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2020.09.02

秀吉から藤堂高虎、徳川将軍家へ。大物武将に愛された名刀・大兼光

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刀を持たなかったという武将は、恐らくいないのではないでしょうか。

名だたる武将に愛された名刀はいくつかありますが、「大兼光(おおかねみつ)」もそんな1つです。

大兼光とは?

大兼光は、南北朝時代に備前長船(現在の岡山県瀬戸内市)で活躍した刀工・備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)の手になる刀です。

刃長は2尺7寸5分半(83.5センチ)ですが、本来は刃長1メートル超の長大な太刀だったと見られます(刀剣の分類についてはこちらをご覧ください)。表裏に重量軽減のための溝である「樋(ひ)」が彫られています。

持ち主の使い勝手を考慮して、本来の長さより短く作り直された(元のほうから切り詰めた)ため、現在では作者自身による銘がなくなった状態です。これは「擦上(すりあげ)」といわれるもので、刀身を短くするのは江戸最初期ごろまで比較的よくあることでした。大兼光のように銘が完全になくなっているものを「大擦上(おおすりあげ)」と呼び、大擦上されたものがもともと「太刀」だった場合には「刀」に分類が変わりますが……ちょっとややこしいですね。

なお、現在見られる、金で象嵌されている「備前國兼光」の文字は、江戸初期の鑑定家・本阿弥光温(ほんあみこうおん)によって鑑定されたことを示すものです。

豊臣秀吉から藤堂高虎、徳川将軍家と受け継がれ、現在は佐野美術館に所蔵されている、重要文化財です。

大兼光は、美しく精緻な鉄の肌、穏やかに波打つ「のたれ」の刃文が魅力的な名刀です。

名付けの由来

一説に、「長大であるから」と言われますが、はっきりとした由来はわかっていません。「素晴らしいもの」「優れたもの」という意味で、作者の名前の前に「大」と名付けられた例が他にも見られるため、そうした理由もあるかもしれません。

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なお、他にも「大兼光」の別名を持つ名刀がいくつかあります(今村兼光・相馬兼光など)

備前長船兼光とは?

大兼光の作者である備前長船兼光は、南北朝時代に備前長船の地で活躍した刀工です。光忠(みつただ)、長光(ながみつ)、景光(かげみつ)と続いてきた長船鍛冶の4代目統領で、山と谷が交互に現れる「五ノ目(ぐのめ)」や、五ノ目にクローブのつぼみのような丁子(ちょうじ)が交じったもの、大兼光のような「のたれ」など、いろいろな刃文が見られます。

長船鍛冶の祖、光忠の記事はこちら。
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大ぶりなものから短刀まで、様々現存していますが、全体的な印象として、とても穏やかで優しい雰囲気を感じます。

兼光の活躍した時代は、朝廷が南朝と北朝に分かれ、それぞれ別の年号を用いていましたが、兼光の現存作品で制作年が刻まれているものには、すべて北朝の年号が入っています。

「兼光」を名乗っていた刀工は、他にも美濃・畿内・備後・陸奥・越前・越後・因幡・出雲など50工ほどが確認されています。

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アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館より

書いた人

人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。