!

右上/「道」1952年 右下/「女人観世音板画巻 振向の柵」1949年 左上/「心偈頌 今日モアリ オホケナクモ」1957年 左下/「茶韻十二ヶ月板画柵 六月 雨隣の柵」1956年(写真はすべて「日本民藝館」)

DMA-1966 イタリアアッシジにて(1966年 撮影:個人)

デザイン性豊かな型絵染めで
民藝運動をリードした染織家

芹沢銈介(せりざわけいすけ)

民芸という美意識を知ったことによって、その後の人生が大きく開けたことで知られるのが、芹沢銈介です。静岡市の呉服商の家に生まれ、東京高等工業学校図案科を卒業したものの、将来を決めあぐねていた芹沢は、柳宗悦の著作を読んで感銘を受け、銀座鳩居堂で行われていた第1回日本民藝品展覧会に立ち寄ります。そこで初めて民藝に触れた芹沢は心を打たれ、また、東京上野公園の御大礼記念国産振興博覧会の「民藝館」で沖縄の紅型に衝撃を受けたことから、静岡市内の紺屋(こうや)に弟子入り。そこで型染の技法を身に付け、染色家として歩み始めます。

やがて柳らの民藝運動に本格的に加わるようになった芹沢は、昭和9(1934)年に染色工房を構えて独立。さらに、樺細工や花筵(はなむしろ)といった民藝の指導にも優れた能力を発揮します。昭和14(1939)年、民芸運動の沖縄調査の一員として訪れた際には、かつて衝撃を受けた紅型の技法を学び、みずからの染色工芸に取り入れます。風景や自然から得たモチーフを大胆に図案化し、意欲的に仕上げられた芹沢作品は、優れたデザイン能力に裏付けられたもの。派手でありながら、決して俗っぽくならない色合いが高く評価されました。

その才能は染色だけにとどまらず、本の装幀や地図の作製、レタリングといった様々な分野に及びます。特に、柳が編集を手がけた雑誌「工藝」などの装幀は、本にも工芸品としての美を求めた柳にとっては、なくてはならないものとなりました。平面における民藝を代表する芹沢のデザインは、今も変わらない人気を誇っています。

芹沢

民藝によって洗練された芹沢銈介の図案や染織工芸は、いまなお愛されています!

右上/「丸文絞飾布」1960年 中上/「沖縄絵図」1939年  左上/「笹牡丹唐草文夜具地(部分)」1935年 下/「丸文伊呂波屛風」1940年(写真はすべて「日本民藝館」)

池田

松本の風土に合った
民藝家具をつくりあげた

池田三四郎(いけださんしろう)

日本各地の工芸を掘り起こし、美に対する新たな意識を植え付けていった民藝運動の同人とは異なり、地方において伝統工芸に変革を起こすことで民藝を実践したのが、松本民藝家具の創始者である池田三四郎です。

池田が民藝に目を向けるきっかけとなったのが、昭和23(1948)年、京都の相国寺で開かれた日本民藝協会第2回全国協議会。そこで柳宗悦の講演に圧倒された池田は、民藝理論の研究や体得に努め、柳から託された、松本の木工業の復興を果たしてほしいという願いにこたえるべく、家具づくりの道を本格的に歩み始めることになったのです。

池田の住む長野県の松本は大正時代の末まで、日本有数の和家具の産地として栄えていました。ところが第二次世界大戦によって和家具生産は休眠状態となり、木工職人も減っていきました。そのような窮状に心を痛めた池田は、職を失った無名の匠たちを集め、これからの日本の生活に必ずや必要とされるであろう洋家具をつくらせようと考えます。しかし、頑固な職人に未知なる洋家具をつくらせるというのは至難の業。それでもあきらめることなく、洋家具の必要性を説く池田の真剣さにほだされた職人は、元来の技術力をいかんなく発揮。後にイギリス風の椅子づくりの指導を買って出たバーナード・リーチも感心するほどだったといいます。

その間にも、柳宗悦や濱田庄司、河井寬次郎、芹沢銈介が松本を訪れたり、書簡を交わし合ったりして、松本民藝家具の基礎がつくられていきました。そんな時代の息吹が今も残る椅子の数々。そこには、松本の職人の誇りが堆積しているかのようです。

池田

松本で見事に再現された、池田三四郎のイギリス風の民藝家具

オーダーを受けてからひとつずつ職人が手仕事で仕上げる松本民藝家具の椅子。右上/「濱田庄司監修ラッシチェア」¥95,040 右下/「MB型チェア」¥226,800 左上/「大キャプテンチェア(桜・ラッカー仕上げ)」¥261,360 左下/「A型ウインザーチェア」¥151,200(写真はすべて「松本民藝家具」)